見出し画像

インドで絶対にインド人を信用するなってインド人が言ってた~インド旅行記8:さようならゴア

2010年11月8日(インドに到着後72時間経過)

ふて寝から目覚めると朝で、私はオレンジジュースを買いに出かけた。
マンゴスチンの面影をオレンジに求めたのだ、失った母親を探すみなしごの様に。
知っているのだ、昨日の駄菓子屋風の店にオレンジジュースがある事を。
それは鮮やかなオレンジ色でまさにオレンジの絵が描かれ堂々と「orange」と英語表記され
「俺は!!!!オレンジの味がするぞ!!!」
と全身で叫んでいた。逞しく力強いアピール。商品自ら力いっぱい名乗っているのだ。
得体の知れない何かではないのだ。 マンゴスチンなどもっての他だ。
名を尋ねる必要は無い!インド人の「ィエース!」という返事の入る隙間も微塵もない!
そんな親切な奴をほっとけない!
1リットルのオレンジジュースを抱えて帰り、飲む。
ぬるい。まさに常温のオレンジジュースだった。
それでも私は満足し、一大ミッションを遂行した気分で部屋でまどろんでいると
トン・トン・と屋根をたたく音。
雨だった。
11月はインドのゴアの乾期と聞いていたが、こんな日もあるだろうちょっとぐらい降るだろうと思っていたらその後も雨は降りまくった。ジャジャブリだった。
開け放したベランダから見える雨のカーテンを、私はベッドに横たわり眺めていた。
雨の量に反比例して私のアンジュナビーチへの意欲、興味の全てが薄れていく。流れていく。
翌朝、私はタクシードライバーもやるという宿の主人に、ゴアを発つ為ムンバイ行のバスの出る街まで送って貰うことにするわけだが。
この夜、私はたいそう弱気になっていた。
いや、弱気と言うよりはあまりにも何もかもが思い通りにならないのでもう拗ねていたのだ。
なんてったって私という人間は黄金の国ジパングで、マザーテレサに豊かだけど心貧しいよと言わしめた国で、甘やかされて、甘えて、歯が溶けるように甘い軟弱砂糖人間であったので
インドでは四六時中往復ビンタをお見舞いされてる心地でもう、痛くて。
拗ねたのだ。

「もう帰りたい。元から面倒くさがりで一石二鳥が大好きだが、もういろんな手配が面倒くさい。
何から何まで調べなきゃわからない。
何が何処にあって、何がダメでどれが得策か何もわからない。見当もつかない。
インド人は皆詐欺師に見える。
金と精神力を奪いに来る。
ちょっと地味な北斗の拳の世界だ。
インドを私は何も知らない。
私にはここの情報が無い。点と点を結ぶ点がゼロ、無い。
点から仕入れていかねばならない。不便だ。
不便だが私には何もない。
そうだ、今、私にはなにも無い。
すごいな、何も無いってこんなにどうしようもない。
これが私か。
そうか本来は私は何も知らないのだ。
ゼロだ。今の私はゼロ。無力な存在だ。
そしてここでじっとしてても何も増えない。ゼロのままだ。
とりあえずイチにしたい。
何もわからないが、留まりたくはない。やり場のないエネルギーを活用したい。
イチ、をしよう。
あれをしたらいい、何処はだめ、そういう
外の事は何もわからないから、間違いなくわかるもの。
よし、気持ちで行こう。」

そして決めた。
雨は気が滅入るから駄目だ、もうここは去ろう、バラナシに行きたい。
よし、バラナシに行こうと。
アンジュナビーチはまた今度。
ジョードプル、砂漠を諦めた時の様に諦めた。
私は元から諦めは良い方であるし、去る者は追わないし、熱しやすく冷めやすく、素直である。痛感したのだ。認めたのだ。この旅の無謀さと、己の無計画さ己のつめの甘さと読みの浅さを。
髪を振り乱し大声でわめき散らしながら釘でこの部屋の壁一面に刻みたいほどに。
欲張らないでいこう。
今、やりたい事を一つにしよう。シンプルに。
それに尽力しよう。

インドについて4日、未だ行きたかった場所には一つも行っていない。ルートも全く変わってしまった。
バラナシだけは。
インドに行ったらバラナシだけは!
何時の間にか「バラナシ死守」のプラカードをかかげる民衆が私の脳内で沸き立っていた。
何時の間にかどしゃぶりの雨音は民衆の歓声へと変わり、私は眠りについた。

いつも読んで下さってありがとうございます。頂いたサポートは私がカナダで暮らし続け描くことの動力源になります、貴方に読んで楽しんで貰って還元できるよう、大切に使わせて頂きます。よろしくお願いします!