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インディ・ジョーンズと感謝の逓減 〜変わったのは相手か自分か〜

感動は逓減する。
感謝も逓減する。
最初にテレビでインディ・ジョーンズの1作目を見た時、これほど面白い映画があったのか!と驚愕し感動した。

中学一年生の頃だったと記憶している。録画したVHSを擦り切れるほど見た。
それから2作目をレンタルビデオで見た。3作目は映画館で見た。
3作目が公開された時は中学3年生になっていた。

インディ・ジョーンズの3作目が、初めて自分のお金で見た映画だった。
正直なところ、中学生の僕は2作目3作目も面白いけれど、1作目は超えられていないなと思っていた。
ナマイキな中学生。1作目のインパクトが強かったということはある。

だけれどもいちばんの理由はそれではない。
感動と感謝は逓減するのだ。

逓減
(「逓」は、だんだん、段階的にの意) しだいに減ること。まただんだんに減らすこと。特別の物事との対応においてある比率で減少することをいう。


精選版 日本国語大辞典

夫婦や親しい間柄での感謝も逓減する。
最初はご飯を作ってくれた、ケーキを買ってくれただけで感謝したし、
子どもに至っては生まれてきてくれただけで感謝感動したはずだ。

それがだんだんと感謝しなくなる。感動を忘れる。
それは自分が変わったのであって、相手が変わったわけじゃない。
パートナーはずっと同じことをし続けてくれているし、子どもは当たり前に成長しているだけだ。

映画への感謝もそう。
最初はこんなに面白い映画を作ってくれたルーカスとスピルバークにありがとうと全力感謝した。
その感謝が時を経て薄れていく。制作者はずっと面白い映画を作ろうと奮闘してくれているのに。

それが続編が続けば続くほど、映画を作ってくれることが当たり前になる。
親しい関係でも、はじめは感謝していた行動を相手が続けてくれることで当たり前になる。
当たり前になると感謝しなくなる。

それらは相手の責任か?
そうじゃないですよね。変わったのは自分であって相手ではない。
相手の行動や映画の続編を見て、こんなんじゃなかったは自分の勘違い。

相手は元々そんなんだったんです。
自分の思い込みで相手を枠にはめていただけ。
インディ・ジョーンズの続編は4作目も作られた。

前作から期間が空いたので、僕は大人になっていた。
それが良かった。作ってくれただけで感謝できたから。
この映画には批判も集まった。インディはこんなんじゃないと。それこそ思い込み。

ルーカスとスピルバーグは元々インディ・ジョーンズという映画にはここまで広げられるという可能性を秘めて作っていた。
インディはこんな映画だという枠は、観客が最初の3作から勝手に思い込んだに過ぎない。
そしていま5作目が公開中。

これもまたインディの世界を広げてくれて素晴らしかった。
空間的にも時間的にも。そして世界の全てを。
40年という制作中の時間が、映画のテーマにも取り込まれていた。

最初の感動と感謝を忘れない。
相手が身近な人でも映画の制作者でもそれは一緒。
素直さを取り戻させてくれた『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』でした。

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