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22年ぶりに見たマトリックスは「答え」ではなく「問い」の映画だった

映画『マトリックス』のネタバレが含まれるかもしれませんが、気にせずに読んでください。

2021年にマトリックスを見るとびっくりする。
1999年の公開当時に見たとき以上にびっくりする。
マトリックスの新作を見る前に復習する必要なんてない、って記事を書いたけれど撤回します。

マトリックスを初めて見たのは25歳の時。
ヒットの規模や世間の評価に比べて、僕の評価は低かった。
ああ、電脳世界と人間の話ね。現実が夢だったらどうするかって話ね。なんか哲学入ってます的な。

それ、ニューロマンサーで読んだし、攻殻機動隊ですでに映像化されてるし。
しかもキスで危機を回避するなんて、なんて頭の悪い感情的な映画だろう。
なんて、バカにしておりました。

申し訳ない。僕が馬鹿だったって47歳の僕は土下座します。
マトリックス前に似たアイディアのSFがあったとしても、それをストーリーにして実写映画に落とし込むことがどんだけすごいことか。
しかもその完成度が高い。ちょっとあとに似たテーマに挑戦してドスベリ(こっちは本当にドスベリ)した『JM』って映画に比べると、マトリックスの素晴らしさがよくわかる。

1999年を思い出すと、インターネットはまだ一般的でなく、ガラケーすら全員は持っていなかった。
バーチャルリアリティはほとんどSFの世界で、プログラム教育ももちろん影も形もない。
そんな時代に、2021年現在でも納得感のある電脳空間が描かれている。

これだけでもびっくりするんだけれど、もっとびっくりするのは物語で哲学を語り、哲学を物語にしている点だ。
どうして20代の僕はこの映画をバカにしてしまったかというと、20代の僕は映画に「答え」を求めていたからだ。
この映画に「答え」はない。

この映画は「問い」の映画だ。
それはこんな問い。
あなたは現実を見ずに夢を見続けますか?それとも目覚めて現実に直面しますか?

主人公はこの映画の中で常に2択を迫られる。
その2択は同時に観客にも迫られている2択だ。
そして『マトリックス』の中に答えはない。

僕が公開当時一番馬鹿にした、キスで危機回避。
それすらもヒロインの選択。
ヒロインは極限状態の中、告白してキスをすることもできたし、何もしない選択もできたのだ。

答えは自分の選択の中、自分の選択の結果にしかないのです。
マトリックスは続編が2本あって、その中で答え的なものを出そうとはしていた。
けれど1作目の中には問いしかない。

47歳の自分はやっとこの映画が「問い」であることに気づいた。
「答え」があるとそこで閉じて終わってしまう。
「問い」だからこそ世界は続いて広がっていくのだ。

新作は1作目の続編なんだそうだ。マトリックス1作目の「問い」に対する新しい「答え」を期待している。

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