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なぜ僕は妻を主人と呼ばなくなったのか

15年前に仕事を辞めて『主夫』になった。社会との接点が減った僕はよく、赤ちゃんを連れて看護師の妻の飲み会に着いていった。そこでの僕のおきまりの挨拶はこうだ。「いつも主人がお世話になっております」たいていウケた。妻から職場には事前に「ウチは夫が家事育児をしている」と伝えてあるから。

10年前、NPO法人ファザーリング・ジャパンに入会して『笑っている父親を増やす』活動を始めた。父親のための子育て講座や父親の子育てを応援する文章を書くことを始めた。そこでの自己紹介、自分が主夫であることを伝えるためには家族紹介が必須だ。「長女1年生、次女2歳、そして看護師の主人の4人家族です」。

一般に妻から見て夫のことを主人と表現する。妻自身が言うこともあるし、第三者が『ご主人』と呼ぶこともある。
それに対して、夫が主人とはおかしい、という意見もある。僕も正直そう思う。専業主婦家庭だろうが共働きだろうが夫がイクメンだろうが関係ない。現代社会において夫と妻は対等であり、上下関係や主従関係にはないからだ。

僕が妻を主人と紹介するのはネタだった。少数派の主夫が妻との関係を一言で伝えるのに便利な言葉だった。
でも活動をする中で意見をもらった。稼ぎ役である妻のことを主人と呼ぶのは、一般の妻が夫を主人と呼ぶことと同様に男女差別を助長するのではないか。さらに、自虐のつもりなのかもしれないけど気持ちいいものではないとか、そんな夫婦の関係が心配だとか。いろいろな意見を受けた。

もしかしたら男女差別を助長する可能性はあるかもしれない。だけどあとの意見には全く同意しない。自虐のつもりはないし、家で妻と僕が主従として振舞っているわけでもないからだ。
でもそんなことをいちいち不特定多数の人に説明するのも面倒くさい。いつしか僕は妻のことを主人と紹介することをやめた。ひと笑いを犠牲にして、男女差別を助長することに加担する可能性もなくなった。

これが正しかったのかどうか僕にはわからない。ひとつ言えるのは10年前に妻のことを主人と紹介するのは、僕にとって自然な感覚であったと言うことだ。
最近、言葉や表現を規制する方向のニュースを立て続けに聞いた。ドラゴンズの応援歌の『お前』と言う表現。愛知トリエンナーレでの「表現の不自由展」の公開中止などなど。

それらに触発されたのか、10年前に意見を受けて妻を主人と表現することをやめたことに対して、ずっとモヤモヤしていたことに気づいた。
男女差別を助長するってほんまかな?そんな影響は誰にもわからないと思う。社会はそんなに単純ではないからだ。
自分が主夫という生き方を選んだことで、それは相殺されてお釣りが来てるはずだ。

と、今さら強気で書いてみる。
言葉や表現は本来自由だ。また機会を見つけて妻を主人と紹介してみよう。

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