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システムと文化とマイナンバー

【米合衆国の「社会保障番号」】
米国・合衆国民には、個人で統一したシステムの番号が振られている。それは「社会保障番号(SSN - Social Security Number)」というもので、生まれると個人に振られ、一生その番号を使う。なんらかの社会とのつながりにおいては、病院に入院するときでもこのSSNの提示が求められる。役所での様々な手続きなどをはじめ、就職や離職のときなど、すべての社会活動には、SSNを使って個人を識別する。このSSNによって米合衆国民は米合衆国民としての生活を保証されている、と言っても良い。かつて日本で問題となった「国民総背番号」、今となっては「マイナンバー」のお手本になったもの、と考えることもできるだろう。

【「移民」の文化】
よく「米国は移民の国」と言われている。欧州からの移民が、もともと広大な土地にいた少数の原住民を暴力で排斥して作った「国」が米合衆国、というのは、現在の米国でも大きな問題として残っている。この米合衆国においては、欧州からの移民が広大な土地に散らばって、それぞれの土地に家族を中心とするコロニーを作り「開拓」し、農地にし、農地を都市にし、という発展をごく短い間に作ってきた。悪く言えば「人の寄せ集め」で短い時間になんとかしてきた、という文化、と思えば良いのかも知れない。

【「都市化」で「個人」が重要になってきた】
そのコロニー間で人間の移動も激しく、更には欧州の「人を中心とした組織」の考えがもともとある(日本のように合議で責任分散をしない)ので、都市化するにつれ、その人間の所属する社会の中で暮らす個人の役割が重要になり、役職などの上下関係も重要になっていった。「家族」の意味も、開拓時代の運命共同体から、違う形に変わって行った。第二次大戦後の1960年代には「Family」は当たり前に血縁関係の家族だったが今はFamilyというと、仕事仲間でもFamilyと言うようになった、と私は思っている。それは経済的結びつき、有り体にいえば「お金」という数字で結ばれる関係、というように変わってきた。

【「家」と「個人」】
一方、日本の文化で数百年以上は続いている、という文化の大きな基盤に「家」がある。英語では1960年代までのFamiliyに近いが、これは行政にも徹底されているので、行政とのやり取りは基本的に「家(世帯)」という単位で行われている。例えば、戦後大きくなった新興宗教の信者数の数え方は「戸」であることや、コロナのときの給付金の配布も「戸(世帯-家族)」で行われたことでもわかるだろう。日本国の行政はすべて「世帯」で行われているのが現状だ。しかも、日本の場合、この制度を堅固にした時代は高度経済成長期であり、社会にお金も多く回っていた時期なので、堅固なシステムはより堅固に作られ、法整備もこの時代にされてしまった。

【アジアの国としての「家」と「個人」】
実際、アジア諸国では中華圏の文化が多く浸透しており、中華文化の依って立つ「家族」「親族」という人間の社会単位が非常に重要な意味を持つ。日本のそれを見てもわかるように、経営者や議員、地域の首長などの世襲の基礎に「家族(世帯)」があり、文化や資本の継承も、これを軸に行われ、そこには地域の政府も入りきれない、というくらい堅固になっている。むしろ、地域の政府を作る基礎に「家族」「親族」が深く入っている。この歴史が数百年続いている。米合衆国のように、300年あるかないかの基礎の上に作られた「家族」以上のものが日本の「家族」には、未だにある、と私は考えている。

【そこでマイナンバーについて考える】
そこで、旧来の、そして現行の法律を無視して現在の個人を中心としたマイナンバーの仕組みを作るわけには行かず、個人を個人として直接特定はしない仕組みにした。つまり、マイナンバーという「個人番号」から、世帯(家族)で管理されている「世帯」を割り出し、そこから全ての行政の仕組みが始まる。だから、米国のSSNと比べて、非常に複雑かつ膨大なシステムを作らないと、日本の個人を中心とした行政の電子化はできない。しかしながら、仕組みが複雑で膨大になると、トラブルも増え、場合によっては「事実上不可能」の域にさえなってしまうことさえある。

【簡単に言うと】
ここで現在問題となっている「マイナンバーカード」のこれからについて、あれこれ言うことは避けるが、複雑で膨大なものの「成熟」には、想像以上に多くの人件費と時間がかかり、トラブルシューティングなどのお金も膨大にかかることになる、ということは言っておかなければならない。都市化し、人間一人一人の単位が家族という単位よりも重要になりつつある「近代化」をしつつある、この地域で、その道を行くことはこれから不可避ではあろうが、非常に困難で厄介で、時間もお金もかかるものだ、ということはわかっている必要があるだろう。おそらく、それはシステムの問題ではない。社会に浸透し、行政自らにも数百年の歴史で刻まれた「文化」の問題なのだ。それは数百年かかってできたものだから、それを再構築するにも、これから数百年かけるか、その時間を膨大なお金で買うしかないのだ。

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