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「人間は二軍」の時代が始まる。

【人間は「二軍」】
現在、既に卓球、囲碁、チェス、将棋などの分野では明らかにマシン(人工知能)の方が強くなり、人間はプロ野球の世界で言う「二軍」扱いだ。そのため、人間どうしの試合しか試合としては公式に認めない、というルールがあちこちで出来ている。これは完全に「人間の負け」であると同時に「人工知能を作った人間の勝ち(プログラマーの勝ち)」でもある、ということになる。どれも人間の作ったものである以上、公式な試合から人工知能を外す、という決定は、どこかおかしい、というようにも感じないでもない。

【他の世界でも始まっていること】
ChatGPTで、文章の世界に「人間は二軍」の事態が迫っている。多くの「人間の職業」が奪われる、というが、それはないだろうと私は思う。そうではなく「お金で測って支えてきた人間社会の秩序」が、経済原理というモノサシで測ると圧倒的にキカイが強くなったというだけだ。人間の仕事は「成果」に対する「投資」という比率で見ればコスト高になった、ということだ。「投資」に対するリターンで考えれば、そうなるのはこれから必然だろう。ただし、これまで人間が作ってきた「資産」がこの新しい動きのベースにある。そういう意味で「人工知能は人間の道具の歴史の行き着く先」のものであって、それ以上でも以下でもない、という意味において、実は人工知能は非常に人間的なものである、と言っても良いだろう。

【「訓練」はなぜするか?】
多くの仕事で「訓練」は必須だ。人間が普通は出来ないことを訓練してその能力を人間が得る。なぜ訓練しなければ「それ」が得られないかというと、訓練の後に得られるものは人間的なものではないから、人間がなんとか無理をして、得るものだからだ。そして、今までは「人間に訓練して能力をもたせそれを使う」ほうが「キカイにやらせる」よりも、訓練にかかる時間や人的資源などのコストを考えれば安かった、ということだが、それがデジタル技術などの発展でひっくり返った、というだけだ。実際、デジタル化などの人間のテクノロジーは「人間の代わりに、より有能で安価に働くもの」を求めていたわけだから、これは「ゴールに近くなった」ということで、人間の目指していたものが実現したのだから、喜ばしいことでもある。人間は「訓練」と言うコストを払わなくても生産活動ができる。それで良くなったのだ。

【「人間の代わり」を目指していた】
人間の持つ「特技」は、訓練で得られるものが多いが、訓練というコスト(投資)に対する投資効果は、人工知能のほうが明らかに高い、という事実が、人間のしていたことをどんどんキカイに置き換えていく、ということだ。商業音楽のフィールドでも、かなり前から、それが始まっていて、今やコンピューターを使わない商業音楽はなくなりつつある。映像も、だ。

【これまでの社会秩序とこれからの社会秩序】
これまでの人間社会の多くは「経済原理」を中心に物事を考え活動してきた。この原理にこだわった社会秩序を良しとする以上、人間という種には価値がなくなり、全てがAIに置き換わってしまうだろう。だから、これから始まるのは「人間とはなにか」という根本的な問いのなかから、新たな人間の価値を創造する時代だ。人の価値をお金や数字で測ることが続く限り、人間という種は消滅するしかない。「あいつら」のほうが万事うまく、安く、迅速に、やるのだから。

【人は人として生きていることに価値がある】
「人」とはなにか。学生の頃、そういうことを考えたことはなかっただろうか?いま、その問いはすべての生きている人に発せられたのであって、その答えは「人間は人間だから」ということしかないだろう。自分という存在はたった一つで、他にはない。それだけが「自分がここにいる意味」だ。

空に輝く星はなぜ輝いているのか?それがそこにあることに価値の全てがあるのであって、それ以外ではない。だから、誰でも「かけがえがない」ことにかわりはない。

【おまけ:私事になるけれども、言っておこう】
私事になるけれども、学生時代、優等生ではなかった自分を救ってくれたのは、故・遠山啓先生「かけがえのない、この自分」という本だった。そこに、上記のようなことが書いてあり、若い自分は「救われた」と思った。後に大学生になったとき、アルバイトでこの本の版元の「太郎次郎社(現在は太郎次郎社エディタス)」に行き、様々な勉強をさせてもらったと思っている。自分が本を書く基礎の1つもこのときできた。後に大学卒業のときに太郎次郎社に就職するか否か?と言う判断をすることになったくらい、編集という仕事にのめり込んで、文章の勉強をした。大学卒業間近で就職先を決めるとき「ここで仕事をさせてください」と言った翌日、一晩自分なりに考えて「やっぱりやめます。これからはコンピュータの世界になって、芸術でもそれを使うことになると思うので、コンピュータの世界に行きます」と、話をした(もう40年前の話ですが)。もちろん、当時の社長には「この会社のその敷居を二度とまたぐな!」と激怒された。それから10年くらいして、その会社の前を通りかかったとき、懐かしくて電話して敷居を再びまたいだ。私はコンピュータ言語の本を書いて、それが、当時かなり売れていた。社長は歓待してくれた。

まさか、AIの時代になって、再び、この本が必要な時代になるとは、思わなかった、というのが実感ではある。「AIの時代」とはつまり、自分にとって、そういうものだ。

今の価値の中では「全ての人間は二軍になる」しかない。


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