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生成AIの時代に生き残る

【音楽(ビジネス)を考える】
いま世界にある音楽は、クラシック、ジャズ、ポピュラー、そしてさらにその先に分野が細分化していて、何らかのカテゴリーのなかに入れられ、流通しているものがほとんどだ。それはビジネスであり、商品だから、ショーウィンドウのなかに並んで、消費者に買われるものでなければならず、買われてお金になって、初めてナンボ、なんだな。より多くの人に買ってもらえれば「ビジネス」は成功、ということ。

【支払いが終わればビジネスは終わり、だが】
ところが、商品なので、買われてしまい、支払いが終わればビジネスは成立するから、売れれば良くて、売れるのであればクォリティはそこまででいい、ってことだよな。それ以上の発展はないわけで。ビジネスなので大衆化しなければならない(たくさん売る必要がある)ので、多くの人にわかるように、難解なものは表には出せなくなるね。売れればクォリティも独創性も、一定以上であれば、後はどうでもいい、となっていく運命にある、てことだな。

【「芸術」じゃなくて「ビジネス」】
結果として、かつては、人の生きるフィールドを広げていくための「芸術」だったものが、芸術の衣を纏った商品になっていく、ってわけだ。お金に換算するということは、そういうことだね。

【わかりやすくなければ商品じゃない、から】
結局のところ商品は売れなければならないから、どんどん「わかりやすい」「既知のもの」になっていかざるをえないわけで。結果として、本当の芸術は世の中には少なくなる。あるいは、なくなる。

【昔、創造的な音楽ってあったよね】
音楽の分野で言えば、かつて、現代音楽やフリージャズなどが目指した「新しい音楽の解釈」「音楽の拡張」、即ち「人間の生きるフィールドの拡張」という、人の命の生き生きとしたものが失われる。少なくとも、それに自覚的ではなくなる人が増える。既存の、どこかで聞いたことがあるものばかりになる。言い方を変えれば「保守的になる」。

【多くの「商品」は「模倣と再構成」】
ところが、生成物をあっという間にそれなりに綺麗にする人工知能の出現は、そういうものに慣れきった私たちに、ビジネス、商品としての「既知の作品」の模倣と再構成を、人間より完璧に行う、ということを、私たちに見せつけた。「模倣と再構成の職人のキカイ化」ですからねぇ。生成AIは。生成AIは、既知のものの再構成を、人間よりうまく、人間より素早く、人間よりもお金をかけずにできる。そしてその腕は日々みがかれており、一定以上のクォリティも出る。ビジネスではこれで十分なんだな。

【だから、あなたの仕事はなくなる】
そして、多くの人が生きるためにしている行動・ビジネスというものは、要するにそういうことである以上、その多くは生成AIで十分か、それ以上、ということだ。だから、生成AIのできた社会では、人とは「生成AIに入力するものを新たに作る」役目、ということになる。人はAIによって、より創造的なことに目を向けられるんですね。良く言えばね。

【失礼ながら山下先生を例に考えてみる】
たとえば、だが「山下達郎・生成AI」は、山下達郎がこれから作るであろう楽曲を量産できる。山下達郎がいなくなっても、山下達郎の楽曲を一定以上の品質を保ちながら量産して「新しい楽曲」という商品を永遠に作って売ることができる。しかし、もとは山下達郎という人の創造したいくつかの楽曲だ。その元だけ作れば、山下達郎はその作品を生成AIに放り込んでおけば、後は遊んで暮らせる。歌詞、曲、アレンジ、レコーディング、プロモーション、全てにおいて「それっぽいもの」を、一定以上の品質で量産できる。

【生成AI時代に食えなくなる人】
生成AIのある社会における「人」とはつまりそういう役目に変わる。そういう役目を担えない人は人ではなくなり、食えなくなる。人は生成AIの入力を新たに創造する、本当のクリエイターにならざるを得なくなるんだね。「人とは、本来、なにをすべき存在だったか」に立ち返る時代がやってきたのだろう、ってことだね。エラソーに言えば、ね。

【道具を作る道具・なにしてるんだかわからない人】
人が作った「道具」は、道具自身が道具を作っていく時代になった。なにをしているんだかわからない、と、多くの人に言われる本物の芸術家こそが人としての本来の価値を持つ時代に変わる。

あなたの仕事とは、果たしてどちらだろうか?

生成AIの時代に生き残れる仕事か?

生き残れない仕事か?

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