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司馬遼太郎と山田洋次とウンコの話。

【司馬遼太郎が描いた「高度経済成長期の組織人の生き方」】
司馬遼太郎の小説は「竜馬が行く」を含めていくつか読んだが、やはり日本の大企業や大組織に生きる人には、いずれの作品も、あの当時の日本という地域の組織での生き方、組織内での自分の建て方等を学ぶ上で、やはりそれなりの作品であったろう、と思う。そう思って今、司馬の作品を読んで見ると面白い。

【坂本龍馬と坂本竜馬】
実際の史実の「坂本龍馬」を題材にした司馬遼太郎の「創作」である「坂本竜馬」という人間像。今の時代から見れば、だが、日本の大組織内で生きていくための「指南書」として、それはあったわけなので、作品を肯定するとか否定するとか言うのではなく、あの時代にはこういう本が必要とされる人が多かったのだ、ということなんだね。つまり、史実の「坂本龍馬」と小説の中の「坂本竜馬」は、あまり関係ない。司馬遼太郎自身も、それを意識して小説を書いているので、主人公の名前を変えて「龍馬」ではなく「竜馬」としているんだね。

【日本の組織人としての生き方の肯定と否定】
どれもこれも、人の人生であって、それぞれがそれぞれの立場で精一杯やっていて、それぞれがひとつの立派な生き方で、後ろ指さされるようなものではないことに間違いは無いんだが、昭和の時代に幅をきかせたような大組織にいると、人は自分をどこで殺して、どこで自分を解放するか、という二律背反を生きる必要がどうしてもあったんだな。今はその「軸の位置」はずれたような感じはあるけれども。そんな時代に「司馬遼太郎」の作った「坂本竜馬」が組織内で生きる指針となったんだろうね。一方でサラリーマンの世界にいながら、ニヒル(←この単語も古色蒼然としてるなぁ)に自分の生き方を、むしろ否定して捉える側に「山田洋次(寅さん)」の世界があったんだろうな。この両者が、あの高度経済成長期の日本の庶民の心のなかの二つの柱のような感じがするねぇ。

【歴史家の仕事】
歴史家から見れば「坂本龍馬って、持ち上げられるほどじゃないけど、面白い人がいたよね。司馬遼太郎は小説家として良くやったよね」という評価なのであって、まぁ、そういうものなんだな。歴史家は、過去を現在に引きずり出して、過去の人を目の前に立たせてウンコするところを観察するようなところがあるからね。

【小説家の仕事】
司馬遼太郎の作った「坂本竜馬」は、ウンコしない坂本龍馬なんですね。小説(作り物)だからね。でも、面白かったよね。

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