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諸事雑感。「グローバリスムは世界を救う」

【コロナで重症化しました】
コロナで重症化してから、なんとか戻ってきた感じがあるのだが、人間というのはわからないもの。そう思って、毎日を暮らすようになった。

【闘病は人生の常】
闘病というのは、それが在宅であれ入院であれ、世間というものと切り離された感覚がある。それについてポジティブな言い方をすれば、長期の旅行のようなことだろうし、悪く言えばその旅行の先に希望は無い旅、ということだ。とは言うものの、人生というのは健常であっても「あれが足りない」「これが不満」「なんとかしないとしょうがないが、できない」などなど、しょせん満足というものはないのだから、毎日が闘病のようなものなのかもしれない、という思いもある。違うのは、それが自分の生存に直接関わるか、そうでないか?というところだ。今の日本では、ね。

【「正規」でも安定していない】
最近はあまり言わなくなったようだが「ノマド」が普通になったせいか、どこに行っても電源がありWi-Fiがある。持ち歩くノートPCの電源もあまり大きくなくて、2時間ほどしか持たなくても、なんとかなる。まちなかのカフェ、コワーキングスペース、などなどがある。昔のように「定職について」という感じでは、今は、特に若い人からそうではなくなってきている。多くの会社組織も貧しくなっており、多くの正規職員を抱える会社は明らかに減っている。また、正規の職員になったとしても、その会社の方針変更でいつ切られるかも分からず、保証はかつての時代よりない。

【「役人は終身雇用」は日本だけ】
外国に行ってしばらく住めばわかるが、多くの国では日本のような「終身雇用が保証されている役所の正規職員」はあまりない。日本は例外と言って良い。お隣の韓国でも「公務員」は非正規がほとんどだし、大学教授もまず非正規職員・期間雇用だ。日本でも、役人の非正規化は進んでいる。派遣会社を使うなどを多くやっている。全体的な税収不足・経費増加があるので、役所でも人件費を削る必要があるからだ。

【「昔とは違う」ことを意識すべし】
とは言うものの「昔とは違うから」で「日本というこの地域の将来を憂える」というのはどこか違う気がする。「正規が・非正規が」というのは、そういう「古い観点」からの言い方のように思う。時代は明らかに変わって、世界的に経済社会そのものが「息切れ」している感じがある。日本から見れば遠い地での戦争だって、昔とは違い「息切れ」が感じられるのだから。

【戦争は復興需要を生み出さないんじゃないの?】
第二次大戦のときのような戦争では多くの命が失われてしまう。お金で言えば、巨大なお金がかかるだけではなく、戦後の復興なども考えれば、更に大きなお金が長期でかかることは目に見えていて、それが「経済復興を促し景気を良くする」とは古い人は言うが、戦争をしている当事者以外の地域がある程度豊かでなければそれはない。地球規模の温暖化などに戦争やその復興のような「無限の消費」が地域の自然環境に良い影響を与えるはずもなく、結局は一部地域の、旧来型の戦争は地球全体・人類全体の衰退を促進するだろう。「ローカル」と「グローバル」は、かつての時代より密接につながっているのが「現代」という時代だからだ。つまり、ローカリズムという「贅沢」はグローバリズムに支えられている、ということがほとんどだろう。そこを「見なかったことにする」というのは「偽善」というのではないのかね?

【ローカリズムはなくなった。グローバリズムだけが生きる道】
結果として、グローバリズムでないと、地域経済も成り立たない時代になりつつある。よく「反グローバリズム」の話を聞き「地産地消」などが良いことのように言われるが、例えば地域の食材で作ったお菓子を入れる袋は中国製でないと品質の良いものは手に入らない、なんてことがある。袋を包むリボンは?お菓子を焼くのに使う火を起こすエネルギーは輸入だろう、と言われれば、どうするのだろう。元となる食材だけがその地のものであっても、それ以外のものが地元のものでなければ、例えば戦争で全く地域断絶がおきたとき、なにも作れなくなってしまう。

【自動車も半導体も「それだけ」では意味がない】
自動車だって、消費者にディーラーからエンジンだけ渡されても困る。エンジンだけ渡されて自前で自動車を作るにしても、技術も必要だし、材料も必要だ。工作機械も、それを動かすエネルギーも、技術習得も必要だ。電子機器も同じだ。半導体チップだけ渡されても、それをスマホという「使えるもの」にするには、様々な地域の様々な産業や人を足していく必要がどうしてもある。

【グローバリズム否定は終わりの始まり】
グローバリスムの否定は、人類消滅へのカウントダウンの速度を速める。ぼくはそう思うのだが。

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