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検索しても答えはないよ

【検索!】
今どきの20歳代から30歳代の人たちと一緒に仕事をしていて思うのは、何かにつけてわからないことはネット検索、と言うスピードの速さだ。会議室で会議中にスマホをいじるのは今や国会議員でもやっているので、許されることは多くなったし、私も別に構わないと思うし、大学入試などの明確な禁止場所でもない限りは、会議中にスマホはむしろ会議をより有用にするためや、議事の結論にできるだけ早く至るためには、必要なことでもあると思う。時代が変われば、新しいもので有用なものはどんどん取り入れるのは必要なことだ。年齢に関係なく、だ。新しく有用な道具を素早く取り入れることができないビジネスマンは早く消えてくれ、とも思うくらいだ。

【検索してもわからないこと】
しかし、一方で気になることもある。検索すればわかることもあるが、わからないことも世の中にはあるのだが、若いときは社会経験が少ないので、検索してわかることとわからないことを、検索前に知らない、と言うことだ。そのため、わからないことはなんでもかんでも検索する。結果として、検索してもネットに転がっていないものに当たると、(1)無駄な時間を多く過ごしてしまう。さらに、時間のロスだけではなく、(2)世の中にないものを自分の頭で考えて分解したり作り出す、という頭脳がなかなかできないまま、年齢を重ねてしまうのだ。

【事前に「検索してもないよ」】
そのため、私は若い人の前に立って教えることがあるとき「ここはまだわからないと思うけど、自分で答えは考えて下さいね。ネットで検索してもどこにも回答はないですよ」「これがわからない人は、このキーワードでネット検索すると出てくるから、しっかり読んで理解してくださいね」と、事前に彼らのやりそうな行動を予測して、彼らに無駄な時間を使わせないようにしている。が、いるんですよ。「検索しても出てないよ」と言ってあるのに検索する若い人が。おい、プログラム組め、って言う授業だよここは。自分で考えないで丸写しできるものなんかネットにはないよ。てなもんである。それを言っても、ネット検索して答えを探す学生が後を絶たない。ちなみに、これは私が教鞭に立った2013年頃の韓国での話だ。日本でもどこでも、同じ様になっている、とは友人から聞いたが。

【「八百屋に行って魚を買うな」なんだが】
だからさ、八百屋に魚買いに行ってもブリの切り身は売ってないよね。って、そうか、いまどきは何でもあるスーパーマーケットだもんな。「魚屋」とか「八百屋」って死語かもしれない。「ネット検索」は、スーパーマーケットのようなものかも、などと考えて見ることも最近はなくはない。イマドキはスーパーの入った大型ショッピングモールに入れば、スマートフォンからキャベツまで、買い物に疲れたらコーヒー飲んで座って、までできるのだ。オジサンは表現一つでも考えて表現しないと行けない「激変」が進行しているのが今の世の中である。

【「世の中にあるもの」で生きていくには事足りる。多くの人にとっては】
「自分の頭で考える」ことを訓練されていない若い人が増えた。それを楽しい、と思えない若い人が増えた、というのが実感だ。いや、若い人ではなくてもそうだ。めんどくさい、と思う「知の怠惰」が当たり前になったのだ。だから新しいものがなかなか生まれない。「一般人」は今、世の中にあるものが全てだから、検索で全てがわかる、と思ってもいいのかもしれない。それでとりあえずは生きていけるのだから。

【「自分の頭で考える」ことには大きな価値が生まれる】
逆に言えば、今、世の中に無い、新しいものを作る仕事には、以前にも増してかなり高い価値が生まれる、という世の中でもある。「なにか新しいことはないか」と探して回る、その世界で楽しもう、というのが「技術革新」というものだ。

【どうやら世の中には2種類の人がいる】
こういうことを書いていると思うのだが、世の中には2種類の人がいるのじゃないか、と最近は思っている。(1)世の中に無い新しいことを面白いと言って、人間の社会の中に新しく取り込もうとする人。そして、(2)今ある世の中の範囲内でつつがなく暮らせれば良いと思う人。そして、(2)の人はつぶやく。

「何か面白い事は無いかねぇ。」という言葉は不吉な言葉だ。
 (
1910年『硝子窓』:石川啄木)

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