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新・ビジネスは「個性」を使え

【かぜ薬は「あなた」に効かない?】
例えば「風邪にはこの薬がいい」という情報があったとしよう。広告でもいいし、SNSの口コミ情報でもいい。でも、それは「多くの人にはその薬がいい『はず』」ってことであって、あなたに本当に合うかどうかは実際に飲んでみるまでわからないわけだよね。人の身体にも「個性」がそれぞれにあるから、細かいところまでしっかり検証すれば「合わないところ」がたくさん出てくるものだからね。

【薬は飲んでみるまでわからない】
薬の場合でも、確率として「合う可能性は低くはない」というだけで、実際にその人個人に効果があるかどうかは「飲んでみるしかない」。つまり、マスコミ情報にしろ、製品にしろ、医薬品にしろ、医療行為にしろ、なんにしろ、私達が手にする「マス・プロダクト」の群れは、この「薬」のように「確率的にあなたに合う可能性が高い」という「だけ」で「本当に合うかどうか」は、実際にそのプロダクトやサービスを使うまではわからない。薬であれば「飲んでみるまでわからない」。予想もしなかった副作用が出てくるかもしれない。

【「合わない」がビジネスになる】
当たり前と言えば当たり前なんだが、この「合わないかも知れない」が、いよいよ「ビジネス」になる時代が来たんじゃないかと思うんだな。その人に合わせた、きめ細かなところに手が届くもの。それがこれからの「ビジネス」の新しい流れになっていく可能性が高い、と、私は思います。ビジネスである以上、「採算」が考えられなければならないから、今まではコストがかかりすぎて、事実上できなかった「(個別の個性に対応する)モノ・コト」が、ITの発達で「マスと同じくらいのコストでできるようになった」のが現代と言う時代なんだと思います。であれば、明らかに「個性・現場に合わせたなにか」がビジネスになる。そういう時代に変わったのじゃないか、と思うわけです。「個性の時代」が、幕を開けたのだ、と私は思っています。

【ITが「個性」を「ビジネス」にした】
インターネット関連の情報産業では、稼ぎ頭はやはり「広告」だけれども「広告」は「(一律に同じ情報を)広く告げる」わけで「多くの人に刺さる『はず』」という視点で作られている。しかし、今はその人の検索履歴などから、その人にあった情報だけが表示されるようになってきていて、これはインターネットとデータベースの為せる技、ということだね。

【「マスの時代」の終わりの始まり】
同じものを多数作ることによって1つあたりの販売価格を抑えた「マス・プロダクト」が、今日言うところの「商品」であって、自分に本当に合うかどうかは、それを実際に使って見るまでわからない。ときには、ヒトは「マス」に合わせるために、自分の方を変えなければならなくて、実際に変えた。いまごろ出てきた「ルッキズム」などのキーワードをたどると「マス」が終わり、マスにヒトが合わせる時代が終わってきたのを感じざるを得ない。いつだったか、テレビで「多くの個性のある女性の顔をコンピュータで合成すると、美人になる」ということを実証した番組があった(男性でも同じ)のを覚えている。「美人」をなぜ「美人」と思うのか?そこに答えがある、と思ったよ。なるほど、「美人は3日で…(以下、問題があるかも知れないので省略)」っていうのはそういうことかぁ。

【あの大衆車が数億円!】
ちなみに、いま、100万円ほどで買える「自動車」は、もしも設計から1台だけオーダーすると、数億円になる、という試算もある。スマートフォンからテレビ、医薬品に至るまで「量産効果」で、コストを抑え、私たち現代人の「豊かな生活」はできている、と言って良い。私たちはこれまで当然のごとく、自分の持ち金やローンで払える毎月の金額を考えて「数億円のオーダーのカローラ」ではなく「100万円の量産品のカローラ」を買って、なんとか量産品に自分の好みや身体をあわせる必要があった。しかし「100万円のオーダーのカローラ」を手にする時代が目の前に来たのではないか?そう思うのだ。

【IT化が可能にした】
インターネット化、データベース化(広義の意味でのデジタル化)で始まった「情報」の「各人の個性に合わせた情報提供」は、そのまま、これから「モノ」にも波及し、最後は人の集まりである「組織(会社とか国とか)」にも波及するだろうな、と思うのですね。政治家って、これからどうするんだろう?

【ヒトという概念が消える?】
これが究極まで行けば、多くの「人」は「多く」ではなく、個々の人、という考えになるから、現在ある、あらゆる「マス」のプロダクト、サービスは、儲かるビジネスにはなりにくくなるだろう、と思うし、これが行き着くところまで行けば「人」という「ひとかたまりのある特徴を持った動物の概念」さえ消えていく、ということになるのかもしれない。うちのタマもオレも「それぞれが個性を持った個体」であって、それ以上でも以下でもなくなる。

【「個性の尊重」は止められない】
いま、この流れは先進国の情報産業で始まったけれども、この先は「コスト」で、これまでは意識されなかった「個性のネグレクト」が、次第に顕在化し、デジタル化によるオーダー・コスト低下で、個性に合わせた「モノ・サービス」ができていく社会になる。であれば、人という動物の将来はわかりやすい。すべてのヒトは自分の殻に閉じこもり、やがて人間の社会は崩壊していき「(従来のヒト世界での分類で言えば)ヒトとは単に脳の発達した動物の一種」となる可能性もある。そこまで行き着くかどうかは誰もわからないけどね。

「個性の尊重」とは、即ち、遠い未来での人類文明滅亡への入り口かもしれない。だからといって、この流れを止めることは誰にもできない。であれば、直近のこの「デジタル化され個性を際立たせるビジネスの展開」こそが、ビジネスマンの次のターゲットになる。この流れはデジタル化が作る大きな人類文明必然の流れだからだ。

健闘を祈る。

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