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『ふと猫さんが通る』 五話。 猫も杓子もなんとやら。

「俺の目を見て言えるか?」
「言える」
「ちゃんと見ろよ」
「見てるわ」
「そうじゃない。心の眼で見ろっていってんだよ」
「そういうのがムカつくんだって」
「どうでもいい。俺のアイス食った? ってさっき聞いた答えを俺の目を見て答えろって言ってるだけだから」
「それがめんどいんだよ」
「だから、こっち見ろって」
「うるさっ」
「ってことは食ったな。間違いなく食ったな。ハーゲンダッツ。抹茶。マカダミアナッツ。レーズン。お前はどれ食べた?」

 テーブルの向かいに座る彼女を睨みつけて瞳の奥をじっと見る。彼女の瞳には後ろを通り過ぎる飼い猫の姿が映る。猫は欠伸していた。

「もうよくない? 食べた食べました。それでオールオッケー。何を食べた、何個食べたとか言い合いっこナシって決めたじゃん。自分の物なら名前書いておくこと。そのルール破ったのはそっちだから。書いてなかったから食べた。それだけ。それで済まそうって」
「よくない。ぜんぜん良くないです」
「ネチネチすんなって」
「俺がさ、言いたいのはよ、冷凍庫開けた時に、あれ? アイス食べた? って聞いたじゃん。その時になんて言った?」
「食べたかも」
「かもって何だよ。かも。地味に誤魔化そうとするの何で? なんでなん?」
「だって突っかかってくるのわかってたからさ、めんどいじゃんそういうの」
「だから。それが嫌なんだって!」

 猫が彼女の膝に飛び乗ってきた。怖いでしゅねーって言いながら背を撫でる彼女に更に苛立ちを覚えた。

「例えば。例えばさ。俺がだよ。ビール開けました。金麦ね。一人で飲んでます。風呂上がりバスタオルで髪の毛拭きながら何か飲もうかなぁーってリビング来ました。来ましたね。そこにテーブルで飲んでる俺。どう思うよ」
「あっ金麦飲んでんな」
「違うじゃん。なんでひとりでのんでんの!?」
「そんな感じにはなりません」
「じゃあさ。スーパードライ。それならどうよ」
「嫌いじゃないけどムッとする程じゃないかな。スーパードライなら。あなたのお金で買ったものだし」
「んーー……。じゃあエビスなら?」
「はぁ? 何飲んでんの? って言う」
「ほら言うじゃん!」
「エビスはたっけぇし言うよ」
「それとこれは同じことなの!」
「いやぁ。違うでしょ」
「どこが違うんですか!」
「貴方は三つの選択肢を出しました。金麦とスーパードライとエビスね。で。この話を聞いてる時に、はじめはしらんがなって思ってました、でも、こう想像するのね。コイツ飲んでんなーって。で、始めは金麦。金麦か。次はスーパードライ。まぁ許そう。でもね、この中でボルテージ上がってってる訳。なんか飲んでる。なんかやだな。混ぜろよーって。それで出されたのがエビスだったらだよ、そりゃ一言あるでしょ」
「おんなじじゃん!」
「何が?」
「俺の話とだよ!」
「ぜんっぜんちがう!」
「どこが?」
「だってただいまーってダレた声しながら帰ってきて突然冷凍庫開けて俺のアイス知らない? って言ってきた人と、少しずつ焦らされてボルテージ上がった私と全然違う! 数億倍違う!」
「おなじだわ!」
「違うねーー。ワタシは揚げ足取った感じでそしたらさーとか言って例え話で持ってきた話をコロコロ変えて人をイラつかせたりしませんー」
「同じだね! 俺は今朝出掛け際に昨日アイス買ってきたらって言われて、バンホーテン? って聞いたら、いや奮発してハーゲンダッツ買っちゃったって聞いて、その瞬間からボルテージが上がってたんです!」
「あの時、ふーんって感じだったじゃん」
「考えてみ? あの時にふーんって思った感情が仕事中にどんどん膨らんでく訳。あー……アイスあったな。ハーゲンダッツって言ってたっけ? バンホーテンじゃないってことは小さいカップのやつかな? という事は味なんだろ? 抹茶はマストとして、最近レーズンハマってるんだよな。食べてみたいな、レーズン」
「そんなこと思ってたの?」
「そしたら吊り革に揺られながら、もうハーゲンダッツの事しか考えてない訳。今朝、会話したって事は残しといてくれるだろうなとかさ、ということは、一緒に食べよってことなのかなとかさ、そしたらちょっとワクワクしてた訳よ。でも、大の大人がルンルンで帰ってくる訳にもいかないから、いかにもフラット普通ですーってトーンで帰ってきた訳よ。心の中はルンルンよ。ボルテージ上がっちゃってるんだから。でも、平静を保って開ける訳。冷凍庫が開きます、あれ? 一個しかありません、もしかして食べたのかな? それはないだろ……。この流れよ。ほぼ一緒でしょ! この流れ」
「でも、風呂上がってきてから少し黙ってたじゃん」
「それはシャワー浴びながら葛藤してたの」
「何と」
「そんな事考えてんの大人気ないかなって」
「言えばいいじゃん」
「やだよーー。ダサいじゃん」
「今の方がずっとダサい」
「だから黙ってたの。こうなりたくなかったから」
「めんどくさい男」
「そうですよ。めんどくさいですよ。でも、こういう事が大事でしょ。一つ一つの積み重ねがって聞くから、なら、言わなきゃって感じで切り出したんだから」
「いや、普通に怒ってた」
「違います」
「違わないね。もうさ、めんどいからやめにしよ。やめやめ。ビールでも飲んで今日は終わりノーサイド。今度また買ってくるから」
「それじゃ俺の気持ちはどうすりゃいいんだよ」
「めんどくせ」

 言い争いを目で追いながら撫でられる背の感触にも飽きたのか猫は彼女の膝の上から床に飛び降りる。後ろ目に言い争う様子を伺って欠伸をしながらキッチンへ向かう。

「だからさ。もうおしまい」
「じゃあ残りの一個俺が食べて、また明日買ってきてね」
「はぁ? なんでそんなことしなきゃなんないの」
「一緒に食べたいじゃん」
「それめんど。だからさ、いっつもいってるけどさ、そうやってワタシに色々注文……」

 キッチンからカンカンと音が聞こえる。
 二人は目を丸くして同時にキッチンを見た。俺はキッチンへと向かった。

「あー。ご飯か。すっかり忘れてた」

 猫は白磁の餌皿を爪でカツカツ叩いている。主人が来ると、ニャアと一言鳴いた。俺は愛らしい仕草のそれを抱きかかえながら、
「キャットフードってどこしまってたっけ?」と、居間の方に声掛けた。

「あっ。スーパーで買うの忘れた。もしかしたらないかも」

 彼女もキッチンに駆けてきた。ひとしきり戸棚を開けても見当たらない。彼女はゴミ箱を開けて中を見た。

「まっず。切らしたかも」
「えっ。マズイじゃん。んー。コンビニ?」
「スーパー8時までだからコンビニかな」
「そっか。俺行ってくるよ」
「お風呂入っちゃったじゃん」
「いいよ。いいよ。ちょっと行ってすぐ戻ってくるし。足洗うくらいで寝れるから」
「いや。私行ってくるね。今日はお風呂まだだし」
「いいって。俺が行くよ」
「いや。買ってくるよ。そしたらさ、今日の話をリセットできるじゃん」
「何が?」
「みんなで一緒に食べよ。ムウちゃんとあなたとわたしと三人で。だから買ってくるね。みんなの分」

 そう言って猫のほっぺを彼女はつついた。まんざらでもなさそうな表情で顔をぶるぶるさせた。

「じゃあ行ってくるね。何味がいい?」
「ん。あれば……抹茶かな」
「抹茶ね。了解。それとアレもちゃんと買ってくるから」
「アレって?」
「エビスビール」

 彼女はダウンを羽織ると俺とミウに手を振りながら玄関を開けた。もちろん手を振りかえした。俺もミウも。

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