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一人っ子は可哀想の罪悪感をやっと手放せた話

娘が生まれてから9年くらい、何度言われたかわからないこの言葉。
昨日も言われて、あぁ書き残しておこうと思ったので書いておこうと思う。

昨日この言葉を言ったのは私の母。
そして、私に言ったわけではなく私の甥っ子(弟の息子で、現在義妹は妊娠中)に向けて「◯◯くん、ママに赤ちゃん出来て良かったわね〜。一人っ子は可哀想だもの〜」と言ってるのが、道の先を歩く私と娘にも聞こえてしまったのだ。

いや、本当にデリカシーという言葉をどこかに置いてきたんか?
と問いたくなるシチュエーション。
まず、声がでかいのよ。
言うなら、せめて小さい声で言って欲しい。
これ、小さい声なら良いと思うのは母がそう思っていることはこの9年で嫌と言うほど痛感してるから。

母や私たちの親世代では「一人っ子は可哀想」はもはや共通言語なんだと思う。
だって、私の友達に言われたことないもん。
それ言うの、だいたい親世代だもん。

だから、その世界で生きているんだなぁと思うようにしてからだいぶ聞き流せるようになっていたのに、どうして昨日は聞き流せなかったんだろう。

と、思ったら多分「娘に聞こえた」からだったんだと今気がついた。
なんで私がいるのにそんなこと言うんだろうって一番に思ったけど、
そうじゃなくて
甥っ子は可哀想じゃなくて
娘は可哀想
って図式がすごく悲しくなったんだと思う。

そして、それが娘にも聞こえてしまったから。
咄嗟に反応して「聞こえてるから!」って言ってしまった私に、
娘がポロッとこう言った。

「私、一人っ子で全然可哀想じゃないよ」

続いて
「だってゆき(ハムスター)もいるし
ママのことだって独り占め出来るもん」

泣いた。
すぐ我慢したけど…。

可哀想か可哀想じゃないかって、他人が決めることじゃないと思う。
だから、ずっとこの余計なお世話な発言に曖昧に笑ってきたけど、
娘がそう言ってくれてるならそれが全てなんだ。

ずっとずっと無理に自分に納得させてたんだな。
そんなこと言われたくない
そんなことわからない
一人っ子だって可哀想とは限らない
とか。

そんな罪悪感を消してくれたのは、他でもない娘だった。
可哀想な人生にはしないって決めてるけど、
その気持ちを更に強くしてくれてありがとう。
愛してるよ。

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