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港、港、港街、横浜


ひーさんのこの作品を読んで、すっかり忘れていましたが、わたしは浜っ子でした。

横浜市歌、未だに唄えます…
森鴎外作詞は知りませんでした、一つ利口になりました。

山下公園、よくデートをしてました。
昔はものぐさではありませんでした。

中華街、裏道の細い路地にあった地元民しか知らない店でみんなでワイワイ楽しみながら食事をしました(いまは昔の話しです)。

元町も幼い頃から行っていました。

富山から伯母たちが出てくると横浜の名だたる観光地には連れて行かれました。

山手の十番館では富山から遊びに来た祖父を連れて、食事をしました。

みなとみらいの観覧車は良く乗りました。
息子たちが小さい時は海を見ながら、動くパンダちゃんにも乗せました。

昔からシーバスは大好きで、ことあるごとに横浜駅東口からみなとみらい(昔は山下公園)まで海風に当たりました。

ロープウェイができたことはテレビで知りましたが、まだまだ乗っていません。

友だちがみなとみらいのホテルに勤めています。
でもホテルには遊びに行ったことはありません。

港の見える丘公園の奥に神奈川文学館があります、そこには何回か母と出掛けました。

わたしの実家は横浜ですが山の中、良く富山の祖父にバカにされるほどの田舎でした。

実際には横浜、港といういいイメージのついた街ですがどんなものでしょうか…

港街、横浜

プライドだけは高く、神奈川なのに他の県民とは別格です。


山根あきらさん
ひーさんの「港にまつわるエトセトラ」を読んでいるうちに…つい書きたくなりました。

横浜市民は必ず出身は?…と聞かれると「横浜」といいます。決して「神奈川」とは言いません。

あしからず

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