見出し画像

ぶるぶる、ぶるぶる怖かった

すずさんのお家でお茶のお稽古をしていただきます

お試しで

立ち振舞いやお茶の飲み方を習います

五月にはお茶会があるから
それのお稽古をいたします

その後にお笛仲間のお店での篠笛のミニコンサート

すずさんは車を出してくれると言います

駐車場から反対側に車を出そうと待ちますがなかなか車が途切れません

やっと左右の車が途切れたのを見計らって右折をすると
キキキィ~と猛スピードで車がやって来て
急ブレーキでぶつかる寸前
ええっ、怖かった

そうしたらぶつかりそうになった車が
怒りまくり、ビビビ~と執拗に警笛をならしながら付いてきます

なんだかとても怒っている
それは無理やり道路に出た私たちも悪いと思い
すずさんは車を路肩に止めました

後ろの車の運転手の怒りかたは尋常ではありません

怖い、怖い、怖い、怖かった
心臓バクバク

あぁ、何で車に乗ったのか、電車でも良かったのに
後悔がやって来ます

すずさんは怒鳴り散らす後ろの車の運転手を相手にひたすら頭を下げています

車の中の台車が急ブレーキで飛び出してカーナビの額面が取れたといちゃもんをつけられます

原因は台車をちゃんと留めていなかったこと(良く考えれば分かるはずでした)

相手は警察を呼ぶと息巻いている

車は事故を起こしていないのに警察?
すずさんはことを穏便に済まそうと切れない

大人の対応をいたします

わたしなら凹んだまま落ち込むだけのお子ちゃまでしょう…

相手は恫喝のようにすずさんを責め立てます
「お前のせいだ」と言わんばかりに

車の中で待っているわたしも怖くてたまらない

壊れたカーナビの画面をスマホで写メをとり、名刺をもらいました

相手は運送業、とても急いでいたのでしょう

本当は警察に相談をすれば良かったのにと後々息子に言われます

これはどういう意味でしょう
神様は何かを教えたくて見せられます

良いことも悪いこともない
そう学んで来ました

生きるとは楽々な道ではありません

ミニコンサートをやるはずの華さんのお店に着きました

まだお客様がいて忙しそうです
少し余裕ができたところで
すずさんは華さんに今起きた出来事を話しています

華さんも以前に似たようなことがあり、割れたワインを弁償したと聞かされます

でもそれは後から保険会社に聞くと「事故ではないからあなたのせいにはならない、弁償はしなくて良かったのに」と言われたのでした

わたしも頭の中はまだまだモヤモヤしています

すずさんと華さんの篠笛のミニコンサートはわたしのためにやって下さるようなものでした

篠笛を聞いているうちに泪が出そうになりました…

わたしはわたしなりに帰りの電車で頭を冷やします

「事故にならなくて良かった」
それが一番

「ありがとう」と思いましょう

後からすずさんから連絡があり華さんが知り合いの保険会社の人に聞くと
すずさんの件も相手の自己責任になると言うことでした

「もう怖いから保険会社に入ってもらう」

「自分の身は自分で守らないと…」
とすずさんは言っています

何かの学びと思っても
これは経験、これは成長のためと感じても

本当はこんな経験はしたくなかった

それでも何かある
有るから経験させられる

頭の中で無限ループが始まります

すずさんはわたしが隣にいてくれて
ありがたかったと言ってくれます

わたしが怪我もなく無事で良かったとといわれました

それでも
おやさまのところでお話しを聞いて
守られているはずなのに

確かに大難は小難になりました
誰も傷つかず、車もぶつけないで済みました

何にも無いことがいちばんではないかと
凡人のわたしは思います

でも何にもないと人間は、魂は成長しません

人間はダイアモンドように互いに磨き合いによってしか成長しないと言われます

わたしはこのことで頭がいっぱい

そんな時の翌朝早くに息子が
車を洗うとやって来て

「お母さんの話しを聞いたから時間がギリギリになった」
と暴れて出かけて行きました

あぁ、ここにもいた
人のせいにするやつが…

怖い、怖い、怖かった

トラウマのように思い出す

息子のことはあぁ、またかよ
いつまで同じことを繰り返す
甘えるのも大概にしろよ
と終いには思うけど
黙るが勝ちと受け止めます
最近、やっと…


何かを教えられて生きて行くのが
この世におりて来た意味なのでしょうか

魂の成長のために

そして世の中は何事もなかったように
川の流れのように
進んでゆきます

水と神とは同じこと
全てはサラサラと流せばいいのです

そんな人に成れたらいいのに

自分のやったことは自分にしか返らないのだから

それでもやっぱり怖いのはイヤです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?