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老人の壁 (養老 孟司・南 伸坊)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 この手の養老孟司さんの著作は久しぶりですが、今回は南伸坊さんとの対談形式ということで、どんなやりとりが繰り広げられるのかちょっと興味を抱いて手に取ってみました。

 もちろん、お二人のやりとり(掛け合い)にも面白いところは多々あったでのすが、私として気になったのは、いくつかの養老さんのことばでした。

 たとえば、「自分探し」という風潮について。

(p52より引用) 本来の自分っていうのがすでにどこかにあって、探し出せばいいっていう考えなんだけど、それ、たぶん違うんです。自分というのは、探すものではなくて作るものなんです。

 「自分探し」を求める人は、“自分を探す→自分を見つけに行く”ことを目指して「旅に出る」ようですが、これは、旅という「非日常経験」をきっかけに、“自分を作る(≒磨く・鍛える)”のではなく、「ああ、自分は本当はこういう人間だったんだ」と、自己内部にある「自分(なるもの)」を見つけるということなのでしょうか? これが “(ひとそれぞれがもっている)個性” というもの?

 で、次に、この “個性” が大事であって、それを伸ばしていくんだと続いていくのですが、その過程でしばしば登場する “Only One”思想 を養老氏は否定します。

(p53より引用) 生まれつき持っている他の人と違う個性が一番大事だと、親も子どもも思うようになった時代に、僕は教師をやらされていたんですよ。・・・教育っていうのは、本人の本質に関係ないものなのに、個性を伸ばすとかいうことになれば、それはもう、教育なんか要りません。・・・僕は「人を変えるのが教育でしょう」って言ってるんだけど、「そんな恐ろしいこと」と今の先生は思っているんです。

 「教育」は “学び” です。
 よくいわれるように “学び” は「真似(まね)」が基本ですから、「教育」は、(他人を)真似ることによって “自分にないもの” を習得していくプロセスともいえるでしょう。
 したがって、その結果の姿は生まれたときとは異なっているはずです。
 もちろん「個性」を否定するものではありません。「個性」は伸ばすものというより “尊重する” ものだととらえるべきだと考えているのです。
 そこでの「個性」は「個々人の多様性」ということ、すなわち「違いを認める」ということです。

 もうひとつ「高齢化社会」の異常さについて。
 医療の進歩によって、“物理的・生物学的な長寿” が目的化してしまっている兆しに対し、養老氏はこうも語っています。

(p135より引用) だからもう、人間に対する理解っていうのが、根本的にダメになっているんでしょう。改めて、「人生とは何か」とか「社会とは何か」とか、あえて青くさいことを、考え直さなきゃいけない時代になっていると思います。それなのに、「一億総活躍しろ」なんて、誰かが活躍したら、誰かが突き飛ばされますよ(笑)。世のため人のためって無駄に動き回る人、いっぱいいるじゃないですか。
 「僕は普通に、その人が活きる社会って言いたいですね。同じスローガンなら、「一億総じっとしている社会」のほうがしっくりきます(笑)。

 主張のポイントは「その人が活きる(not 生きる)社会」というところですね。

 最後に、養老さんが紹介している言葉で、まさに今に相応しいものがあったので書き留めておきます。

(p50より引用) 人間は騙し通すことができるかもしれないが、自然は騙せない

 スペースシャトル「チャレンジャー号」の事故調査報告書に物理学者ファインマンが記したことばとのことですが、そのとおりでしょう。



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