老人の壁 (養老 孟司・南 伸坊)
(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)
この手の養老孟司さんの著作は久しぶりですが、今回は南伸坊さんとの対談形式ということで、どんなやりとりが繰り広げられるのかちょっと興味を抱いて手に取ってみました。
もちろん、お二人のやりとり(掛け合い)にも面白いところは多々あったでのすが、私として気になったのは、いくつかの養老さんのことばでした。
たとえば、「自分探し」という風潮について。
「自分探し」を求める人は、“自分を探す→自分を見つけに行く”ことを目指して「旅に出る」ようですが、これは、旅という「非日常経験」をきっかけに、“自分を作る(≒磨く・鍛える)”のではなく、「ああ、自分は本当はこういう人間だったんだ」と、自己内部にある「自分(なるもの)」を見つけるということなのでしょうか? これが “(ひとそれぞれがもっている)個性” というもの?
で、次に、この “個性” が大事であって、それを伸ばしていくんだと続いていくのですが、その過程でしばしば登場する “Only One”思想 を養老氏は否定します。
「教育」は “学び” です。
よくいわれるように “学び” は「真似(まね)」が基本ですから、「教育」は、(他人を)真似ることによって “自分にないもの” を習得していくプロセスともいえるでしょう。
したがって、その結果の姿は生まれたときとは異なっているはずです。
もちろん「個性」を否定するものではありません。「個性」は伸ばすものというより “尊重する” ものだととらえるべきだと考えているのです。
そこでの「個性」は「個々人の多様性」ということ、すなわち「違いを認める」ということです。
もうひとつ「高齢化社会」の異常さについて。
医療の進歩によって、“物理的・生物学的な長寿” が目的化してしまっている兆しに対し、養老氏はこうも語っています。
主張のポイントは「その人が活きる(not 生きる)社会」というところですね。
最後に、養老さんが紹介している言葉で、まさに今に相応しいものがあったので書き留めておきます。
スペースシャトル「チャレンジャー号」の事故調査報告書に物理学者ファインマンが記したことばとのことですが、そのとおりでしょう。
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