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上を向いて歩こう (佐藤 剛)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 いつも聞いているpodcastの番組に著者の佐藤剛さんが登場したとき話題になった本なので、気になって手に取ってみました。

 坂本九さんの代表曲「上を向いて歩こう」をテーマにしたノンフィクションです。
 確かにとても興味深いエピソードが盛りだくさんの内容ですが、その中から私の印象に残ったものをいくつか書き留めておきます。

 まずは、「上を向いて歩こう」を大ヒットさせた坂本九さんについて。
 著者は、この全世界的ヒットにおける坂本九さんの功績が正当な評価を得ていないと考えていました。

(p136より引用) 日本語という決定的なハンデがありながらも、「SUKIYAKI」がアメリカで熱狂的に受け入れられたのは、歌っている坂本九の歌声を、アメリカの若者たちが「キュート」だと感じたからだった。・・・
 そうした歌声の持つ、俗に言う「つかみ」があって、その次に、中村八大のメロディーも「キュート」だと認められたのである。
 そこからさらに、楽曲そのものに込められた人種や国境を越えて訴える何ものか、サムシング・エルスまでもが伝わったのだ。
そうでなかったら、英語以外の楽曲が、全くのノン・プロモーションで、全米ナンバーワンの大ヒットを記録するなどということは、起こり得るはずがない。

 そして、海外の高評価に対する日本での低評価の要因を、怒りにも似た気持ちでこう指摘しています。

(p141より引用) 日本ではわかったような物言いの、実際は何ひとつわかっていなかった良識派の大人たちが、事実とも真実ともかけ離れた、間違いだらけの解説を披瀝して、社会的な空気をミスリードしていった。・・・芸能に対する蔑みや妬みに根ざした優越意識が頭をもたげて、素直に真実に触れることができなかったのだ。もちろん文化人だけではなく、大手マスコミも、経済人も、学者も、誰もがその価値に理解を示すことはなかった。
 こうして、ひとつの楽曲と一人の歌手の為した音楽史に残る偉業は、当時は全くといっていいほど、正確には伝えられなかった。そのことが尾を引いて、現在に至っているのであった。

 もうひとつ、中村八大さんの「作曲家としての自由で伸びやかな思考」を紹介しているくだり。

(p240より引用) 「今生きている証としての今のメロディ、今のリズム、今のサウンド」を、常に追い求め続けた。・・・
 このような考え方の作曲家が、ひとりの歌手のために歌を書き下ろすにあたっては、表現者としての歌手から、「歌う力」をいかに引き出すかにボイントを置くのは当然であった。中村八大は歌の巧拙や技術の優劣よりも、歌手の持っている「歌う力」と、新しい時代の息吹を吹き込む感性に期待をしたのだ。

 さらに、作詞家永六輔さんとの関わりのシーン。

(p246より引用) 十九歳の坂本九は鎮魂の歌を、こともあろうに満面の笑みを浮かべ、ロックンロールのビートで歌ったのだ。さらには、持ち前のキャラクターである九ちゃんスマイルと、あの革命的な歌唱法によって、哀歌(エレジー)を見事なまでに希望の歌へと昇華させてしまった。・・・リサイタルで初めて歌われた後で、永六輔は驚きと怒りを心の中に秘めながら、めったに露わにしたことのない異議申し立てを中村八大に対して行っている。
「もっと歌のうまい人に歌ってほしい」と。
「日本語を大切に歌ってほしい」と。
 だが中村八大は「あれでいいんだ」、「あれがいいんだ」と、永六輔の意見には全く取り合わなかったという。

 “独特の世界観” を持つ作曲家・作詞家と歌手としては “未知の可能性” をもっていた坂本九さんとの出会いは、日本歌謡史上における僥倖のひとつでしょう。

 その後「上を向いて歩こう」は、奇跡ともいうべき人のつながりにより、フランス、イギリスでのレコード発売を経てアメリカでの全米ヒットチャートで1位、空前絶後の大ヒット達成という道を辿ることとなりました。

 その一部始終を描き出したこの著作、戦後の日本音楽界黎明期のドキュメンタリーとしてもとても意義深いものだと思います。



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