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昭和16年夏の敗戦 (猪瀬 直樹)

 著者の猪瀬直樹氏自らがtwitterで紹介していたので読んでみた本です。

 舞台は「総力戦研究所」。日米開戦直前に設置された政府の公式組織です。昭和15年9月に公布された「総力戦研究所官制」には、その設置理由が以下のように記されています。

(p53より引用) 近代戦は武力戦の外思想、政略、経済等の各分野に亘る全面的国家総力戦なるに鑑み総力戦に関する基本的研究を行ふと共に之が実施の衝に当るべき官吏其の他の者の教育訓練を行ふべき機関として総力戦研究所を設置するの要あるに依る

 研究生として召集されたのは、官庁・軍部・民間から33名。30歳台の各界中堅メンバが「模擬内閣」を組織し、現実をほんの少し先取りする時間経過で対英米戦に関する議論を重ねたのです。

 東條英機は首相に就任する前、陸相のとき、総力戦研究所の「閣議」を傍聴していました。彼が研究所の議論に関心を抱いていたことは間違いありません。

(p202より引用) 模擬内閣の〈閣議報告〉は現実の政策の選択肢に肉薄していた。いや超えていた、といってもいい。
 ・・・すべての命令権を持つ統監部〈教官側〉と研究生で組織する〈内閣〉の“往復書簡”は、真珠湾攻撃と原爆投下を除いては、その後起こる現実の戦況と酷似していたからである。

 研修生たちの出した結論は、「日本必敗」でした。

(p158より引用) 総力戦研究所研究生が模擬内閣を組織し、日米戦日本必敗の結論に辿り着いたのは昭和16年8月のことであった。・・・総力戦研究所の模擬内閣が今日評価されるとしたら、彼らが事態を曇らない眼で見抜き予測した点にある。その予測を可能にしたのはタテ割り行政の閉鎖性をとりはらって集められた各種のデータであり彼らの真摯な討議であった。

 アメリカによる対日石油輸出禁止により日本が南方進出を決めたときから、すでに結果は明白だったのでした。日本の国力に関する“事実”(データ)は、判断者が誰であろうと当然の如くひとつの結論に誘うものでした。

(p258より引用) 東條が総理大臣になった10月18日以降の議論は、すでに出された事実を蒸し返していたにすぎない。“事実”はつじつま合わせのために利用されたにすぎない。
 高橋は自らの体験を踏まえてこういい切る。
「開戦までの半年は、すでに出ていた結論を繰り返して反芻し、みなが納得するまでの必要な時間としてのみ消費された」
“事実”を畏怖することと正反対の立場が、政治である。政治は目的(観念)をかかえている。目的のために、“事実”が従属させられる。

 11月5日の御前会議で、鈴木(貞一)企画院総裁は「数字」を並べ「インドネシアから石油を取ってくれば、対英米蘭戦争に進んでも日本の自給体制は保持しうる」と説明しました。

(p191より引用) 「・・・とにかく、僕は憂鬱だったんだよ。やるかやらんかといえば、もうやることに決まっていたようなものだった。やるためにつじつまを合わせるようになっていたんだ。・・・」

 齢93歳、鈴木氏の回想の言葉です。何とも情けない・・・、その結末を思うに「憂鬱」といった個人の感情の問題ではありません。



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