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男の作法 (池波 正太郎)

 著者の池波正太郎氏は、ご存知の通り「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」等の歴史娯楽小説の巨匠です。

 本書は、その池波氏が、「男をみがく」というテーマに対して自身の人生経験からの思いを語ったものです。

この本の中で私が語っていることは、かつては「男の常識」とされていたことばかりです。しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちには恐らく実行不可能でありましょう。時代と社会がそれほど変わってしまっているということです。

と、著者自身「はじめに」に記しているとおり、「今のご時勢どうかな?」と感じるところもありましたが、底流する姿勢として首肯できる話も多々ありました。

 そのいくつかをご紹介します。
 まずは、「身だしなみ」について。

(p54より引用) 身だしなみとか、おしゃれというのは、男の場合、人に見せるということもあるだろうけれども、やはり自分のためにやるんだね、根本的には。自分の気分を引き締めるためですよ。

 このあたりはよく分りますね。私は「おしゃれ」については全くセンスも関心もないのですが、やはり、何かイベントがあるときには、このネクタイにしようとかこの靴にしようとか、ちょっとは意識します。

 その他、池波氏の語りですが、時代背景のズレや「男は」「女は」といったステレオタイプ思考はともかくとして、対象が「人」だとすると、その内容は至極真っ当で、大人としての気遣いを感じます。

 たとえば、生きる姿勢の根本についての池波氏の考えです。

(p129より引用) 根本は何かというと、てめえだけの考えで生きていたんじゃ駄目だということです。多勢の人間で世の中は成り立っていて、自分も世の中から恩恵を享けているんだから、
自分も世の中に出来る限りは、むくいなくてはならない・・・」
と。それが男をみがくことになるんだよ。

 また、芝居の演出についての流れで、こうも話しています。

(p161より引用) 君たちも一つのことをやるときにね、どうせやるんなら、
自分だけじゃなくて、もっといろいろな人が利益になるようなことはないか・・・」
 ということをまず、考えたらいいんだよ。

 こういう感じで、池波氏は、周りの人への心配りを大事にすると同時に、自分自身にも謙虚さを求めます。

(p155より引用) たとえば、ぼくの職業の場合、大邸宅を構えちゃうと、やっぱり大邸宅の主であるという感じになってくるね。・・・そうすると、ぼくの場合では、書くものの中に江戸時代の八百屋とか魚屋とか庶民がいっぱい出てくる、その庶民感覚がやっぱりだんだん薄れてくると思うんだよ、いくら自分で気をつけていても。

 巨匠といわれる方は、どうしても知らず知らずのうちに「裸の王様」になってしまいます。自分はそういうつもりでなくても、周りの接し方が変わってくるところもありますし・・・。
 そういうときの、第三者からの助言は大変貴重でありがたいものです。

(p144より引用) 人間というのは自分ことがわからないんだよ、あんまり。そのかわり他人のことはわかるんですよ、第三者の眼から見ているから。・・・だから、言ってくれたときは、
なるほど、そうかもしれない・・・」
というふうに思わないとね。ぼくなんかもなかなか出来ないことだけどね。



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