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雍正帝―中国の独裁君主 (宮崎 市定)

 会社の方のお勧め本として紹介されていたので読んでみました。

 の初期の皇帝といえば、康熙帝・乾隆帝が有名ですが、本書は、その両帝に挟まれた第五代皇帝雍正帝(1678~1735)を採り上げた著作です。

 雍正帝は、皇帝としての在位期間は短かったのですが、独創的な施策に精力的に取り組み、清朝の専制君主体制をより強固なものにしました。
 雍正帝の独裁制は、皇帝が直接人民を統治することを目指しました。皇帝の取り巻きたる官僚政治を否定したのです。

(p245より引用) 雍正帝の奏摺政治は近世的な独裁性を一層完全にするに与って力あった。独裁制の下における官僚は、決して人民に対する奉仕者ではなかったが、併し人民を私有する特権階級であることは許されない。・・・雍正帝の理想は、官僚の私的な党派を解散し、これを凡て個々の天子に直属せしむるにある。さてこそここに前代未聞の奏摺政治なるものが出現したのであった。

 官僚に任せない政治は皇帝自らが手を下す政治でした。雍正帝は、地方統治を地方官との間の非公式の皇帝直通文書(摺奏)のやりとりで実現しようとしました。地方官からのすべての摺奏に自ら朱墨で意見を書きこんで送り返す(硃批)というやり方です。

(p108より引用) 雍正帝の居室はこうして、地方官から上奏し、帝の朱筆の返書を得て、再び返納された文書、いわゆる硃批諭旨でいっぱいになった。・・・
 昔から天子は一日に万機、すなわち日に一万回の用事があるといわれるが、真面目に政治をやろうとすれば目のまわるほど忙しいに相違ない。微塵も誤魔化しをせず、一事もなげやりにせず、全力をあげてがっちりと政治に取組んだ雍正帝の真剣さは正に頭の下る思いがする。恐らくこれほど良心的な帝王は、中国の歴史においてはもちろん、他国の歴史にもその比を見ないことであろう。

 専制君主にとって、自らの権力の示し方で政治の懐の深さが表れます。強圧的な態度のみが権力の使い方ではありません。
 皇帝に対する謀反を勧めた曾静に対する雍正帝の度量です。

(p165より引用) 曾静の悪口は朕個人に関してのことである。それもすべてが事実無根と分ったからには朕にとって損益はない。山の谷あいで犬が吠え梟が鳴く声を聞いたようなものだ。彼がすでに過ちを後悔した以上、彼を赦してやり、後悔して赦されぬ罪はないということを天下の人に知らせるがよい

 独裁制であることが、即ち、人民を苦しめるものであるとは限りません。独裁という政治形態であっても “善き君主” は存在し得るのです。

(p177より引用) 雍正帝の理想をつきつめてゆけば、官僚はただ仕事のために追い使われる道具にすぎない。・・・雍正帝にとっては特権階級などの存在がそもそも不合理なので、特権とはただ天子一人が持っている独裁権のことで、天子以外の万民は全く平等の価値しかもたない。だから彼は地方の賤民の解放を行った。

 本書で顕かにされた雍正帝は、独裁君主でありながら自らに厳しく有言実行を旨としていました。近世、洋の東西を問わず専制君主は多く現われましたが、その中でも、とてもユニークで興味深い人物だと言えるでしょう。

(p191より引用) 雍正帝は根は善良な素朴な、当時の満洲人そのものを代表する人物であった。・・・強い者に対してはきびしすぎるほどきびしかったが、その一方、反抗する気力さえない無抵抗、無防備の一般人民をこの上なく愛護し、身を粉にしてもその生活を保証してやりたいと思った。彼は戦争を好まなかった。・・・戦争が嫌いな、平和的な、しかも徹底した独裁君主であったのである。

 これが、著者が描いた雍正帝像でした。



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