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辛酸 ― 田中正造と足尾鉱毒事件 (城山 三郎)

(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)

 足尾鉱毒事件田中正造という「ことば」は中学・高校時代の社会科の教科書以来何度となく目にしているのですが、その実態や人となりについて深く知ることはありませんでした。

 今回手に取ったのは、それらをテーマにした城山三郎氏の小説です。

 田中正造氏、衆議院議員当選6回。その初当選の年(1890年(明治23年))に足尾銅山鉱毒事件が発生しました。爾来、議員在職中から辞職後、まさに生涯を通し全てを捧げて被害民と行動を共にしたのです。

 70歳を過ぎても正造は逆流被害踏査のため方々歩き回っていました。
 ある夏の日の描写です。

(p110より引用) 炎のような熱線に、筑波も赤城もゆれおどり、堤の道は砂金をまぶしたように正造の眼を射し貫いた。渡良瀬川はうだったように流れを止めている。油光りするその川面から、吹き上げてくる風も熱かった。すべてが息をとめた中で、芦のしげみから行々子が耳が痛いほど啼きつづけた。

 このあたりの城山氏の筆力は素晴らしいですね。

 本書の主人公は、2人。ひとりは言うまでもなく田中正造氏その人ですが、今一人は谷中村の被害民宗三郎です。
 本作品の後半、二部の「騒乱」の章では、正造亡き後の抗争のリーダーとして担がれた宗三郎を中心に、被害民たちの司法・行政当局に対する筆舌に尽くしがたい抵抗の姿が描かれています。

 その悲惨な生活の中でも、被害民たちは「人としての尊厳」を失ってはいませんでした。
 堤防欠潰公判での岡土木課長の「乞食」発言に抗し、宗三郎は激してこう書き連ねました。

(p173より引用) 「予は我等が乞食であるとは意識してゐない。曾ては故らに堤防を破られて米麦が穫れなくとも租税を納め、家を毀たれて起臥する所がなくとも戸数割を出し、出入の道を閉ざされても壮丁を送って勤める等、一として国家の義務を欠いた覚えがないからである。
 コミッションで拵えたフロック・コートを着け愚民の浄財を騙取して酒池肉林に遊蕩を極むるよりは寧ろ乞食として与へらるるものを受け、粗衣空腹に甘んずる人の方が遥かに貴いと思った事もある。・・・」

 人としての真っ直ぐな自負の発露の言葉でしょう。

 さて、本作品のタイトル「辛酸」。これは、正造の好んだ言葉「辛酸入佳境」から採られたものです。

(p197より引用) はげしい筆勢ながら、まるみを帯びたその五文字が、宗三郎の視野いっぱいにふくれ上った。辛酸を神の恩寵と見、それに耐えることによろこびを感じたのか。それとも、佳境は辛酸を重ねた彼岸にこそあるというのか。あるいは、自他ともに破滅に巻きこむことに、破壊を好む人間の底深い欲望の満足があるというのだろうか。
 正造がそのいずれかを意味したのか、そのすべてを意味したのか、知る由もない。ただ、宗三郎に明らかなのは、残留民にはいまどんな意味においても、佳境がないということである。余りにも、佳境から程遠い。

 城山氏が、本作品にこめたメッセージは「信念に拠る行動」「弱者に寄り添う心」の崇高さと、それを貫く困難さであるように思います。

 先の東日本大震災・福島第一原子力発電所事故を契機に、没後100年の節目を迎え、田中正造氏の生涯を再認識・再評価する動きが各所で出てきているとのことです。



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