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【気づきの詩】私とわたし ~愛に還る練習~

年明けの記事で、今練習していることがあると書いたのですが、その後もずっと、私が日常生活の中で行っていることがあります。

それは、日々の生活で起こる出来事に対し、その都度動揺しないために、あることを試しているのですが、おかげさまでだいぶ感覚がつかめてきています。

今までであれば心が揺さぶられたり、ネガティブな感情に囚われて、それをなかなか払拭できずいたところが、最近はそこからの立ち直りがずいぶん早くなっているように感じています。

ふと気がつけば、ニュートラルな感じでいられることが多くなっていますし、以前より気持ち的にも軽くなってきているような気がしています。

とはいえ、まだまだその練習は日々続いていて、出される練習問題の難易度も、どんどん上がってきています(つまり、心揺さぶられそうな出来事が色々起きている)。

そこで私が今どんなことに取り組んでいて、どんな感覚をつかんできているのかについて、詩という形でお知らせしようと思ったのでした。

ただ書いてみると、これはもはや詩などではなく、ただの長ったらしい散文というか、説明文になってしまっているような気がしています。

内容も分かりにくいかも知れませんが、それでも読んでいただけると大変嬉しいです。

私とわたし 〜愛に還る練習〜


私は 目指している
成功 成長 夢 お金 幸せ 
そして愛されること

それを求めることが 正しいと信じている

私は 恐れている
うまくいくのか 失敗しないだろうか
正しいのか 間違っているのか
受け入れられるのか 拒否されるんじゃないか

まだ来ない 未来を憂いている

私は 後悔している
こうすればよかった こうしなければよかった
あんなこと言わなければよかった 
誰かを傷つけてしまった

すでに終わっていて もう存在しないことを 
蒸し返し 自分を責めている

私は 避けようとしている
失敗すること 損すること 
人に笑われたり 嫌われたりすること
傷つくこと 苦しむこと
痛みや病 そして死

なんとか 自分の力で 
人生を 思う通りにコントロールしようとする

これらは全て エゴである“私”の声

でも 私の奥の奥にある“わたし”は
私がどんな私であっても愛おしい

私が何を目指そうと 何を恐れようと
何を後悔しようと 何を避けようとしても

喜ぼうと 悲しもうと 苦しもうと
成功しても 失敗しても

ただただ 「そうなんだね」と
その私を 愛しく思うだけ

そして そんな私の声を
良いも悪いもなく 全て愛おしいものとして
受け取ってくれる

だから 私がすることは
繰り返し起こってくる エゴの声を
ただ わたしという愛の中に
差し出していくだけ

不安 恐れ 苦しみ 痛み
罪悪感 劣等感 後悔 etc.

自分の中で 何か嫌な感じ 
モヤモヤした感じがした時は
エゴの声に 取り込まれている印
そのことに気づいたら それをそのまま
愛に差し出してしまおう

すると エゴである私の声は全て取り消され
私はいつの間にか 愛の中にいることに
気づくことになる

私とわたし
それは いつも背中合わせ
どちらかが 表に出れば
もうひとつは 裏に隠れる

これまでは ほとんど私が表にいたけれど
これからは もっとわたしを表に出してあげよう
そして もっとわたしという
愛の中で過ごしていこう

そんな 愛に還っていく練習を 
今も ずっと続けている


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