1983年、僕が高校1年生になった秋に出てきた楽曲。
曲名:子供達を責めないで
アーティスト:伊武雅刀
作詞:日本語詞:秋元康
作曲:Barnum・Reeve
約40年前の歌だ。今、この歌詞を聴くと人はどう感じるのだろう。
この問いがひさしぶりに聴いてみて思った。
もう何年か前に、都内の人たちが近所に保育園ができると静かに過ごせないから反対だと言われて、保育園がつくれなかったという話を聞いたことがある。
これを知った時、衝撃的だった、本気で自分たちの静かな暮らしのためには子どものための場所や子育てをしやすい環境を許さないという判断をする大人たちが一定数いるということに。
なぜ衝撃的かというと、子どもがいない社会は未来がないからだ。子育てしやすい社会づくりは未来づくりだからだ。自分たちがこうして生きているのも子供時代に大切にしてくれた人たちがいたからだ。
自分の死んだ後のことは関係ないという考えなのだろうか。もしかしてこの歌詞のようなことを本気で思っている人たちが今、増えていっているのか?
この歌は、子どもの当時の現実を批判しているように見せて、『私は子供に生まれないでよかったと胸をなで下ろしています』というセリフにあるようにそれ自体がナンセンスであるという前提があったように思う。
その上で『私達おとなだけで せつな的に生きましょう ネ』と。つまり、そのような大人の生き方を皮肉っている。
にもかかわらず、自分の今のことだけを考えて、未来への投資については考えない大人たちがいるかのような感じがしたのだ。まさに皮肉ではなく本気の『私達おとなだけで せつな的に生きましょう ネ』である。
この歌については、こちら↓のブログにいろいろ書いてあるのだが、
なんと55年前に原曲が存在していたと書いてある!
この歌詞はこちら↓
こちらの原曲の歌詞も、こうした社会をつくった大人たちの責任を見つめ直す内容であり、先に紹介したブログでは、秋元康の歌詞はこの原曲の真逆の歌であるという解釈があるが、僕はどちらも同じように大人たちの現在を歌っているように思える。
55年後に生きる僕らが将来世代のためにできることを考えないとしたら、それはこの歌でナンセンスだと皮肉を込めて訴えていたことをまったく忘れた社会をつくっていくことになるだろう。
そういった潮流もあるのかもしれない。
僕らは、子どもたちのことを本当に大切にできるかどうか、今一度考えていく必要がある。
自分より若い人たちが本当に生きやすい社会づくりをしてきたのか。
自分たちより若い人たちのために何を差し出せるか考える大人になれたのか。
それこそが持続可能な社会の根源となる考えなのだと思っている。
伊武雅刀のこの歌を今一度聴いてみてほしい。そして本当に笑えたらいいな。この皮肉やナンセンスがわかるなら、大丈夫だ。