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「君たちはどう生きるか」解説。13個のメタファーが意味するところ(ネタバレあり)

追記(2024年3月11日)
米アカデミーアニメション作品賞受賞!
21年ぶりの快挙。日本からは宮崎監督の2作品のみという偉業・・・
2023年7月22日土曜日に鑑賞してきた、「君たちはどう生きるか」

2日経ったところで、沸々と感想を書きたくなったので、書いてみる。ネタバレありなので、まだ鑑賞してない方は鑑賞後にお勧めする。

私がこれまでの宮崎作品で好きなのは、「となりのトトロ」と「もののけ姫」。他に挙げるとするならば、「紅の豚」、「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」

ここで気づいたのだが、すべて20世紀の作品だった。そして今回2023年の「君たちはどう生きるか」

私の中では久しぶりの傑作に出会えた。そんな気分である。


1.セキセイインコ

「君たちはどう生きるか」には、様々なメタファーがある。
セキセイインコは、もっとも人間の言葉を話す鳥だ。下の世界の主な住人として描かれる。
インコは、なんでも食べる。ゾウだって食べる貪欲な生き物だと表現される。その世界の中で安住し、烏合の衆となり、命令のままに生きる、欲望のままに生きる。我々人間そのものを表している。
眞人は捕まり、鎖をつけられて食べられそうになるわけだが、インコから見た人間はただの食糧。人間から見た鳥もただの食糧。

大衆の中につかり、命令されて生きることを良しとし、その生活を続けていくか。

「君たちはどう生きるか」

2.老ペリカン

老ペリカンは眞人に語りかける。下の世界には魚がなくなった。だからワラワラを食べて生きるしかないのだ。そして、それを追っていると、いつもこの島に辿り着く。そうやって、どうにか凌いで、生き抜いてきた結果がいまなのだ。

だから、ペリカン達がワラワラを食べることは仕方がないのだ。それがペリカン達の生きる道だった。

下の世界に魚がなくなる。その状況を受け止め、その流れに流されるだけで良いのか。生き抜くためにワラワラを食べる。それはその瞬間は仕方がないかもしれない。しかし、その前段、魚がなくなっていくことをどうにか変えるために動こうとしないのか。

「君たちはどう生きるか」

3.戦闘機の運転席カバー

父親は戦闘機のためのデバイスを製造する会社を経営している。戦争によって、母は火事でなくなった。田舎に疎開した豪邸も、住む洋風な屋敷も、車で転校先の学校に乗り付けることも、眞人にとってはどうでもいいことだ。

カバーを運ぶシーンは、王蟲の目の殻を運び戦争に活かそうとするシーンと重なる。そんなことをして、戦争に突き進んでいいのか。それによってもたらされる富に安穏としていいのか。

「君たちはどう生きるか」

4.殺生はできない

ワラワラは殺生はできない。だから俺が魚を殺して食べさせてやらなきゃならない。

下の世界のワラワラは、膨らんで上の世界で「生まれる」生まれて人間になる。
殺生ができなかったワラワラが、上の世界では戦争ばかりしている人間となる。

目のまでペリカンに食べられるワラワラ。それは助けなければならない。しかし、助けた結果、上の世界で人間として生まれ、殺生を繰り返す。人間は人間を殺し、人間は動物を殺す。そして、下の世界の魚はなくなる。

それでいいのか?

「君たちはどう生きるか」

5.ワラワラ

人間が生まれる前の存在として描かれるワラワラ。なぜこの名前なのだろうか。もののけ暇では、コダマが森の住人として描かれた。コダマ(言霊)、つまりは魂。自然で美しい森にしか住まない住人、人間が自然を破壊してしまうことで、コダマは少なくなっていく。

ワラワラ。

ワラワラと生まれてくる。そこからこの言葉は来たのではないだろうかと私は思った。魚の内蔵を喰らい、膨らみ、上へと登っていく。そして、

「君たちはどう生きるか」

6.セキセイインコの王

下の世界に大量にいる住人、インコのトップ。これはナポレオンか。住民を煽動し、躍動させ、自分たちの要求を飲ませるべく、大叔父の元に詰め寄る。王は王の役割を全うしている。いまの自分たちの環境、世界を維持するため、それをより良くするため、盲目的に、暴力的に邁進するのだ。

大叔父は13個の積み木を積み上げ、この世界のバランスを保ってきた。次の世代に繋ぐため、その次の13個の積み木を眞人に託そうとする。そこで現れた王は、なんたる屈辱として、切り捨てる。

セキセイインコの王の立った一太刀で下の世界が壊れる。脆い。そうこの世界は脆いのだ。ほんの些細なことで、破壊を招くのだ。そんな王を選び出して良いのか?そんな王に付き従う生き方で良いのか。世界は脆いのだ。

「君たちはどう生きるか」

7.積み木

上の世界のバランスは、下の世界にある13個の積み木の上に成り立っている。今にも崩れそうに積み上がった積み木。不吉なキーワードの13なのか、絞首台に上がる階段が13段あることから来る13なのか、宮崎監督作が12作品目であり、13作品目はどんなバランスをもたらすべきなのか、自問自答なのか。

13個積み上がった積み木はあまりにも不安定。今の世界は、そんな不安定な足場の上に存在する。それを壊すのも、存続させるのも、自分次第。もう一度積み上げることができるのならば、そうしたい。その後継者を長年探してきた。

世界を統べる魅力。後継者となる眞人もまたそれに魅力を感じるだろうと考えた。誰もが力に魅力を感じるのか?世界をコントロールしたいと思うのか?

「君たちはどう生きるか」

8.石

丘の上で待つ大叔父の頭の上、空中に浮かぶ石はなんなのか?

人間の欲望。万物を操る力。力の象徴。世界を操る力を前にした時、誰もがそれを欲する。大叔父はその力に取り憑かれた。

しかし、力を持った人間に時間が過ぎていくと残るもの。それは虚しさ。大叔父からは虚しさしか感じない。世界をバランスさせたいのではなく、ただ、後継者に引き継ぎ自分がそこから開放されたい。惰性のように生きている。

人生100年時代。いっとき力を得る。成功を得る。それを惰性で維持し、世界のバランスのため、ただの積み木をいじっているだけ。そんな残りの人生で良いのか。

「君たちはどう生きるか」

9.墓と門と塔

「我を学ぶものは死す」ここで我とは、力のことだろう。力を持つ者へなるべくお前も進むのか。だからそこに門がある。

その門を潜り、入るべきかどうか。普通は悩む。決心を促される。しかし、映画では、大量のペリカンがただただ押してくる流れで、入っていくことになる。

人は優柔不断に突き進む。欲に溺れ、力を欲し、そこへの入り口は案外流されて入っていくことが多いのだ。

「君たちはどう生きるか」

塔は昔宇宙から降りてきたという伝承があった。これはノアの方舟だろうか。地球に巣食う人間が、戦争によって星を破壊しようとしている。それを止めるべく、遠い世界の住人がこの塔を地球に向けたのか。

下の世界と上の世界を繋ぐ扉。それによって、自分たちの世界を救えるかどうかは、人間しだい。

「君たちはどう生きるか」

10.小石

転校して初日。いじめに遭う眞人。
田舎に疎開し、電車で降り立った時、次の母親(夏子)の前で深々をお辞儀をして、礼儀正しい人間を装っている。

誰に対しても礼儀正しくあろうとする。大人であろうとする。母を亡くした悲しみを見せまいとする。

そんな中で、おばあさん達とご飯と食べている時には一言「まずい」

鳥(青鷺)が気になるからと、木刀を片手に庭に飛び出す。弱いものを攻撃したい。現在の生活に対する反発だ。

そんな中、転校初日のいじめ。もう学校に行きたくはない。行ってやるものか。そんな子供じみた悪意で、自分で自分の頭を石で打つ。それは父親へのただの反発だった。

下の世界では石は大いなる力の象徴であり、上の世界ではただの石ころ。下の世界の石は、世界を統べる力があり、上の世界で自分の頭を打ちつけた石は、道端にただコロだっている石だ。

しかしそこで出来た右側頭部の傷が、眞人を変えていく。石で自分を傷つけたことで初めて自分という存在を認識できた。

石を持ち力を得るのではなく、傷を触り自分を再確認する。そして、

「君たちはどう生きるか」

11.青鷺

青鷺(アオサギ)。アオサギは古来より見ると縁起が良いものとされている。幸運をもたらす鳥だと。

そんなアオサギは、覗き見る鳥として冒頭から夏子に紹介される。

アオサギはずっと待っていた。大叔父の後継者、血を引く者が現れることを。だから、ずっとこの屋敷を覗き見てきたのだ。

初めて眞人が屋敷に現れた時、頭上を飛びすぎる。そこで、確認をした。待ち人が来たことを。

アオサギは、眞人を下の世界に引き込みたい。引き込むことで、下の世界の幸運をもたらそうとしたい。

一方、眞人にとっては、下の世界を生き抜くことで、成長する。自分という人間を理解していく。それは、幸運の扉を開けたことになるのではないだろうか。

「君たちはどう生きるか」

12. 2年後

下の世界から戻ってきてから2年後、眞人は再び東京へ戻っていく。

戦争は始まって3年目で母が死に(おそらく1943年)、4年目で疎開(1944年)。そして下の世界を経験し、上の世界に戻ってきた。

そこから2年後(1947年)に再び眞人は東京に戻っていく。

下の世界が崩壊し、バランスが崩れたことで、日本は焼け野原となった。2発の原爆が落とされた。結局、戦争は止められなかった。欲望にひた走る大量のセキセイインコが塔から野に放たれた。人間の欲望は止められなかった。

眞人は忘れたんだろうか?何かを思い東京へ戻っていくのだろうか?上の世界に何かのバランスを構築するべく、命を削り生きていくのだろうか?

ようやく歩き始めたばかりの2歳の弟?妹?はまだ何も知らない。眞人がこれからの教えていくのだろうか?自分が助けたワラワラから弟?妹?は生まれたのだろうか。

東京という日常に戻っていく。時代に翻弄され、時間が過ぎていく生活に戻っていくのか。自らの考えのもと、1歩1歩踏み出していくのか?

「君たちはどう生きるか」

13. キリコ

キリコおばあちゃん(柴崎コウ)として登場するキリコさん。下の世界では、パワフルなお姉様として颯爽とヨットに乗って現れる。

この人は自分の生き方をしている。映画の中でそんな存在として現れる。

眞人が、キリコの家で目覚めた時、自分の周りには、彫刻となったおばあちゃん達が見守っていた。

生き抜いてきた人たち。もう自分の私利私欲がなく、次の世代の子供達を見守る人間。そんな人間だけは、彫刻となって下の世界に現れることができるのではないか。

そして、何度も出てくる世界が切り替わる回廊の場所。

キリコさん、彫刻、彫刻家、回廊。ジョルジョ・デ・キリコ

キリコ「通りの神秘と憂鬱」1914年

映画を見ている途中で思った。ああ、キリコなんだと。
キリコの代表作、1914年に描かれたこちらの作品「通りの神秘と憂鬱」

キリコはこの構図の絵を何枚も発表している。1914年は第一次世界大戦に突入していく直前。キリコの絵は、夕日で傾く中で作られる影の神秘を見つつ、建物の暗闇の向こうにある世界は戦争へと突き進む。憂鬱な気分と神秘的な美しさの両方を感じさせる。
そこには、矛盾があり、美しさの先に戦争があるならば、そこには不条理がある。
神秘、憂鬱、矛盾、不条理。
それが何度も繰り返させる。

キリコはそれを突き進めるために、何度も同じ作品を世に発表した。

そして、この映画の中でも、このシーンは何度も出てくる。何度も行き来する。その回廊を通るたびに思わされるのだ。

「君たちはどう生きるか」


追記(14):2024年3月11日

大叔父

世界のバランスを司ってきた大叔父
世界のバランスは、積み木で成り立っている
そんな滑稽なもので
そんな崩れ去りやすいもので
しかも、それが一刀両断されるという予想できる脆さも表現される

自分が大事にしている世界は、そこまで重要だろうか?
自分が積み上げてきたものは、そこまで重要だろうか?
自分が信じてきたものは、そこまで重要だろうか?

それは、ただの積み木が、それこそ積み上がっただけのものかもしれない。

そんな世界の上で、「君たちはどう生きるか」

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