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火・木は「パパの日」 育児のため週3日勤務にシフトして気づいたこと

オランダ・アムステルダムに暮らす僕は、火曜日と木曜日を「パパの日」にしている。この日は朝から晩まで娘(2歳)に向き合い、遊んだり、世話をしたり・・・仕事は娘が昼寝をしている間と夜に寝かしつけた後に少しだけやる。あとは残りの週3日働く生活を送っている。

きっかけは父と娘が平日昼間にお茶する「パパ会」

 僕が「パパの日」を始めた直接的なきっかけは、昨年末に2人目の子どもが生まれ、夫婦2人で子育てを回していかなければ立ち行かなくなったのが大きい。だが、実はそれ以前から、男性が育児に積極的で「子どもが世界一幸せな国」オランダにあっては、パパの育児参加に対する自分の認識の甘さを自然と気づかされる場面が多かった。

 最初に衝撃を受けたのは、3年半ほど前、オランダに住み始めてまもなくのころ。平日の昼間に仕事をしようとあるカフェに入ると、パパらしき男性が2人、それぞれ娘を連れて、お茶を飲みながら子どもたちを遊ばせている。「平日の昼間にこの人たちは何をしているんだろう? 仕事は・・・?」と、この「パパ会」に違和感を感じていた。

 しかし、オランダで生活していると、こんな「パパ会」にはしょっちゅう遭遇した。大人たちは基本週4日勤務で、学校の送り迎えも半分はパパがやっている。ママが友だちとディナーをするために夜に外出するのもめずらしくなく、料理担当はパパという家庭もある。こんな日常に慣れるうち、父親の育児参加をごく当たり前のことと考えるようになった。

ヘルパーの冷たい視線「赤ちゃんの入浴より大事な仕事?」

 2人目の子どもが生まれてまもなく、「クラームゾルグ」と呼ばれる産後ケアのヘルパーさんが自宅に来てくれたときも、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。

 オランダでは自宅出産もめずらしくないが、病院で出産した場合も、出産後に異常がない場合はすぐに自宅に帰らされる。このため、自宅に1週間ほどクラームゾルグが来てくれ、赤ちゃんの成長をチェックしたり、世話の仕方を新米パパママに教えたり、掃除・洗濯などを手伝ってくれたりする。

 赤ちゃんを初めて入浴させた時のことだった。妻とクラームゾルグは赤ちゃんのお風呂の用意をしている。僕はリビングで安心して仕事に打ち込んでいた。そして、いよいよ入浴させるとなった時、クラームゾルグのおばさんがバスルームからヒョイと顔を出し、パソコンに向かって仕事をしている僕にこう言った――「来ないの?」

 その時初めて、赤ちゃんの入浴がヘルパーではなく自分の仕事であることに気づかされた。父親も赤ちゃんを入浴させるのが当たり前の世界にあっては、知らないふりをして仕事をしている僕の姿は、さぞかしワーカホリックな男に映ったに違いない。「赤ちゃんの入浴より大事な仕事なんてある?」――クラームゾルグの目はそう物語っていた。

夫婦間の「不平等感」から来る罪悪感が決め手に

 僕が「パパの日」を始めるうえで決め手となったのは、育児に対する夫婦間の「不平等感」から来る罪悪感だった。

 実は妻は、第二子の妊娠中に、個人事業主として子ども服をつくる仕事を始めていた。出産直前には近所のマーケットにも出品し、販売もして、お客もつき始めていたのだが、出産、育児、自分のからだの回復のため、その仕事をストップしていた。

 かたや僕は・・・相変わらず自分の仕事、「やりたいこと」を続けている。子どもが小さいうちは、なんだかんだ言って母親にしかできないこともある。妻は子育てが好きだし、子どもと向き合う時間を大切にもしている。だけど、それは「やらなければならないこと」でもある。

 妻は「あなたの収入があるから、今の生活があるんでしょう」と言ってはくれるが、それにも違和感があった。「うまく役割分担できているから大丈夫」ということなのだろうが、稼ぐ金額で役割分担というのも変な話。子育てにかける時間や負担を平等にしていかないと、家庭の「全体性」が損なわれる感覚が僕にはあった。

 それに、罪悪感を感じながら仕事に取り組んでも、結局、いい成果を生みにくい。仕事以外を含めた、生活の全体性を100%に保てる状態があって初めて、仕事でもいい成果を生み出すことができると思う。言い換えれば、いい成果を生むためには、自分がいい状態でプロセスを踏むことが大事なのだ。

 自分にとって居心地のいい日々のスケジュールを作ることが、結果的にはクライアントのためにもなる。そう考え、僕は火曜日と木曜日を「パパの日」とすることにした。

自由を束縛される「パパの日」、モヤモヤ期を乗り越えて

 「パパの日」を始めてはみたものの、当初は子育てと仕事の狭間で悶々と悩んだ時期もあった。

 クライアントやライターなどのパートナーに対して、僕は「パパの日」のことを基本的には伝えていない。言ってみれば、彼らにとっては関係のないことだからだ。だから、やっぱり初めのうちは火曜日と木曜日にも原稿やメールがどんどん入ってきた。中には大事なメッセージもあるし、すぐに返信してチームにリズムを生みたい時もある。

 でも・・・ついつい娘の世話を片手間にして返信してしまうと、自分が嫌になる。セルフマネジメントができていないことを露呈することになるし、「パパの日」宣言をしたにも関わらず、妻にウソをついているような、裏切っているような、ものすごい罪悪感を感じてしまう。

 一方で、ガマンして返信しない場合もモヤモヤしていた。「自分のやりたいことをやれない人生ってなんなんだ?」と思ったり、友人が昼夜問わず仕事に励んでいるのを見て、自分の人生が停滞しているように思えて焦ったり。

 それでも一カ月ほど経つと、「パパの日」は次第に安定してきた。どうやって乗り越えるかは、「慣れるしかない」としか言えないが(苦笑)、それでも、火、木にメールが来ないよう、月、水の夜にこちらからはメールを送らない、火、木の夜に送るなど、ささいな工夫はした。

 また、仕事の内容を見直し、なるべくパソコンの前にまとまった時間座っていなければならない仕事は他の人にまかせ、スマホでもできる仕事に自分をフォーカスさせるようにもした。こうすれば、火、木でも、娘の昼寝の時間に少し情報収集して、コンテンツの企画案をメモしておくぐらいのことはできる。

 徐々に火、木には自然と連絡が来なくなったし、心理的にも安定し、僕の生活は全体性を取り戻した。

週3日労働が正解ではない。大切なのは「全体性」

 僕はなにも、男性は仕事をする時間を減らして、育児により積極的に参加すべきだ、などと言いたいわけではない。仮に、まったく育児に参加しなかったとしても、妻や、自分にとって「身のまわり」の人たちとバランスが保たれているなら、問題ないとすら思っている。

 ここで伝えたいのは、大切なのは「全体性」を保つこと。どこまでを自分にとって「全体(身のまわり)」と捉えるかに自覚的であること。そして、どこまでを「全体」と捉えるかは人によって違うのだから、お互いを尊重すべき、ということだ。

 同時に、全体性とはとても曖昧で、脆いものだとも思う。僕という人間は一人しかいないわけで、「ビジネスパーソン」である僕にとっての「全体」が乱れると、「夫」「父親」「33歳の個人」である僕にとっての「全体」にもよくない影響をおよぼしてしまうのだ。

 結論、やっぱり子育ては大変である。

編集者/Livit代表 岡徳之
2009年慶應義塾大学経済学部を卒業後、PR会社に入社。2011年に独立し、ライターとしてのキャリアを歩み始める。その後、記事執筆の分野をビジネス、テクノロジー、マーケティングへと広げ、企業のオウンドメディア運営にも従事。2013年シンガポールに進出。事業拡大にともない、専属ライターの採用、海外在住ライターのネットワーキングを開始。2015年オランダに進出。現在はアムステルダムを拠点に活動。これまで「東洋経済オンライン」や「NewsPicks」など有力メディア約30媒体で連載を担当。共著に『ミレニアル・Z世代の「新」価値観』。
執筆協力:山本直子
フリーランスライター。慶應義塾大学文学部卒業後、シンクタンクで証券アナリストとして勤務。その後、日本、中国、マレーシア、シンガポールで経済記者を経て、2004年よりオランダ在住。現在はオランダの生活・経済情報やヨーロッパのITトレンドを雑誌やネットで紹介するほか、北ブラバント州政府のアドバイザーとして、日本とオランダの企業を結ぶ仲介役を務める。

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