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天は人の上に人は造らず。ヌーと狸は造る。

  金曜日から日曜日まで、愛知県に帰省した。拙宅から実家までは電車と新幹線で四時間弱、距離にして三百六十キロあるため、まあまあ大変な大移動だ。帰るだけで疲れてしまう。
 しかしこれがヌーであればすぐに特集が組まれるのに、私だと誰も注目しないのはなぜなのだろう。明らかにヌーよりも下の扱いだ。大昔に「天は人の上に人を造らず」と偉い人が言ったようだが、それは上にヌーを造ったからなのかもしれない。ヌーと横並びなのもそれはそれで怖いので、そのくらいが丁度いいんじゃないかとも思う。

 いつも新幹線はスマートEXを利用して、S Work車両に乗車する。S Work車両はネット予約限定の特別なシートであり(といっても、値段は指定席と変わらない)、その名の通りビジネスマンの利用を前提としたシートだ。それ故、席で電話をかけてもいいし、パソコンをカチャカチャしても問題ない。業務上発生する音を気にせず、移動しながら仕事に集中できる素晴らしいサービスである。
 発車するや否や、私は徐にタブレット端末を取り出した。そして適当なバラエティー番組を流しながら、なにやらエクセルでデータを入力しているおじさんや、取引先と電話しているおじさんを見た。うむうむ。今日も頑張っておりますな。
 周りが一生懸命仕事をしている中、徒に時を過ごすのは本当に気持ちが良い。ちょっとした優越感というか、その自分の堕落さとのギャップに嬉しくなってくる。それは周りが自分より年上であればあるほど強く感じ、正に今日は最高のコンディションだ。本当は酒の一杯でもひっかけたいところだが、流石に匂い等で邪魔するのは可哀想なので止めた。私は無害な性悪を心掛けている。

 おじさんたちの仕事が一段落ついた頃、丁度名古屋に到着した。私は立ち上がりながら彼らに会釈して(した気になって)新幹線を降りた。ありがとう、名も知らないおじさんたち。
 それからすぐに家族と合流し、焼肉に行った。サシが入りすぎてもはや白色の肉をじゅうじゅうと焼き、それをビールで流し込んだ。たまらん。私はまだ実家に帰った時は親の金で焼肉を食べる、生粋のスネカジリでもある。人の金で食う焼肉は最高だが、親族の金で食べる焼肉はもっと最高だ。気も遣わないし。

 へべれけの状態で店を出ると、既に二十三時を過ぎていた。
 私は実家に帰ると、必ず近くにある祖母の家に泊まる。といっても今は祖母がいないので、私一人なのだが。最近家の一部だけ改築したので、リビング、キッチン、水周りだけはとても綺麗で快適だ。一人暮らしが長くなり、もう家族と同じ屋根の下過ごすのもなんだか気恥ずかしいので、こちらを利用することにしている。
 家族に別れを告げ、玄関に向かうと、どうやら扉の前に何かが置いてあることに気が付いた。暗くて良く見えないが、黒とこげ茶っぽい、バスケットボール大の何かがある。最初は「誰かがアマゾンの置き配でもしたのかな」と思ったのだが、だれも住んでいない家に配達するわけが無い。だんだん怖くなってきた。
 凝視すると、そのぼんやりとした何かが、少しだけ動いた。あれは生き物だった。こげ茶の生き物。猫かなと思ったのだが、それよりは少し大きい。私は恐る恐る歩みを進め、スマホのライトをつけた。
 すると、そこに居たのは狸だった。どこかで怪我をしたのか、少し顔が荒れている。狸…… たぬきか…… 確かに田舎だが、腐っても名古屋市、それも普通の住宅街に狸がいることに驚いた。

 狸はすぐにぴょこぴょこと走り去っていき、私の前から消えた。……いやあ、なんだか珍しいものを観たなあ。大都会埼玉では決してみられない動物に、少し感動した。
 私はほっこりしながら家に入り、さっとシャワーを浴びてベッドに入った。明日は笠原シェフのお店「賛否両論」にランチに行く予定がある。早く寝なければ。
 消灯し、数十分ほどスマホを見ながら過ごしていると、どこかで変な音がしているのに気が付いた。シュルシュル、ドコ、ドコ、シュルシュルと、あまり聞きなれない音だった。耳をすませばすますほど、より明瞭に聞こえてくる。音は、天井から鳴っていた。
 この音は多分、狸だ。さっきのあいつが、天井裏を寝床にしているのだと思う。姿は見ていないが、どう聞いてもネズミのような小さな動物の足音ではない。祖母の家は改築したとはいえ、外側は築百年は余裕で超え、近くの小学校が歴史の授業で見学に来たことがあるくらい古い家だ。動物が入り込む穴があってもおかしくない。
 今日は気持ちよく寝られると思ったのに、これでは気が気でない。部屋の中に入った形跡は一つも無かったので、「起きたら目の前に狸が!」みたいな展開にはならないだろうが、それでも未知の動物の気配がする家など休めるわけが無い。それにもしも糞尿が天井から染み出てきたら、もう家として使えなくなるかもしれない。
 よし、ここは驚かして出て行って貰おう。そう思った私は、そこらにあったハンガーを掴み、天井に投げようとした。しかし、なかなか実行に移すことはできなかった。
 狸の顔が脳内にちらつく。……あいつ、なんだか怪我してたしな。その傷を癒すため、外敵のいない祖母の家で休んでいるのかもしれない。そう思うと、無理に追い出すのもなんだか可哀想な気がした。

 くそ、もういい。今日は見逃してやる。私は再び布団に入り、奴の足音を聞きながら入眠することにした。相変わらず、上からドコドコ、シュルシュルと音がする。
 どうやら人の上にはヌーだけでなく、狸もいたようだ。二匹で楽しくやっているならばなによりである。

 

 


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