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3.水雷屯(すいらいちゅん)~産みの苦しみ①

六十四卦の三番目、水雷屯(すいらいちゅん)の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/n426fbc34f1eb

水雷屯

1.序卦伝

天地の間に盈(み)つる者は、唯(た)だ万物なり。故に之を受くるに屯(ちゅん)を以てす。屯とは盈つるなり。屯とは物の始めて生ずるなり。

六十四卦の一番目が、純粋の陽である「乾為天(けんいてん)」。二番目が、純粋の陰である「坤為地(こんいち)」。これら純粋の陽と陰が初めて交わることで、天地の間に万物が生まれます。

屯の字は「とん」と発音するときは「とどまる(例:駐屯)」という意味ですが、中国人っぽく「ちゅん」と発音するときは「満ちる」という意味になります。つまり、天地の間に陰陽の気が初めて和合し、満ち満ちている状態です。ここから万物が生じていきますので、まことにめでたいのではありますが、しかし一方で、満ち満ちているということは、スムーズに伸び伸びと流れていない、ということでもあります。むすぼれてほどけない、凝り固まっている、塞がっている、というような状態です。ここから徐々に気の流れはスムーズに流れていくようにはなるのですが、ともかく今現在はそのような状態にある、ということです。

2.雑卦伝

屯は見(あら)はれて而も其の居を失はず。

現われ出でてはいるけれども、その居るべきところを失っていない。つまり十分に伸びていないので、元の居場所を離れて動くことが出来ない、ということです。

3.卦辞

屯(ちゅん)は元(おおい)に亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よろ)し。往く攸(ところ)有るに用うる勿(なか)れ。侯(きみ)を建つるに利(よろ)し。

さて、この水雷屯を別の視点から見ていきましょう。この卦の内卦(下半分)は震の卦(雷)であり、外卦(上半分)は坎の卦(水)です。震の卦は、家族に例えると長男を意味します。坎の卦は、次男を意味します。つまり父たる乾の卦(天)と母たる坤の卦(地)が和合して、そこから長男と次男が生まれた状態、それが水雷屯である、といえます。

また、下が雷で、上が水です。ここで言うところの水とは、雲の状態であると思ってください。つまり、雨雲が空を覆っており、雷がゴロゴロと鳴っているけれども、まだ恵みの雨が降る段階には至っていない、ということです。恵みの雨が降らないことには、万物は育ちません。

また、震の卦は「動く」という性質を持っており、坎の卦は「陥る」という性質を持っています。せっかく生まれ出たのですから、動きたいのですが、動こうにも落とし穴に阻まれていて動けません。互卦の外卦(三・四・五爻)が艮の卦(山)であり、艮の性質が「止まる」であることも、その動き辛さに拍車を掛けています。

五行に従った見方をすると、震の卦は「木」であり、草木の芽の状態に当たります。すなわち草木の芽が出ようとしているのですが、上にある坎の卦、ここでは真冬を過ぎて初春に至ろうとしている時点での、まだ地面に積もり残っている「雪」と考えていいでしょう。まだ地表に残っている雪が、草木の生え出ずるのを邪魔しているのです(互卦の内卦(二・三・四爻)が坤の卦(地)であり、地面の中に草木の種子が埋まっている、と見ることもできます)。春はもうすぐそこまで来ているのですが、何とも煮え切らない時期にあるのです。

水雷屯は、六十四卦の三番目ではありますが、一番目の乾為天と二番目の坤為地は、どちらかというと概念的な、陽とはこんなものですよ、陰とはこんなものですよ、という立ち位置にありますので、現実に即した卦、という意味においては、この水雷屯こそが六十四卦の実質的な始まりの卦である、といえましょう。そのような意味においても、これはまさしく「生みの苦しみ」を示唆する卦なのです。

生みの苦しみは、数ある苦しみの中でも最も苦しいものです。母が子を生む苦しみ、これは生命の奇跡であり、まことに貴いものでありますが、私のような男性にとっては想像を絶するほどの苦しみでありましょう。なにしろ出産で命を落とすこともあるのです。今の時代は医療が発達していますから、それほどでもないかもしれませんが、一昔前までは全く珍しくないことだったでしょう。

水雷屯の生みの苦しみは、「屯難(ちゅんなん)」とも言い表されます。屯難は、まことにめでたい難儀です。子の出産に限ったことではなく、全ての物事が新たに生まれる場合において、屯難は避けて通れない難儀です。今まさに屯難を経験している、ということは、例えようもないほどに苦しい状況ではありますが、しかし新たな物事を生み育てようとしているのです。これは本当にめでたいことであり、屯難の苦しみも本当にめでたいことなのです。もし仮に、今はそのような屯難を経験していない、ということであれば、それは新たな生み育てをなしていない、既存の経験を繰り返しているだけに過ぎないのです。この世における本懐は、新たな物事を生み育てるに優ることはないのです。そして、そこには必ず屯難が付いて回るのです。もし我が人生において屯難を経験したくない、というのであれば、山奥にでも隠遁するしかないのです。

さて、ビジネスにおける屯難とは、会社の創業であり、新規事業の立ち上げであり、新入社員の入社であり、他にも色々な状況が考えられましょう。そのような状況下において、私たちは具体的にどのようにして、その屯難を克服すべきなのでしょうか。その答えは、上に掲げた卦辞にあります。

一つ目は、正しい道を継続することです。「貞しきに利し」の「貞」です。物事の始まりである水雷屯は、卦辞の始まりが「元亨利貞」となっております。元亨利貞の「元亨」は「大いに願い事は叶う」です。屯難は、永遠に続くものではありません。克服されるべき難儀なのです。新たな生命を生み育てる、まことにめでたい難儀なのです。だから、大いに亨るのです。ただし、条件があります。それは「利貞」すなわち「正しい道を継続することによって利するであろう」ということです。

元亨利貞の四文字は、春夏秋冬の四季に例えられます。春は元、夏は亨、秋は利、冬は貞です。すなわち屯難によって、物事は始まり(元)、盛んに伸び栄え(亨)、便利なものとなり(利)、長く正しく安定する(貞)のです。それぞれが重要な要素ではありますが、なかでも貞の「徳」は最重要でありましょう。屯難が苦しいからといって、諦めてはならないのです。努力を継続しなければならないのです。かつ、不正な道に逃れてはいけないのです。正しい道を固く守り続けなければならないのです。

二つ目は、焦って前のめりに進み過ぎないことです。「往く攸有るに用うる勿れ」とは、「おかしなところへ間違って行こうとしてはならない」という意味です。もちろん、何もせずにじっとしていなさい、ということではないです。屯難は屯難なりに、成すべきことはあります。その成すべきモチベーションの源泉が、焦りや不安、恐れであってはならないのです。冷静な判断力をもって、今まさに成さねばならぬことを成すのです。それは非常に難しいことでありますので、自分一人で解決するのではなく、何らかの補佐が必要でありましょう。

最後の三つめは、補佐を立てることです。「侯を建つるに利し」とは、「君主が一人で悩むのではなく、諸侯を建てて補佐を求めなさい」という意味です。易経は帝王学であり、元々が君主の方針決定などに用いる占いの書でありますから、どうしてもこのような書きっぷりになってしまいます。しかし、その意味するところは、現代のビジネスマンに当てはめても無理なく通用するものです。ここでいう諸侯は、現代に置き換えてみれば、信頼できるメンターです。例えば上司、懇意の取引先、外部のコンサルタント、弁護士や税理士などの専門家、こういったところでしょうか。これは慎重に選ぶ必要があります。トンチンカンな助言をされてしまい、それを鵜吞みにして失敗してしまっては元も子もないからです。助言を求めることは大切ですが、それはあくまでも参考意見であり、最後は自分自身の責任に基づいて熟慮を重ねて意志決定しなければならないのです。

4.彖伝

彖(たん)に曰(いわ)く、屯(ちゅん)は剛柔(ごうじゅう)始めて交はりて難生ず。険中(けんちゅう)に動く。大いに亨(とお)りて貞(ただ)し。雷雨の動、満盈(まんえい)す。天造草眛(てんぞうそうまい)なり。宜しく侯を建てて寧(やす)んぜざるべし。

既に申し上げた通り、水雷屯は、純粋な陽の気(乾為天)と、純粋な陰の気(坤為地)が初めて交わることで、天地の間に陰陽の気が満ち満ちて、万物が生じます。それが「剛柔始めて交はりて」です。しかし、この時点での陰陽の気は凝り固まっており、万物がすくすくと伸びやかに成長する段階ではありません。内卦の震の卦はとにかく動きたくて仕方ないのですが、外卦の坎の卦がそれを邪魔しているのです。それが「難生ず」「険中に動く」です。

しかし震の卦は決してへこたれません。生みの苦しみ、という栄えある苦しみを乗り越えて、新たなる物事を生み育てるためには、頑張り続けなければならないからです。とにかく、諦めないことです。正しい道を固く守って継続することです。さすれば、屯難はどこかの時点で必ず克服し得るのです。それが「大いに亨りて貞し」です。

屯難が克服できたかどうか、を判断するポイントは「恵みの雨」です。恵みの雨が降ることによって、万物は私たちの手を離れて勝手に育っていきます。今やまさしく、頭上に雷雨の起こりそうな気配があります。雷、すなわち内卦の震の卦と、雨、すなわち外卦の坎の卦、これら二つの動きが満ち満ちているからです。今はまだ雨は降っておらず、坎の卦は雲の状態ではありますが、もはや雨降りは時間の問題なのです。それが「雷雨の動、満盈す」です。

屯難の時でありますから、時運は慌ただしく、乱れております。それが「天造草眛なり」です。しかし、適切な補佐を得て、その助言に従って正しい行動をとることによって、少しずつ問題は解消されていき、やがて恵みの雨が降ります。ここで一つ、注意すべきことがあります。適切な補佐を得たからといって、それに安心して油断してはなりません。その補佐役の助言が必ずしも的を射ているとは限りませんし、状況は刻々と変化するのですから、都度状況に応じた対処をしなければなりません。休んでいる暇などないのです。それが「宜しく侯を建てて寧(やす)んぜざるべし」です。

5.象伝

象(しょう)に曰(いわ)く、雲雷は屯(ちゅん)なり。君子以て経綸(けいりん)す。

雷が鳴り響き、空には雲が立ち昇っており、いまだ恵みの雨が降る状態には至らず、地上はまさしく生みの苦しみの最中にあります。しかし恵みの雨は時間の問題であり、まもなく降るでありましょう。

経綸とは、機織りの糸を整えることです。「経」は縦糸であり、「綸」は糸目を揃えることです。君子は、この水雷屯の卦をみて、屯難を救うための大綱を定めて、そこから細部の検討に入るのです。

6.最後に

六十四卦の中には、困難な状況を示唆する卦が幾つかあります。なかでも最も困難な状況である代表的な「四難卦(しなんか)」と呼ばれるものがあり、水雷屯はその一つです(ちなみに他の三つは、坎為水(かんいすい)・水山蹇(すいざんけん)・沢水困(たくすいこん)です)。

しかし私の個人的な想いとしては、この水雷屯を四難卦の一つに挙げるのは、どうも納得がいきません。上に何度も書いたとおり、おめでたい難儀だからです。まあ、それほどまでに辛くて厳しい難儀である、とは言えましょうが、しかし喜ばしい難儀であることは間違いないのです。

なお、この水雷屯の内卦と外卦を逆にすると、雷水解(らいすいかい)という卦になります。外卦が震の卦(雷)、内卦が坎の卦(水)です。つまり雷の下に水があるということは、まさしく恵みの雨が降っている、ということに他なりません。あるいは、震の卦は五行の「木(草木の芽)」に配当されますので、雪が解けて草木が芽を出し、地面の土は瑞々しい真水をたたえている、という状態になります。

水雷屯の難儀、屯難は必ずや克服されるべきものであり、その克服された状態が、上下逆転した雷水解なのです。

水雷屯の各爻の陰陽を全て裏返すと(これを「裏卦(りか)」といいます)、火風鼎(かふうてい)の卦になります。これは創造的破壊の「沢火革(たくかかく)」とワンセットの卦であり、破壊に伴う新たな創造を意味します。「新たなものを生む」という意味で、水雷屯と火風鼎は共通しております。まさしく表裏一体です。

水雷屯の各爻をそっくりそのまま引っくり返すと(これを「綜卦(そうか)」といいます)、山水蒙(さんすいもう)の卦になります。綜卦は、物事の相手方を意味します。水雷屯でいうところの相手方とは、生れ出る物事です。物事が生まれ出たときは、みな無知蒙昧であり、ゼロから教育していくことが必要となります。山水蒙は、まさしく無知蒙昧を意味する卦であり、教育の卦であります。

最後に、水雷屯は、陰陽の気が、凝り固まっていながらも、流れ始めた段階です。陰陽の気が全く流れていない状態を表しているのは、天地否(てんちひ)の卦です。陽の気は天のエネルギーですから、ベクトルが上の方に向いております。陰の気は地のエネルギーですから、ベクトルが下の方に向いております。天地否は、天が上で地が下ですから、お互いのベクトルが噛み合わないのです。気の流れとしては最悪の状態です。水雷屯は、屯難の最中ではありますが、とにもかくにも気は流れているのです。ただ、流れ始めたばかりなので、不器用に凝り固まっているのです。これをスムーズな流れにするのが大事なことなのです。

このようにして、六十四卦はそれぞれ有機的に繋がっているのです。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。