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29年間、東京でしか暮らしてこなかった人が急に群馬に住んだら【エッセイ】

春光あふれる中を吹く風が光る中、僕は普段着ることのないスーツを着て群馬県へ向かう列車の中にいた。都会から地方への移り変わりを車窓をみてわかる。29歳、はじめての地方の出張、もやもやと霧が立ち込めたうえに真っ暗だった海の真ん中にいるかのようである。



4月1日、晴れて社会人となった人、おめでとう。4月というのはさまざまな変化に見舞われる季節である。



僕も例外ではない。



この4月から2ヶ月、出張で群馬へ行くことになった。2週間前、「やっぱり都会での暮らしっていいよね」と言っていたが、このときにはすでに群馬行きが決まっていた。高崎とか館林とかならわかるが、地名を言っても「え?どこ???」となるので言わないが、初めに言うと本当に何もない街だった。


ずっと都会で暮らしてきた人が急に地方での暮らしを強いられたとき、どういうことを思うのか、この記事を見て多少なりとも面白がったもらえたら嬉しい。


まず、駅をおりるとなにもないだだっ広いロータリーに出る。

全然車を見かけることのないロータリー

ロータリーはタクシーやバス、乗用車の交通整理を目的としているが、この写真でも分かるように車両が1台も見かけない。周りには高層建造物が見当たらない。そのおかげか、空が広く、淡く透けたライトブルーの海であった。


駅から少し進むとコインパーキングがあったのだが、これがすごい。

「入庫後24時間 400円」なのがポイント。しかも「オールタイム 60分100円」なのがすごい。都会では普通「20:00〜8:00 最大700円」と、通常は日中と夜間で価格をわけている。もちろん日中に駐車すると「15分400円」の駐車場はいっぱいある。それにひきかえ、上記のコインパーキングは「オールタイム 60分100円」なのである。


これが地方か……ッ!


こんな値段で都内では停められないよ…。そもそもそんなに車も走ってないうえに、ただ土地が余ってたのを地主が貸しているだけのような佇まいである。


そこから歩くこと15分。


徐々に身の毛もよだつような感覚になる。周りからだんだんと建物が消えていくのだ。



1km先の住宅が見えるくらい、遠くまで見える。余ってる土地がないとはいえ、よりよい土地利用とかなかっただろうか。なにかを栽培してる……ようには見えなかったし、ただただ広いだけの土地という感じでしかなかった。逆に都会は土地が無さすぎた結果、ほっっっそ長い雑居ビルが乱立するのだ。


駅から15分歩いて気づいたことがある。





人っ子1人ともすれ違わない




こんなに歩いておいて人とすれ違わないことある?????第1村人はいったいどこにいるの?????



東京なんて「えいっ!」って石ころ投げれば絶対に人に当たるのに?????こんなところで石ころなげたら「コツン」って虚しく地面を叩くか、投擲次第では人様のお家の窓を「パリーン」とわれるくらいだろうか。それはもう肩力がおかしい。



それに比して車はビュンビュン走っていたので、やはりこの地は車社会なのだ。1769年にフランスでN.J.キュニョーによって蒸気三輪自動車が発明されて以来、人類の叡知が今日に至る。人類みな、発明されたものは大事に使ったほうがよい。こういうときに叡知の営みを存分に発揮するのだ。



さらに歩いて20分、ようやく交差点らしい交差点についた。




歩道の幅が広いのは気のせいだろうか・・・???




東京は曲がれば路地。曲がっても路地。曲がれど曲がれどなお路地。


僕ははじめてこういうのを見た。朝、小学生が登校するとき、地域のおじちゃんが横断旗をもって「いってらっしゃい」って言う光景が想像できる。しかしここには横断旗が1本もなかった。そうしたら群馬の交通は誰が守るのだ。



交差点を渡るとそこには1枚の軍手の落とし物が。1双ではない。1枚だ





なぜいつも道路に落ちている軍手はいつも1枚なんだ。解せない。






途中、配管がごつい工場を見つけた。普通に見ていて好きだ。


駅から45分くらい歩いたところだろうか。「あ、いよいよ何もないところに来てしまった」と頭抱えてしまった。







荒野かよ!!!!!!!!!!!!!



よく晴れた群馬の空に向かって叫んだ。悔しいくらいに声がよく通る。


短期の出張なので長くはいないが、早くもカルチャーショックである。駅から宿泊先まで歩いて1時間かかるし、当然バスも2~3時間に1本しかない。近くにカフェや飲食店もない。文化をこよなく愛する者には地方での暮らしは向かないとわかった。当然だが休みの日は何もすることがないので東京の家に帰ってる。



都会になにを求めたいか。それは文化である。


生まれた場所がたまたま都会でも地方でも、本来、出身がどこであるかは、同列に扱われるべきである。そこに優劣はない。絶対にだ。


僕はたまたま都会で生まれ、都会で育ったため、地方での暮らしはテレビかYouTubeでしか知ることができない。なにを理由に上京するかは人それぞれだが、大体は「進学」「就職」「転勤」になるではなかろうか。本当に何もないかぎり、住んでいる地から離れることはないだろう。北海道に住んでいる人に対し、「あんなに寒いのによく住めますね」というのは愚問である。「生まれた時からそういう生活をしているからあたりまえ」なのである。遊牧民に「なんで移動ばっかしてるんですか?」と聞いているのと同じである。「だってそういうもんだから」としか言いようがないからである。


生まれた時からそういう生活、つまり、都会にずっと住んでいる僕が思う、都会に住むメリットは文化へのアウトリーチのしやすさである。都会も地方も、どこに住んでいようが生活には困らないし、それぞれの郷土愛はあるにせよ、都市部と地方で如実に差として出るのがそれである。


都会に住めば電車賃数百円で、気軽に最先端のカルチャーに接触できる機会が多い。地方とくらべてしまうと平等ではない。地方に住んだことがない僕でもわかる感覚がそこにはある。


早く東京に帰りたい。そう思うばかりか、春の陽気な風がむなしく感じた。


しかし、道中でみた群馬の桜が空に高くそびえていた。まだ頑張れそうな気がする。これが今春にみた最初で最後の桜となった。4月になって環境が変わってまだなじめない人、まだ不安がある人、頑張ろう。僕も頑張るからさ。


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