オールマイノリティプロジェクトシンポジウム感想
感想書こうと思ったんだけど、見かけたこれのことを思い出して、私は行きたいところにはちゃんと行っているなと改めて思えました
お手拭きの包みが赤いおしゃれなところで
大好きな人たちと
隣にあの人がいて(一方的に私が知ってる歌人)
初めて話すことができた人から本を買ったり
将棋
大丈夫、この後の私は履歴書的にはまあまあ変な感じになっていくんですが、それでいいよと言ってあげたい
で、本題
https://twitter.com/AMP_JPN/status/1776831860553007210?t=pGCDuSF_GQ-WjvjlrtcqGg&s=19
リアルタイムで見ていました。途中で、寝てしまいましたがアーカイブもあるというアナウンスがあって安心でした。
感想アンケートを書きつつ、これはまあ、出したいなと思ったのでここに載せておきます。
モヤモヤという言葉がたくさん使われるようになった結果、結局自分が記号表現しにくいと思っていた部分が「モヤモヤ」と表され、「わかる~」と共通項のように受け止められることに抵抗感を感じるようになってしまいました。一言で言えないこと自体にこだわってしまうのですが、それでも、共有することをあきらめない方法を探して今日も参加しました。
社会の中でひとりひとりが違う存在だということが、ずっとわからなくて「違ってて当たり前」というメッセージと「常識的に判断しろ・普通に考えればいい」というメッセージの間で混乱していました。
困りごとを言っても理解してもらえない→言ってはいけない・言っても仕方ない→なんとか周りの様子に合わせて平静を装う→それがある程度できてしまう→困ってないでしょ
このループから抜け出すには、体調を崩して休職、退職するという道をたどっていました。
その私が、充実した生活を送れるようになったのは、やはり安心して話せる他者との出会いでした。疾患の縛りがなく対等な対話ができる患者協働の医療を目指している人たちとの出会いが大きな勇気づけになったことを改めて思い出しました。
当事者、と言ってもひとくくりにできなくて「あるある」話に乗れなかったりするわけですが、それでも、無意識バイアス、自分の加害性も認めたうえで、理解しようとしつづけるのだと、思いました。
リカバリーの概念を知って、支援は自分で選べると感じるようになってきたものの、数回でくじけました。セルフアドボカシーの訓練を少しずつするということなのでしょう。連帯感というか、理解しようとしてくれる人たちがいるということを今回のシンポジウムで感じることができました。
ありがとうございました。
以下は、私の活動と応援です。
4/13のリカバリーの学校すぎなみ、参加をお待ちしております、
クラウドファンディング応援中です。この「くすりと生活」の配信は、私が他者の存在を感じられるようになったきっかけのひとつです。一人一人のリカバリーの物語が聞けます。そして、それを製薬企業に届けるフラットなプラットフォームを目指しているそうです。
スタッフ目線のラジオもどうぞ。
いつかどこかでお会いしましょう
ごきげんよう
もし、サポートいただいたら、また、ひとに会いにでかけます。