見出し画像

アサガヤ、アサガエリ。


 「たなばたさま」のメロディが流れる中、急な階段を下りて改札を出た。さっきまで乗っていた黄色い電車が高架を駆ける轟音を遠く聞きながら、西友の横を通り過ぎ、神明宮を抜けて、住宅街の細い路地を歩いていく。しばらくすると、ネオンサインで彩られた仄かな灯りが見えてくる。

 あの夏に入り浸っていたダイニング・バーの光景を、僕は今でも思い出すことがある。薄いピンク色の、ぼうっとした照明。壁際に並んだ年代物のペコちゃん人形。手書きのメニュー表。肉豆腐美味しかったなあ。遠藤関の手形入りポスター。誰かが差し入れた「百年の孤独」のボトル。ポールジローの深みのある香り。おきゃんで、チャーミングで、時どき奥深い人生訓を話してくれたマスターが愛してやまなかった飼い犬たちのつぶらな瞳。決して広くはない店内だったけど、様々なバックグラウンドを持った年代も出自も異なる人たちがマスターの人柄を慕って集まっていた。僕もそのひとりだった。将来への漠とした不安を打ち明け、相談に乗ってもらったことも一度や二度ではなかった。


 話し込んでしまったからか、飲みすぎてしまったからか、終電を逃してしまった理由はもう覚えていないけれど、すずらん通りの「プレステージ」に場所を移して、朝まで阿佐ヶ谷で過ごした初夏もあった。「プレステージ」も、多様性のるつぼだった。一番奥のカウンターでは焼酎の入ったグラスを握りしめたおじいさんが「人生は、松ぼっくりやぞ」とうなるような声で呟いていた。入口の近くにじっと佇んでいたジョニー・デップそっくりの長身の男性。「高円寺のジャック・スパロウ」と呼ばれていた。

 夏の朝は早い。空が明るみ始める頃、ユニコーンの「すばらしい日々」をその場にいたみんなで歌った。何となく、この場で過ごせる時間を、「尽きなく生きた」感じがした。ひと晩飲んで話して歌って、何かが変わるわけでもない。でも、そこで過ごした記憶は分厚い地層のように、こころの中に堆積していた。走り出した始発の中央線が、少し汗くさい僕を都心まで運んでいった。




 件のダイニング・バーは、僕が足しげく通うようになってから、1年半ほどで店じまいをしてしまっていた。マスターは館山で暮らしているらしい。今もお元気だろうか。犬たちも、元気に過ごしているだろうか。

 「高円寺のジャック・スパロウ」と呼ばれた男性は、僕が就職した年、交通事故に遭って亡くなったとニュースで伝え聞いた。けれど、今でも何だか信じられない。

 「人生は、松ぼっくり」。カウンターに突っ伏すようにして呟いたおじいさんが何を伝えたかったのか、当時も分からなかったし、今も分からない。でも、しんどい時にそのフレーズがふっと脳裏に浮かんで、ほんの少しだけ笑みがこぼれることがある。笑顔になれる間は、まだがんばれる。

 阿佐ヶ谷の街に足を運ばなくなってから、気付けば久しく経っている。そういえば、あの夏に飲んだビールの味もすっかり忘れてしまった。お店の様子や出会った人のことは思い出せるのに。いずれほかの記憶も思い出の彼方へ去ってしまうかも知れない。

でも、ぜんぶ忘れてしまっても、いや、忘れてしまうからこそ、あの街はきっと何でもないかのようにやさしくあたたかく僕を受け入れてくれるだろう。あの夏と同じように、「たなばたさま」のメロディに胸を高鳴らせながら、少しだけ様変わりした街に会いに行こう。




#阿佐ケ谷 #中央線 #エッセイ #思い出 #あの夏に乾杯