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【旅日記】シルクロードの旅、はじまりはいつも晴れ(7) ―最終回:帰還編―

最果ての地へ ~陽関遺跡~

前漢時代、西域に通じる交通の要衝として、敦煌の北西に「玉門関」、南西に「陽関」という2つの関所が設けられていました。唐代には、あの玄奘三蔵も玉門関を通って、インドへ旅立ったといわれています。

旅の最後の日、我々は陽関の遺跡を訪れました。

東西交易の要衝だった往時の関所も、今は閑散としている

柳の隣りに、誰か見えますね。近づいてみましょう。

酒杯を片手に沙漠の彼方を指す王維の像

最盛期の唐朝に、李白や杜甫とともに活躍した詩人・王維のオブジェです。

「送元二使安西」の詩句を刻んだ石碑

彼が陽関に立って詠んだ、あまりに有名な七言絶句が刻まれています。

『送元二使安西』王維

《原文》
渭城朝雨浥軽塵
客舎青青柳色新
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人

《日本語訳》
渭の町に降る朝の雨で、塵や埃もたたず、空気がすっきりしている。
旅館の前の柳も雨に洗われて、新緑のように美しい。
昨夜からもう十分酒を飲んだが、さあ、もう一杯飲み尽くしてくれ。
西方の陽関を出ていったならば、このように気安く酒の飲める友なぞいないのだから。

『漢詩の旅 2 シルクロード』吉崎一衛 明治書院

ここから遺跡のある所まで、少し距離があるようです。たいていは乗り合い車で現地まで運んでもらいますが、なんと牛車ならぬ、ロバが引く車も貸し出されていました。

場所柄のためか、観光客はほとんど見当たらない

途中には、もう一つの漢詩を刻んだ石碑がありました。これも有名ですね。

「涼州詞」の詩句が刻まれた石碑

『涼州詞』王翰

《原文》
葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回

《日本語訳》
葡萄の美酒を、夜の光のもとで光るという杯に満たし、
いざ飲もうとすると、まるで促すかのように馬上から琵琶の曲がおこる。
沙漠に酔いつぶれて倒れてしまっても、君よ笑わないでくれ。
昔から、この辺境に出征した兵士で、無事に帰れた者は何人いるというのか、いないではないか。

『漢詩の旅 2 シルクロード』吉崎一衛 明治書院

いよいよ遺跡が見えてきました。左の方に見えるのは、かつて戦場で使われたと思しき兵器です。車輪があるので、移動式の砲台でしょうか?

広大なゴビ灘に、ほとんど風化した遺跡が広がる

下の写真が烽火台跡。いわば、のろしです。これを取り囲んでいたはずの城壁は全て崩れ、すでに砂塵と化しています。

陽関といえば、この烽火台跡がイメージされることが多い

そして眼前に広がるのは、はるか西域へと伸びるゴビ灘(たん)の沙漠。そうだ、私はこの景色が見たかったのだ……。なんと歴史のロマンと悲哀が駆り立てられる光景でしょう。

空と沙漠だけが続く無人の風景は、悠久の歴史を感じさせる

漢民族の詩人たちは、長安の都から遠く離れたこの関所を“最果ての地”と呼んで別れを嘆きましたが、シルクロードの旅とは、実はここが本来の出発点なんですよね。この地より西域で、多種多様な民族文化が花開き、盛んに交易が行われ、また時には熾烈な戦いが繰り広げられたのでした。

西千仏洞への小巡礼

莫高窟に比して、観光客が少なく閑散とした西千仏洞

莫高窟の西に位置していることから、「西千仏洞」と呼ばれる石窟です。全体の規模も小さい上に、壁画の破損状態も激しいため、観光客の数もまばらでした。しかし本来、このような落ち着いた静けさこそ、聖地にはふさわしいのではないかとさえ思えます。

帰途につく

アスファルトの道路を行けども行けども、ゴビ灘の風景が広がります。そこで見たのは、延々とつながっている電線と変電所。

ガイドの楊さんの話によれば、現在の敦煌市で使われているほとんどの電気は、太陽光と風力で発電しているのだそうです。また、市街では電気バイクが走っているため、空気も西安ほど汚染されていません。敦煌の環境対策のために、最先端の技術を駆使して「やることはやる」という中国の行動力に脱帽!

中国の急速な発展を象徴する、沙漠の中の変電所

さて、敦煌空港に着きました。フライトの時間まで、待ち合い室でガイドの楊さんとWeChatの番号を交換するなど、名残を惜しみます。日本に帰国して数カ月後には、なんと楊さんから「新年快楽!」のメッセージも届いたのです!

前漢時代に活躍した外交家・張騫を称える書画が飾られています。味わい深い書体ですね。

敦煌空港内はすっかり近代的なビル

さらば敦煌!

敦煌=西安間は、昆明航空のフライトで

〈おわり〉

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