【旅日記】シルクロードの旅、はじまりはいつも晴れ(7) ―最終回:帰還編―
最果ての地へ ~陽関遺跡~
前漢時代、西域に通じる交通の要衝として、敦煌の北西に「玉門関」、南西に「陽関」という2つの関所が設けられていました。唐代には、あの玄奘三蔵も玉門関を通って、インドへ旅立ったといわれています。
旅の最後の日、我々は陽関の遺跡を訪れました。
柳の隣りに、誰か見えますね。近づいてみましょう。
最盛期の唐朝に、李白や杜甫とともに活躍した詩人・王維のオブジェです。
彼が陽関に立って詠んだ、あまりに有名な七言絶句が刻まれています。
ここから遺跡のある所まで、少し距離があるようです。たいていは乗り合い車で現地まで運んでもらいますが、なんと牛車ならぬ、ロバが引く車も貸し出されていました。
途中には、もう一つの漢詩を刻んだ石碑がありました。これも有名ですね。
いよいよ遺跡が見えてきました。左の方に見えるのは、かつて戦場で使われたと思しき兵器です。車輪があるので、移動式の砲台でしょうか?
下の写真が烽火台跡。いわば、のろしです。これを取り囲んでいたはずの城壁は全て崩れ、すでに砂塵と化しています。
そして眼前に広がるのは、はるか西域へと伸びるゴビ灘(たん)の沙漠。そうだ、私はこの景色が見たかったのだ……。なんと歴史のロマンと悲哀が駆り立てられる光景でしょう。
漢民族の詩人たちは、長安の都から遠く離れたこの関所を“最果ての地”と呼んで別れを嘆きましたが、シルクロードの旅とは、実はここが本来の出発点なんですよね。この地より西域で、多種多様な民族文化が花開き、盛んに交易が行われ、また時には熾烈な戦いが繰り広げられたのでした。
西千仏洞への小巡礼
莫高窟の西に位置していることから、「西千仏洞」と呼ばれる石窟です。全体の規模も小さい上に、壁画の破損状態も激しいため、観光客の数もまばらでした。しかし本来、このような落ち着いた静けさこそ、聖地にはふさわしいのではないかとさえ思えます。
帰途につく
アスファルトの道路を行けども行けども、ゴビ灘の風景が広がります。そこで見たのは、延々とつながっている電線と変電所。
ガイドの楊さんの話によれば、現在の敦煌市で使われているほとんどの電気は、太陽光と風力で発電しているのだそうです。また、市街では電気バイクが走っているため、空気も西安ほど汚染されていません。敦煌の環境対策のために、最先端の技術を駆使して「やることはやる」という中国の行動力に脱帽!
さて、敦煌空港に着きました。フライトの時間まで、待ち合い室でガイドの楊さんとWeChatの番号を交換するなど、名残を惜しみます。日本に帰国して数カ月後には、なんと楊さんから「新年快楽!」のメッセージも届いたのです!
前漢時代に活躍した外交家・張騫を称える書画が飾られています。味わい深い書体ですね。
さらば敦煌!
〈おわり〉
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