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事業の責任者として建築を見つめる――独立を決めていた設計者がNOT A HOTELを選んだわけ

NOT A HOTELのプロジェクトマネージャー(以下PM)は、進捗管理や各所の調整だけをするポジションではない。領域を超えてプロジェクト全体と向き合い、遂行する“責任者”であり、事業を司る“経営者”だ。NOT A HOTELを実現するための0から100までを、誰よりも考え抜く存在といってもいいだろう。

まさにそんな経験を通じて、建築士としての幅を広げたいと願っていたのが齊藤有一だ。大手ゼネコンの竹中工務店に13年勤めたのち、独立と迷いながらもNOT A HOTELへの転職を決意。いまでは「NOT A HOTEL MINAKAMI TOJI」や「NOT A HOTEL SETOUCHI」など、大規模プロジェクトを担っている。そんな齊藤に、キャリアチェンジを決断した経緯やNOT A HOTELでPMを務める醍醐味について聞いた。


いままでよりも広い視野で「建築」を見てみたかった


―齊藤さんは新卒で竹中工務店に入社し、13年間設計者としてキャリアを積んでこられたんですよね。

齊藤:学生時代はずっとアトリエ系の設計事務所に興味があったのですが、次第に「たくさんの人が楽しめる大きな建築をつくりたい」と思うようになり、大手の竹中工務店を選んだんです。在籍中には商業施設や劇場、映画館など、さまざまなお客さまが訪れる大型施設を中心に設計を手がけました。シンガポールのチャンギ国際空港を担当し、2年ほど現地に駐在したこともあります。

―そんな充実したキャリアのなかで、どうして転職を考えたのでしょうか。

齊藤:きっかけになったのは、企画からデザイン、インテリアの設計まですべてを担当した池袋の大型シネコン「グランドシネマサンシャイン 池袋」です。配信サービスが隆盛を極めるこの時代に「日本一の映画館をつくりたい」とご要望をいただいて、映画館に足を運ぶ価値ってなんだろう?という問いから考え始めたプロジェクトでした。

「映画好きな人の邸宅」をコンセプトに、施設内を探検するだけでもあらゆる名作映画との出会いがあり、一緒に来た家族や友人との新たなコミュニケーションが生まれる場づくりを目指したところ、開業後のオリコン「満足度の高い映画館ランキング」で全国一位を獲得。建築そのものだけでなく、映画館の在り方や業界をとらえ直す提案によって、グランドシネマサンシャインは大きな話題を呼びました。

齊藤 有一:明治大学大学院修了。竹中工務店にてホテル、劇場、映画館、商業施設、空港、大規模再開発、オフィスビル、研究所などの建築設計やインテリアデザインに従事。23年1月NOT A HOTEL参画。主にMINAKAMI "TOJI"やSETOUCHI等のプロジェクトマネジメントを担当。 一級建築士。

齊藤:その経験から、会社や業界、ビジネス全体を踏まえた提案をすることで、設計者はもっと面白く、もっと深い仕事ができるんじゃないかと感じて……でも大規模案件を手がける組織系設計事務所では関わる人数も多く、0から100までを自分で管掌する機会は決して多くありません。

設計者としてトータルで責任を持てるまでには、数十年という時間を要します。もちろん予算や規模感、インパクトなど、竹中工務店でしか手がけられないやりがいのある仕事はたくさんありましたが、それ以上に自分の手で広く意思決定できる環境を求めていました。いまより広い視野で建築を見ることができるフィールドを探していたんです。

―0から100までをすべて自分で見るためには、独立するのが近道のようにも思えます。

齊藤:もちろん独立することも考えました。でも、与えられた要件に対してデザインする業務に留まるなら、独立しても意味がない。これまでのキャリアだけですぐに独り立ちして、自分がその枠を超える設計者になれるかにはまだ疑問がありました。

そんなときに、いま同じ建築チームで働く松井さん(クリエイティブディレクター)のXでNOT A HOTELを見つけたんです。同業他社の身からは、常軌を逸したチャレンジをしているNOT A HOTELが純粋に楽しそうに見えたんですよね。

齊藤:当時の自分は37歳。一度きりの人生なのに、ただ指をくわえてうらやましがっているのはもったいない。NOT A HOTELに入ってそのチャレンジングな建築がどうやって生まれているのかを体感したかったし、ここでならいろんな領域の仕事をして、設計者としての新しい立ち位置がつくれるんじゃないかと思ったんです。そう考えると居ても立っても居られなくなり、その2日後にはエントリーをして、1週間後には内定をいただきました。

―すごい早さですね。不安やためらいはなかったんでしょうか。

齊藤:「まったくなかった」と言いたいところですが、怖気付く気持ちはありました。建築は「10年やって半人前」という世界だから、30代なかばを過ぎたあたりで「この会社でずっとやっていくのか? 独立か?転職か?」と悩む人が多いんですよね。しかも、そのころにちょうど役職が上がったりするのがまた悩ましい…。

でも僕の場合は、昔からお世話になっている経営者の先輩に「できれば35歳まで、遅くとも40歳までに挑戦しないと腰が上がらないよ」と言われていて…37歳のいまが、新しいキャリアに全力でベットできる最後のタイミングだと感じたように思います。当時たまたま読んだ岡本太郎さんの本のなかに「結果がまずくいこうがいくまいがかまわない。まずくいった方が面白いんだと考えて、自分の運命を賭けていけば、いのちがパッとひらく」という言葉があって、当時の自分にブッ刺さりました(笑)。その衝動を純粋に受け止めて動けたのはよかったなと思っています。

―NOT A HOTELの内定後、入社までにビジネスとクリエイティブを学ぶGO(The Breakthrough Company GO)の教育プログラム「THE CREATIVE ACADEMY」を受講されたのも、全力でベットするための助走みたいなお気持ちだったんでしょうか。

齊藤:そういう意識はありましたね。最初からトップギアで進みたかったから、内定中もいたずらに過ごしたくなかったんです。さまざまな経営者の講義を受けて、課題に直接フィードバックをもらえるなんて機会、なかなかありません。

それまでほかの業界のクリエイターと接する機会はあまりなかったけど、この勢いでいろんな枠組みを超えたいなとも思いました。実際、めちゃくちゃ面白かったです。同じ課題でも、広告や放送畑のプランナーと建築の僕とではデザインプロセスが全然違ったりして、いろんな答えの出し方を学べましたし、いろんな業界の面白い仲間ができました。

体当たりで「PMは責任者であり経営者」の真髄を理解していった


―入社時の職種でPMを選んだのはどうしてですか?

齊藤:エントリー時はデザイナーかPMかで迷っていたんですが、面談をするなかでPMに落ち着きました。「NOT A HOTELのPMは進捗を管理するだけのポジションじゃなくて、プロジェクトの責任者。事業の経営者です」と言われて、すごくいいなと思ったんです。自分にどこまでできるかは不安でしたが、これから目指す“新しい設計者”という将来のために通らなきゃいけない道なのは明白でした。デザインにもとことんコミットするのがNOT A HOTELのPMであることも自分の気持ちを後押しし、チャレンジすることを決意しました。

―入社して、いかがでしたか?

齊藤:最初の3ヶ月は正直めちゃくちゃ大変でしたね。入社してから改めてPMという役割の難しさを痛感しました。「責任者」「経営者」だと聞いてはいたけれど、頭のどこかで「調整役」みたいな思い込みが多少あって……たとえば、上質なデザインを維持しながらコストを下げる具体案を考えるのは設計者さんの仕事かもしれないけれど、それをすべて理解してジャッジするのはPMなんです。その役割をまっとうするためには、じつは僕が真っ先に必要な検討項目をリストアップして、必要なら手を動かして絵を描くくらいコミットしないと、難題をよりよいゴールへ導くことができない。

時には施工者さんと同じくらい工程を縮めるための具体的なアイディアを必死に出して、一緒に考えていく。ときどき「なんでPMがそこまでやるんだろう」とか思ったりもしましたが、「このプロジェクトの経営者だから」だと考えれば、すごく腑に落ちる。ただ、そういうコミットの仕方をいままでしてきていなかったから、序盤は本当に苦しかったですね。建築チームのマネージャーである綿貫さんからは「いままでの考え方を捨ててください」と言われましたし、最初のうちはアンラーニングすることに必死でした。

―たとえば、どんなことが壁になりましたか。

齊藤:いま思えば、プロジェクトに対する解像度が低かったんだと思います。たとえばスケジュールが遅れるとわかったとき、当時の僕は施工者さんからその理由を聞いて、解決策をちょっと検討してうまくいかなかったら諦めようとしてしまっていました。

でも「スケジュールが遅れる」→「なんで?」→「こういう理由だから」→「なんで?」→「この作業に時間がかかるから」→「なんで?」→「こういう背景があるから」→「なんで?」って「なんで」を5回くらい繰り返していくと、たいていの問題にはなんとかできる糸口があるんです。

そこまで僕らが考えていると、そのうち周りの人も必死になってついてきてくれます。そこを突き詰めきらずに「こんなもんだろう」「これはきっと無理だ」って分かったつもりになっていた自分を、最初の3ヶ月でいやというほど思い知らされました。どこか“うわべ”で仕事をしてしまっていた自分に気づいたんです。

―その“うわべ”の状態を、いつどうやって脱却したんでしょうか。

齊藤:30代後半でそれなりのキャリアを背負って入社して、ふつうならなかなか軌道修正できないと思うのですが……4ヶ月を過ぎたころから、急にいろんなことが見えはじめたんです。たぶん、要らないプライドを捨てられたんじゃないかなと。

NOT A HOTEL建築チームには、みんなが余計なものを脱いで、身一つで目の前の問いに体当たりしていくような空気があるんですね。そういうピュアな気持ちで取り組む仲間の姿を見ているうちに、自分も余計なものを脱いだほうが気持ちよく仕事ができるってことに気づいたんだと思います。以降はぐっと成長曲線の角度が上がったことを、自分でも感じられました。

前代未聞を実現していく“本気のぶつかり合い”の中心で


―NOT A HOTELのPMだからこそできることについて伺いたいです。プロジェクトの責任者/経営者として、どんなところまで突っ込んで仕事をしていますか?

齊藤:ビャルケ・インゲルス氏率いるBIGとの協業プロジェクト「NOT A HOTEL SETOUCHI」では、デザインのやりとりがとても白熱しました。

瀬戸内海が舞台のプロジェクト「NOT A HOTEL SETOUCHI」

齊藤:毎週100枚くらい提出される新しいアイディアを見て、こちらも1日2日のうちに真剣勝負のフィードバックを戻し、議論を煮詰めていく。担当者であるBIGの小池さんには「お互いずっと界王拳状態」と言われましたね(笑)。

齊藤:でもそういう全力のぶつかりあいからこそ、本当にいいものが生まれるんです。BIGは非常に高いデザインスキルがあるけれど、僕らはプロジェクトや敷地に対する情熱と解像度では負けません。高い熱量で思考を深めていけば、アイディアはおのずと出てくるし、対等に意見しあえるもの。それはデザインや設計に限らず、施工やスケジュール・コスト管理、運営やセールスなどすべての面で同じです。

―そうやってぶつかり合える関係性を各専門チームと築くために、心がけていることはありますか?

齊藤:PMはプロジェクトをマネジメントしていくために厳しい意見を出し、各者と対峙するようなスタンスに陥りがちなんですが……対峙じゃなくて、伴走をするようにしています。相手の仕事をリスペクトしながら、想いを伝え、自分が誰よりも手を動かす。そうやって一緒に走っていくことで、信頼関係が生まれ一つのチームが出来上がっていく。じゃなければ、圧倒的なデザインや性能を保ちながら超難易度の高い建築の実現なんて叶えられません。さまざまな部門のプロが率直な意見を戦わせながら最高のものを実現していく過程において、その中心に立ち、灯をともし続けるのがPMの仕事です。

チームのみならず、地元住民の皆さんからの理解や協働の重要性も語る(撮影: 齊藤)

―改めて、本当に領域の広いポジションですね。

齊藤:「こんなに考えなきゃいけないことがあるんだ!」という驚きは、入社して何度も味わいましたね。そういう意味では、NOT A HOTELのPMを経験したことがある人なんてどこにもいないから、前職のキャリアが何であれ最初は大変なことが多いと思います。でもそのぶんゼネコンに組織設計事務所、アトリエ、PM/CM会社……どんなバックグラウンドでも必ず経験を活かせるし、新たな学びもある環境です。

NOT A HOTELは外からだとデザインなどの華やかな部分が目立ちますが、じつは性能や品質にもとことん力を尽くしています。環境がまったく異なるどの拠点においても、同じだけ快適な環境をつくらなければならない。つねに、デザインと性能をそれぞれ100%で成立させないといけないんです。意匠設計だけでなく、構造や設備設計にも造詣の深いメンバーがいるのも、NOT A HOTEL建築チームの強みだと思います。

―入社前に齊藤さんが思い描いていた「やりたいこと」を、やれている実感はありますか?

齊藤:ありますね。NOT A HOTELは、土地や場所がもつ魅力をどうやって磨き輝かせられるか? をすごく大切に考えているんです。だから、そこに住む人たちに土地の成り立ちや文化・伝統、この土地をどうしていきたいかという想いを聞き、NOT A HOTELができた後の世界をイメージしながら建築を考えていく。

たとえば、SETOUCHIをつくる広島県三原市佐木島は高齢化が進んでいて、新たな雇用が生まれにくい状況です。でも、NOT A HOTELができることで島に活気がつけば、若者を呼んだり新しい産業を生んだりすることにつながるかもしれない。「町おこし」に近い意識で取り組んでいるからこそ、その土地に住む方々や自治体の方々も僕らに共感してくれます。地域の皆さんへ挨拶に伺うと、旬の果物を山ほどいただいちゃったりして。手がける建築のサイズは昔より小さいけれど、仕事そのものの規模は大きくなっていると感じています。

―最後に、いま新たにチャレンジしていきたいと考えていることや、ここから自分に必要だと感じているものを教えてください。

齊藤:まずNOT A HOTEL建築チームという組織は、ちょうど変化が求められるフェーズです。1年半前まではたった5名だったチームも、いまや4倍の20名にまで成長できましたし、一年後には40人以上になる予定です。ただ、どれだけ人数が増えたとしても「NOT A HOTELをつくる熱量」だけは高め続けていかなければなりません。その熱量はメンバーのみならず、ステークホルダー全体に伝播します。ともに全力をぶつけ合うことでしか到達できない領域があって、それは“NOT A HOTELがNOT A HOTELたる所以”でもある。人数が増えてもこの再現性を保てるかが、今後の大きなチャレンジだと思います。

―建築チームに入ってくる人たちはみなさんエネルギーがあって、ポジティブな人が多い印象を受けます。

齊藤:手前味噌ですが、仕事に取り組む姿勢やマインドが素晴らしいメンバーが揃っていると思います。このメンバーでちゃんと熱量を保って組織をスケールしていけたら、どこにも負けないチームを創れると感じています。組織として変化と挑戦を楽しみつつ、僕自身も成長を続けていきます。スケジュールやコストを最適化しつつ圧倒的なクオリティを叶えていくには、ビジネスやお金、不動産の知識がまだまだ足りないし、デザインもいっそう研ぎ澄ませなくちゃいけない。

プライドの鎧は脱げたといっても、まだ自分のキャリアの範囲でしか挑戦できていないので、もっと幅を広げていきたいですね。それが新しい建築の楽しみ方を見つけ、設計者や施工者といったひとつの立ち位置にはとどまらない仕事の仕方を身に着けることにつながると感じています。

イベント情報


2024/5/25(土)に「建築PM・LCMが明かす、NOT A HOTELの完成プロセス」というテーマでイベントを開催します。主にPM、LCM(ライフサイクルマネージャー)が一堂に集結し、これまで手がけてきたNOT A HOTEL建築のこだわりやポイントを徹底的に細部まで語り尽くすイベントです。ご応募は2024/5/20(月)まで。お待ちしています。

🔗申し込みURLはこちら

採用情報


現在、NOT A HOTELの建築チームではデザイナーをはじめ複数ポジションで採用強化中です。カジュアル面談も受け付けておりますので、気軽にご連絡ください。

STAFF
TEXT:Sakura Sugawara
EDIT/PHOTO:Ryo Saimaru


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