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68回目 "Midnight’s Children" を読む(第20回・読了回)。関西弁の「いちびる」が、ラシュディの自身とこの物語の話題との間に保つ距離の妙のことかと思えてきます。

Salman Rushdie の長い小説「 "Midnight's Children" を読む」の最終回です。これだけ長いのに一度も投げ出したくなったことがありません。


1. 小説の話者、著者自身、物語の登場人物、そして彼らの行為・行動、これらの間の距離感が読者を楽しませるのでは?

この文章を読んで改めて感じ入ったのは、この小説のどこにあっても変わることなく臭いを放つ「社会・人々の集まり・人々の言動を感じ取るラシュディ特有の感覚」・「これらを認識するときの認識対象と自己との、ラシュディに特有の距離の取り方」です。これがあってこそこの小説は、長いにもかかわらず読み手を最後まで引き付けて放さないのでしょう。

[原文 1a] 'Let us be married, mister,' she proposed, and moths of excitement stirred in my guts, as if she had spoken some cabbalistic formula, some awesome abracadabra, and released me from my fate -- but reality is nagging at me. Love does not conquer all, except in the Bombay talkies; rip tear crunch will not be defeated by a mere ceremony; and optimism is a disease.
[和訳 1a] 「私たち結婚しましょうよ。」と彼女は誘いを掛けます。その誘いが私には何か秘密事を宿す暗号言葉のように思えて、私の腹の中の虫(蛾)が興奮し、もぞもぞ動きました。魔法使いの呪文(アブラカダブラ)のようでした。その呪文が、私をして私にとりついていた運命から解放したのです。とはいえ、現実は私の身体をつついて私を現実の世界に引き戻します。ボンベイの街にあふれる映画ではないもので愛さえあれば何も怖くはありませんとはなりません。切り裂き、引き裂き、叩き割り、これらの暴力は儀式・様式を守っていたからと言ってなくなりはしません。楽観主義は一種の病気です。

Lines between line 1 and line 7 on page 621,
"Midnight's Children", 40th Anniversary
Edition, a Vintage Classics paperback

[原文 1b] 'On your birthday, how about?' she is suggesting. 'At thirty-one, a man is a man, and is supposed to have a wife.'
How can I tell her? How can I say, there are other plans for that day, I am have always been in the grip of a form-crazy destiny which enjoys wreaking its havoc on numinous days . . . in short, how am I to tell her about death? I cannot; instead, meekly and with every appearance of gratitude, I accept her proposal. I am, this evening, a man newly affianced; let no one think harshly of me for permitting myself -- and my betrothed lotus -- this last, vain, inconsequential pleasure.
[和訳 1b] 「あなたの誕生日に結婚式をあげましょうよ、素敵でしょ。31 才となると男はいっぱしの男なのですから、妻をめとっても不思議はないのよ。」と彼女は提案します。
   そんな彼女に、「その日には別に心づもりしていることがある、私には儀式を徹底的に嫌悪している運命がまとわり憑いているのだ、この運命は宗教絡みの祭日となると破滅的なことを引き起こすと決まっているのだよ。はっきり言って、その日には私の死が予定されているのだよ。」なんてことを話して聞かせるなどできる訳ないのです。その代わりに出来ることは、従順な態度で、感謝の気持ちを顔一面に表して、そうしましょうと答えることなのです。私はこの日の夜には婚約しました。どうか、皆さま、私と私の婚約相手であるロータス(パードマの別称)を非難することだけはお控えください。嘘っぱちで全く内実の無い「よろこび・お遊び」に過ぎない行為なのですが容赦ください。

Lines between line 8 and line 15 on page 621,
"Midnight's Children", 40th Anniversary
Edition, a Vintage Classics paperback


2. 小説の始めに登場し、その後直ぐに舞台から放り出されてしまっていた人たちが最後の最後に登場します。読者には感極まる経験です。

生まれたばかりの二人の赤ん坊の名札を取り換えた犯人のあや(子守女 Mary Pereira)と 15 年だか、20 年だかぶりの対面を果たします。その庇護の下でサリームはこの小説を書いていたとは、この小説の最後に至ってようやく判明しました。31 才の誕生日をすぎると自分の命は尽きるのかも知れません。母のごとき彼女との再開の感激としばしの幸福な生活の描写にあっても、次の文章が挟み込まれます。語り手、サリームの私的状況と、同じ年齢の独立インドの社会状況とを工夫に工夫を凝らして混ぜ合わせ描き出す、これがラシュディのこの小説 "Midnight's Children" です。

[原文 2] Today I gave myself the day off and visited Mary. A long hot dusty bus-ride through streets beginning to bubble with the excitement of the coming Independence Day, although I can smell other, more tarnished perfumes: disillusion, venality, cynicism . . . the nearly-thirty-one-year-old myth of freedom is no longer what it was. New myths are needed; but that's none of my business.
[和訳 2] 私は今日の一日、自分に休暇を与えました。マリーの住まいを訪れます。暑くて埃まみれの室内でバスに揺られ長々と大通りを進みました。大通りからは独立記念日を前にして盛り上がるお祭り気分が匂い出していました。私にはそれだけに止まらず、他の匂いも伝わってきます。古くからある所為で腐敗がもっと進行していることが分かります。幻滅させられる行動、贈収賄行為、善良な行為をあざ笑う行為の横行です。 自由の獲得という神話も、まもなく 31 才になるのですが、今では当初の姿を残していません。新しい神話が必要になっています。そうであっても、それは私の仕事ではありません。

Lines between line 32 on page 639 and line 5 on
page 640, "Midnight's Children", 40th Anniversary
Edition, a Vintage Classics paperback


3. "Midnight's Children" とは「真っ暗闇の中に蠢くインド(+パキスタン)の社会」の意味なのだと、ラシュディは最後の最後まで繰り返し暗示します。

サリームの誕生を機会にサリーム家に入り込み、女中として、同時にサリームのあやとして働いていたマリー(Mary Pereira)。サリームは15年(?)ぶりにムンバイ(ボンベイ)に戻って来て、そんな彼女と偶然に再会を果たし大感激します。彼女はインドの代表的料理、チャトニー(chutney)の食品(惣菜)工場の経営で大成功していました。

[原文 3] What is required for chutnification? Raw materials, obviously -- fruit, vegetables, fish, vinegar, spices. Daily visits from Koli women with their saris hitched up between their legs. Cucumbers aubergines mint. But also: eyes, blue as ice, which are undeceived by the superficial blandishments of fruit -- which can see corruption beneath citrus-skins; fingers which, with featheriest touch, can probe the secret inconstant hearts of green tomatoes: and above all a nose capable of discerning the hidden languages of what-must-be-pickled, its humours and messages and emotions … at Braganza Pickles, I supervise the production of Mary's legendary recipes; but there are also my special blends, in which, thanks to the powers of my drained nasal passages, I am able to include memories, dreams, ideas, so that once they enter mass-production all who consume them will know what pepper-pots achieved in Pakistan, or how it felt to be in the Sandarbans … believe don't believe but it's true. Thirty jars stand upon a shelf, waiting to be unleashed upon the amnesiac nation.
[和訳 3] チャトニー作りに必要な材料とは何なのか? まずは原材料、当然です。--フルーツ、野菜、魚、お酢、スパイス。次には毎日出勤してくるコリの婦人たちです。彼女たちはサリーの裾を太ももにまでまくり上げています。胡瓜、茄子、ミント。他にも必要です。二つの目、氷のような青い色の目(の持ち主たち)が要ります。この二つの目(を持つ婦人たち)は上滑りの見てくれが良いだけのフルーツに騙されません。緑色のトマトの奥に隠れた異常部分の存在を探り当てます。更には、鼻が要るのです。どれとどれとどれを漬け込むのが適切なのか、野菜それぞれが仲間内でこっそりと交換している言葉を嗅ぎ分けることのできる鼻が要るのです。野菜たちの言葉に潜むユーモア、情報内容、感情の一つひとつを嗅ぎ分けるのです。-- 私はブラガンザ・ピクルズ食品会社で、マリーさんが生み出した彼女独特の料理レシピ―に従う生産工程の管理を担いました。そんな仕事にあって、私独自の配合に従う特別グレードの製品も生まれました。これら特殊グレード品にあっては、手術を経て通りが良くなった鼻を持っていたことから、この私には記憶や、夢や、考えを混ぜ込むことができたのです(原稿ができた)。しばらくすると、それらの生産(印刷・製本)が始まるのですが、そうなると、それを手に入れた人々はペッパー・ボトルたちがパキスタンでどのような事態を引き起こしたのか、あるいはサンダルバンズがどのような居心地の場所であったのかを知るところとなるでしょう。… 信じようと信じまいとこれらは実際に起こったことなのです。30 本の瓶が今や棚に揃い並びました。記憶喪失症に侵されたこの国に向けて出荷される時を待っているのです。

Lines between line 8 and line 26 on page 643,
"Midnight's Children", 40th Anniversary
Edition, a Vintage Classics paperback


4. Study Notes の無償公開

今回は "Midnight's Children" の最後のエピソード "Abracadabra" を読みました。Pages 619 - 647 です。いつもの通り A-4 用紙に裏表印刷をすると A-5 サイズの冊子が印刷できるように調製しています。ご利用いただければ幸いです。

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