Salman Rushdie の長い小説「 "Midnight's Children" を読む」の最終回です。これだけ長いのに一度も投げ出したくなったことがありません。
1. 小説の話者、著者自身、物語の登場人物、そして彼らの行為・行動、これらの間の距離感が読者を楽しませるのでは?
この文章を読んで改めて感じ入ったのは、この小説のどこにあっても変わることなく臭いを放つ「社会・人々の集まり・人々の言動を感じ取るラシュディ特有の感覚」・「これらを認識するときの認識対象と自己との、ラシュディに特有の距離の取り方」です。これがあってこそこの小説は、長いにもかかわらず読み手を最後まで引き付けて放さないのでしょう。
2. 小説の始めに登場し、その後直ぐに舞台から放り出されてしまっていた人たちが最後の最後に登場します。読者には感極まる経験です。
生まれたばかりの二人の赤ん坊の名札を取り換えた犯人のあや(子守女 Mary Pereira)と 15 年だか、20 年だかぶりの対面を果たします。その庇護の下でサリームはこの小説を書いていたとは、この小説の最後に至ってようやく判明しました。31 才の誕生日をすぎると自分の命は尽きるのかも知れません。母のごとき彼女との再開の感激としばしの幸福な生活の描写にあっても、次の文章が挟み込まれます。語り手、サリームの私的状況と、同じ年齢の独立インドの社会状況とを工夫に工夫を凝らして混ぜ合わせ描き出す、これがラシュディのこの小説 "Midnight's Children" です。
3. "Midnight's Children" とは「真っ暗闇の中に蠢くインド(+パキスタン)の社会」の意味なのだと、ラシュディは最後の最後まで繰り返し暗示します。
サリームの誕生を機会にサリーム家に入り込み、女中として、同時にサリームのあやとして働いていたマリー(Mary Pereira)。サリームは15年(?)ぶりにムンバイ(ボンベイ)に戻って来て、そんな彼女と偶然に再会を果たし大感激します。彼女はインドの代表的料理、チャトニー(chutney)の食品(惣菜)工場の経営で大成功していました。
4. Study Notes の無償公開
今回は "Midnight's Children" の最後のエピソード "Abracadabra" を読みました。Pages 619 - 647 です。いつもの通り A-4 用紙に裏表印刷をすると A-5 サイズの冊子が印刷できるように調製しています。ご利用いただければ幸いです。