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《アトピー》弱音をはいたり

お久しぶりですが、これまでの状況は別途書かせてもらうとして、ちょっと弱音をはかせてください。

カフェなんかでぼーっと道行く人たちを眺めていると、アトピーのこの痒みを、つらさをを知らない人たちは、いったい日常生活に何の悩みがあるのだろう?と馬鹿げたことを本気で考えてしまったりします。語弊を怖れずに言い換えると、アトピーを知らないひとたちの人生は、どんなにイージーなんだろうかと。

もちろん、その人にはその人なりの悩みが必ずあることは、分かっているのです。人からは見えない疾患で痛みをかかえながらも頑張って生活している人がいるだろうし、命にかかわる病をかかえながら毎日不安に生きている人たちだっているでしょう。頭ではわかっているのです。

でも、この「痒い」という、命には関わらない、ともすれば我慢すればいいだけだと軽んじられてしまう症状に年がら年中、たぶんこの先もずっと悩まされるアトピーという病気につきまとわれる自分が、たまに無性に悲しくなります。

以前、アトピーの治療法などに興味をもってる関係で、雨宮処凛さんの「アトピーの女王」という本を読みました。

その中のエピソードが、アトピーの理解されにくさを的確に表してると思ったので。

アトピーの人に「痛い」と「痒い」どちらがましかと聞くと、「痛い」ほうがマシと答える。しかし、アトピーでなく健康的な人に同じ質問をすると、必ず「痒い」ほうと答える。という話です。

思えば小学生のころから、プールや林間学校のお風呂のあと、みんなぴちぴちした肌ではしゃいでるのに、わたしだけいそいそと保湿剤と軟膏を塗りたくらなきゃいけなかったこと。みんな血というとびっくりするけど、わたしにとって、いつも体のどこかから血が出ていることなんて当たり前なこと。ドッヂボールのボールを受けるたび、手の傷がぱっくり割れて血が出て、そこに砂やらいろんなものが混じって、すごく痛かったこと。学校では何の遠慮もなく半袖短パン、短いソックスを強制されたけど、わたしはどうやってアトピーを隠そうか、みられないようにするか、いつも気にしていたこと。子どもの素直さから来る、容赦ない言葉。
いまでも悩まされる、体の中から燃やされているようにふつふつと湧き出る痒み。不快感。目覚めた朝の絶望。

いまも、好きな人の話をうんうんと聴きながら、実は痒い、掻きむしりたい、という衝動と必死に、ほんとに必死に戦っていること。

だけど、仮にアトピーがなかったら、私は私でなかっただろう、とも思います。アトピーだったからこそ、人の痛み、人がひっそりとかかえる悩みへの想像力を働かせることができるようになったんじゃないだろうかと。もしかして、そう思うことで自分を守ってきたのかもしれないけれど。

わたしのアトピーは、ほんとに重症の人たちからすれば、かなり軽度の部類なんだろうとは思うし、だからこそこんなことが言えるんだとも、思うけど。

それでもやっぱり、ある日突然アトピーが綺麗さっぱり無くなって、普通の人とおんなじ健康な肌で、毎朝怯える必要もなくて、さっぱりした汗のかける日が来ないだろうかなあと、夢見たりしてしまうのです。

どうか世の中のアトピーに悩む人たちに早く良い治療法が見つかりますように。

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