見出し画像

【創作小説】リビング・ブレイン(4/19追記)

おはようございます。今回は小説投稿サイト・カクヨムで連載執筆していて未完結の「リビング・ブレインあるいは小松透はいかにして殺されたか」を発掘したので、こちらの記事へ一気にまとめておきます

ルビ振りなおしと修正は後日する予定

ある夜の出来事(前編)


金属バットの握りを持つ手が汗ですべってひどく気持ちが悪い。後から念入りに石鹸で手を洗っておこう。目の前の現実から目を背けたくてそんなことを頭の片隅で考えながら、小松佑こまつゆうはバットをしっかり握りなおした。

「……ごめん、ごめん父さん……」

声には出さずに口の中だけで呟く。狙いを自分から少しずつ離れていこうと這いずっている父親の上半身に定める。

廊下の暖色の照明に照らされた外出用の真っ白なシャツはところどころ裂け、何度も殴られて漏れ出した鮮やかなピンク色の液体で汚れている。

袖口とシャツの破れたところからのぞいているのは本物と見分けのつかない人工の皮膚と筋肉、それから複雑な配線まみれの頑丈そうな金属製の骨格だった。

(逃がしちゃダメだ……早く機能停止させないと)

最近短く切ったばかりの髪が乱れるのもかまわずに佑は構えたバットを振り上げかけ、穿いている白いズボンの後ろのポケットに入っている緊急時に使う鉄串に似た器具のことを思い出す。

そうだ、たしか真木さんが「これを使うのは本当に自分の身が危なくなった時だけ」と言っていたが、この際かまうもんか。

そう考えたら体が自然に動いた。構えたバットで父親の頭部をさらに殴る。もう殴りすぎてべこべこに歪んできている。これだけ殴っても壊せないのだから、かなり頑丈なんだろう。別の方法を考えるか……?

(いや、時間がない。もうすぐ母さんが帰ってくる)

佑は自分の左の手首にはめている銀色の腕時計の文字盤をちらっと見る。さっき噛まれた手の甲の傷口からまだ血が出ていていて痛い。

(どこかに開けるところとか、スイッチとかないのか)

なお逃げようともがく父親の上半身を上から体重をかけて動かないように押さえつける。

頭部に生えた白髪の混じった七三分けに整えられた黒髪がぐちゃぐちゃに乱れ、他と同じようにピンク色の液体が出ていた。その下の人工皮膚も裂けて中の金属部分が照明で鈍く光っている。

(あ、これは……)

とめどなく流れる液体を払いながら指先で探っていると、へこみというか妙に引っかかる部分があった。佑は急いでそこをぐっと強く押してみる。

何が手のひらの下で開く気配がした。片手の握りこぶし大の穴が開き、中に薄い赤紫色で無数の皺のあるものが見える。佑はすかさずズボンのポケットから器具を取り出して突き立てる。途端にびくりと背中をくの字にのけ反らせるようにして父親の体が大きく痙攣し、動きを止めた。



「いやー……これはずいぶん苦労したみたいだね。一人で大丈夫だったかな、怪我とかしてないかい?」

佑があの後、震えがまだおさまらない手で携帯から電話をかけると父の友人でRUJ(ロッサム・ユニバーサル・ジャパン)に勤めている真木友彦はすぐに家まで来てくれた。年齢は50代後半、とても神経質そうな印象の痩せた人だった。

ほとんど滅多打ちに近い状態で完全に機能停止している父親と廊下を汚しているピンク色のペンキをぶちまけたような生体部品維持用疑似血液……通称ピンクブラッドの痕を真木が目で追う。そういえば下半身がない。

「え、と、佑くんだったかな?お父さんの下半分がないみたいなんだけど。どこだい?」
「あ……それなんですけど、もみ合った時にその、階段から落ちてしまって。まだあると思います」
「じゃあ、さっさと片付けてしまおう。お母さんがまだ帰って来てなくて本当によかった」

真木はそう言うと着ているカーキ色のジャケットの胸ポケットからゴルフボールほどの大きさの黒い球を取り出して床に向かって落とした。球が床に当たると同時にあっという間にふくらみ、人1人が入れそうな長方形の箱になる。

真木はまず足下にある上半身を両手で抱えあげ、箱に入れる。続いてピンクブラッドのあとをたどって階段下から下半身を探してくると同じように箱にしまった。

「これでよし。あとはウチで原因を調べてみるよ。ああそうだった、君の手のケガも治さないと。ほら出して」

そう言われて佑が左手を出すと、今度はジャケットの裾ポケットから500円玉サイズの白いシールを取り出して手の甲に貼ってくれた。

「……すみません、ぼく、僕、父さんをこ、殺すつもりなんて」
「大丈夫、佑くんは……悪くない」

動揺して言葉につまる佑の肩を真木が励ますようにたたく。遠くで玄関のドアを開ける音がした。

「お母さんが帰ってきたみたいだね佑くん。僕はこのままそっとおいとまするよ、後から連絡するから」

真木は佑の父を収めた黒い箱をボールの形に戻してジャケットにしまうと、そう言い残して足早に裏口に向かっていった。1人残された佑は重い足を引きずってリビングルームに向かう。頭の中にはまだ、先ほどの父親が廊下を這って逃げていた光景が焼きついていて消えない。

「ただいま〜。佑、いないの?」

母親の小松亜紀が佑の名を呼びながら探している気配がする。佑はリビングのドアを開けて中に入った。

ショートカットにした黒髪の先にゆるく巻きをかけた亜紀が疲れた様子でリビングの自分の席に座っている。佑を見つけると笑顔になって手を振った。

「おかえり……母さん。今日は早かったね」
「そう?ああそうだ、お父さん呼んできてくれない?お祝いのケーキ買ってきたから」
「お祝いって何の?」
「ほら、今日でお父さんが家に戻ってきてちょうど1週間経ったから」

佑は亜紀のその言葉に思考が停止しそうになる。父はさっき真木さんが回収していってしまったのだ。ここは……適当にごまかすしかない。

「そうだったっけ、じゃあ呼んでくるね。ちょっと待ってて」
「急がなくてもいいからね」

佑は首を縦に振ると、リビングルームから廊下に飛び出した。階段をかけ上がり、父親の部屋まで行って中に入り鍵をかける。ズボンから携帯を急いで取り出すと真木に電話をかけた。

「まっ……ま、真木さん今すぐ父の修理って出来ますか」
『えっ佑くん?急にどうしたんだい』

佑は真木に早口で事情を説明するが、焦るあまり口が上手く回らない。

『うーん……状況は分かった。けど今から徹夜で修理してもどれくらいかかるか検討つかないな、なにせ肝心のリビングブレインが君が打ちこんだ器具で強制的に停止してるからね」
「そ、そこをなんとか。母さんに本当のことを言ったら僕たぶん……殺されます」

佑の携帯を持つ手が再び震えはじめる。すると電話ごしの真木がこう言った。

『じゃあ……今から僕がお母さんに電話で連絡しようか。もちろんお父さんのことは誤魔化すけれどね。佑くんは適当に合わせてくれればいいよ』
「……わ、わかりました。理由はどうしますか?」

佑が尋ねると真木はしばらく考えてから『急な仕事が入ってRUJに行ってるから、しばらく帰って来れない……とかはどうかな』と提案してきた。

「それなら大丈夫……だと思います。すみませんこんな時間に」
『いいや別に構わないよ。君のお父さんとは一緒に働いていた仲だからね、また何か困ったことがあったらいつでも連絡しておいで』

佑は真木に何度も礼を言って通話を切った。父の部屋を出てリビングに向かう。佑がドアを開けると甘い香りが鼻をくすぐる。

テーブルに引かれたミント色のクロスと亜紀が作った手作りの料理の皿がいくつか、クロスの中央には一回り大きな皿に置かれた色とりどりのケーキが乗っている。

「ごめん母さん、遅くなって」
「……ああ佑、今お父さんのお友達の真木さんから連絡があってね。お父さん仕事でRUJに泊まりこむからしばらく帰って来れないって。残念ね、せっかく準備したのに」

暗い青色のスーツに真っ白なエプロン姿の亜紀の残念そうな顔を見て佑は心が痛んだが、真木と一緒に用意した嘘をつきとおすために本当のことを言いそうになるのをぐっと我慢した。

「…………仕方ないよ、父さんのことだし。それより夕食食べよう、冷めちゃうよ」
「そうね。じゃあいただきましょうか」

2人で手を合わせて夕食を食べ始める。父親が抜けた食卓はどこか寂しげで、佑はうつむきながらただ食べることに集中した。そうでもしないと乗り切れそうにない。

「どう、それ美味しい?」
「うん。とっても」

亜紀が佑の皿に分けられたミント入りポテトサラダとツナとみじん切りの玉ねぎをあえて挟んだサンドイッチを手にしたフォークで示す。どちらも父親の好きな料理だった。

「……これ、父さん大好きだもんね。写真撮っていいかな、後からLETTERS(
レターズ)で送りたいから」

亜紀に了承をとると佑は自分の携帯でカメラを起動し、皿に乗ったサンドイッチを数枚撮った。

ある夜の出来事(後編)


『……父さん、ごめん……』

振りかぶられた金属バットが後頭部に何度も何度も直撃する。振り返らなくても誰がやっているのか機械の部分が感知するのではっきり分かってしまう。

息子の佑が泣きながら自分を殴っているのだ。少し前に階段から落ちた時の衝撃で、背骨のほぼ真ん中のあたりから下半身が破損した上に二分割されてしまった。人間ならまず不可能な状態でもこれだけ動けるのは自分の体だけが機械のおかげ……だろう。

(……化け物は私、か)

小松透は心の中で自らを嘲笑った。こんな上半身だけの体で一体どこに行こうというのだ。そのうちずしりと肩と胸のあたりに体重が加わり、息子の指先が人工毛と肌と筋肉に隠された後頭部の制御用パネルを探しあてて開く感触があった。

(……そうだそのまま、私を停止させてくれ……)

透の願いが届いたのか、金属針が刺さる感覚と同時に脳内に冷えた液体がゆるやかに広がってゆく。おそらく機体に循環するピンクブラッドを一時的に凍結させるもののはずだ。

(後は……真木の判断に任せるか)

透は急速に冷えてゆく意識の中で目を閉じた。



小松宅からRUJの自室に戻った真木は黒い箱ブラックボックスをボールから展開させて普段ロボットの点検用として使っているの台の上に置く。棺のような箱のフタを開くと激しく損傷した透の体を検分する。

(ボディーは新調するしかないな……。見たところ脳は無事そうだが、念のため内部に傷がないか調べるか)

真木は着ているジャケットから携帯電話を取り出すと同じ製作チームの瀬名真一にかけた。

「瀬名くん、僕の部屋に今すぐ来れるかな。例のピンクブラッドを使った特例個体がかなり損傷していて急を要するんだが……」
『分かりました、すぐに行きます』

状況を理解した瀬名が電話ごしに即答する。真木は通話を切り、ブラックボックスを床に下ろして台の上に破損した透の上半身、下半身を横たえる。頭部だけ人工皮膚その他諸々を剥がし、先に工具を使って取り外しておく。生体部品が内蔵されているため、後から別で検査へ回すからだ。

「失礼します、真木博士」

自室のドアが2回ノックされ、息をきらせた瀬名が入ってきた。真木が振り返り出迎える。

「ああ、夜遅く呼び出してすまないね瀬名くん。今ざっと調べたんだが念のため……中の生体部品に傷がないか調べてほしくてね」

真木から頭部を手渡された瀬名はその重量に思わず床へ取り落としそうになった。着ていた白衣の裾で慌ててキャッチする。

「あっ……はい。了解です、ちょっと待っててください」

瀬名はそのまま頭部を抱えて廊下に飛び出してゆき、1時間ほど経ってから戻ってきた。今度は走って来たのか額に汗をかいている。

「どうだった」
「は、はい……えっとMRIとかいろいろ調べたんですけど生体部品は異常なしでした。後頭部に小指くらいの小さい穴があるんですがそれは?」
「……ああ。緊急停止用の器具を刺しこんだ痕だね、後から修復するから問題ないよ」

真木は破損した透の体を乗せた台の側にパイプ椅子を出して腰掛けていた。手にはドライバーを持っていて部品を解体していた様子だ。瀬名は抱えていた頭部を別の机にそうっと置き、そちらに近づく。

「あの……前から気になっていたので聞いてもいいですか真木博士、なんで彼だけが特例個体って呼ばれるんですか?」
「まだ君には言ってなかったかな。彼……つまりそこに入っている脳の持ち主なんだが実は……僕の友人でね。数週間前に交通事故で亡くなったけれど、その……ご家族からの強い希望があってね」
「ああ……そうでしたか。でも病院側がよく提供してくれましたね」

瀬名の意見に真木はうなずく。少し言いにくそうに表情を曇らせながら話を続ける。

「もちろん……法に触れる行為なのは分かってる。彼が運びこまれた病院の院長とも随分話し合った……彼の家族も協力してくれたから実現できたんだ。彼がウチの他のロボットと違って特別な理由はそれだ」

真木が一気に話し終わると瀬名は大きく頷いた。

「そう……ですよね。僕だって自分の家族がある日突然死んでしまったら、もしかすると同じように思うかもしれません。じゃあ……なおさらちゃんと修理しないとですね」
「頼むよ、瀬名くん。一緒に頑張ろう」

真木も瀬名も目の端に涙を浮かべて肩を抱き合った。



その夜。夕食を食べ終えた佑は2階の自分の部屋に戻った後、何もする気が起きなくてベッドに寝転がって天井を見つめていた。亜紀にはああ言ったが、LETTERSで送った夕食の写真を透が見てくれないのはわかりきっていた。目を閉じてみるもののあの汗にまみれた金属バットの感触と上半身だけの透の姿が頭の中にフラッシュバックしてまったく眠れない。

(……なにか、気をまぎらわせるものは)

少しでも緊張をほぐそうと佑は部屋の中を見回す。勉強机の横に並べた本棚の上に埃まみれの布を被った小鳥型ロボットが目にとまる。佑はベッドから起き上がって布を外し、小鳥型ロボットのボディーについた埃を濡れたティッシュで拭う。少し拭くと外国の海の色のような青い金属の羽根が見えてきた。

(しばらく起動してないからな……動くといいんだけど)

ボディーを一通り拭いた後、佑は尾羽のあたりを探って小さな電源ボタンを押す。小鳥型ロボットが目を覚まし、澄んだ可愛らしい声で鳴いた。久々に起動した小鳥型ロボットはぱたぱたと佑の部屋の中を探索するように飛び回り、最終的に佑の肩から手の甲に止まった。

じっと手元の携帯を覗きこむように首を傾げる。すると携帯のホーム画面に「Alice.(アリス)のアップデートが可能です、更新しますか?」という空色のテキストウィンドウが表示された。

(ああ、そっか。今日までずっと更新できてなかったもんな)

佑は手の甲に小鳥型ロボット・Alice.を乗せたまま、ためらわずに更新ボタンを押した。Alice.が首を動かすのをやめ、硬直する。画面には「アップデート実行中……」と表示されている。佑は手の甲のAlice.を落とさないようにしてベッドに腰を下ろす。

(そういえばこれ、父さんが去年の僕の誕生日にくれたんだった……すっかり忘れてたな)

しばらくして佑の携帯が通知音を鳴らす。Alice.のアップデートが終了したようだ。ホーム画面には再びウィンドウが開いていて「更新完了。続けて LETTERSと連携しますか?」と表示されている。佑はふと、今日の夕食の時に自分が撮った写真のことを思い出す。

(もしかして、送れるかも)

佑はすぐに行動に移した。Alice.がLETTERSと連携すると携帯から写真を探しだしてデータを送り、行き先をRUJの小松透の元に指定する。窓を開けて外を見る。雨は降っておらず、夜空に無数の星が見えていた。佑は手の甲に乗せたAlice.の青い金属フレームに覆われた頭を撫でてから、空へと放った。

(父さんに届けて……頼むよ)

佑は夜空を飛んでゆくAlice.の姿を見送りながらそう願った。

青い鳥と父(前編)


一夜明けて。特例個体……小松透の破損したボディーなどの修理をほとんど不眠不休でしていた真木と瀬名は、ぐったりした様子でRUJの真木の自室の外にあるソファに寝ていた。窓から朝日が差しこみ、2人の目を射る。瀬名が寝返りをうつ。

「……ああ〜もう朝か。真木さん、真木さん起きてください」
「んん……悪いがもう少し寝かせてくれないか瀬名くん。頭が働かない」

瀬名に体を揺さぶられた真木は薄目を開けたが再び目を閉じる。

「仕方ないですね……じゃあ僕、コーヒー淹れてきます。真木さんは要ります?」

瀬名が振り返り、真木に聞いてくる。真木は無言で首をふる。

「砂糖とミルクは?」

再び首をふる真木。目の下にうっすら隈ができている。

「わかりました、行ってきますね……ってあれ?」

真木に背を向けて廊下を歩き出した瀬名が歩みを止めて窓の外を見る。コツコツと嘴で小鳥が窓ガラスを必死につついていた。

瀬名があわてて窓を開けると外の小鳥が飛びこんできて瀬名の横を通りすぎ、ソファで寝ている真木の白衣の上にとまった……かに見えたが違ったらしくそのまま飛んで真木の部屋のドアの前でホバリングし、再びコツコツとドアを開けてほしそうにつつく。

(一体どこから来たんだろう)

窓を閉めた瀬名は首を傾げる。小鳥がつついているドアまで行き、開けてやった。小鳥は中を調べるように飛び回り、やがて台の上に寝かされた透が着ている真新しい黒ネクタイと白いシャツの上に着地した。ツンツン、と彼を起こすようにつつく。

「あっ、こら。つついちゃダメだって!」

瀬名は急いで部屋に入り、透の胸のあたりにいる小鳥をしっしっと手で追い払う。ところが小鳥は旋回して再び彼の体の脇に垂直に伸ばされた手の上に止まった。

「……瀬名くん?どうかしたのか」

部屋のドアから外のソファで寝ていた真木が何事かと顔をのぞかせる。

「ああ、なんだ。Alice.じゃないか、このタイプは久しぶりに見たな」
「あ、ありす?」
「そう。そこの小松透が開発した小鳥型ロボット。最近は携帯のLETTERSアプリと連携してテキストや写真データも送れるようになったらしい」

真木はうろたえる瀬名に台の上の透を指し示す。

「きっと誰かが彼にメッセージを託したんだろう。ちょっと見てごらん」
「は、はい。えっと……送り主は、小松……佑?」

瀬名がAlice.に近づき、白衣のポケットから取り出した自分の携帯で機体からデータを読み取って口に出す。

「ああ。彼の息子さんだね、たしか中学生だったはずだがなんて?」
「父さん、ごめんなさい。母さんが作ってくれた夕食の写真を一緒に送ります……ですって。何かあったんですか」

瀬名が尋ねると真木はうーん、と表情を曇らせる。

「それは……そうだなあ、僕より彼本人の口から聞くのがいいだろう。そろそろ……起きるころだと思うから」

真木がそう言い終わらないうちに、台の上の透の体が電流が走ったかのように一瞬びくりと震えた。手の上のAlice.が驚いて飛ぶ。

事が突然すぎてびっくりした瀬名の前で非常にゆっくりとした動作でその体が上体を起こす。ちょうどホラー映画で死体が起き上がったようでなんとも不気味な光景だった。

「おはよう。どうかな、気分は」
『…………その声は真木、か?』

目覚めた透は膝に手を置き、じいっと真木を見つめ目を細める。

「そうだよ、ちゃんと見えてるかい?」
『ああ……視界は非常にクリアだ。そちらの彼は?』
「瀬名真一。僕の製作チームの一員だよ、君の体の修復を手伝ってもらったんだ」

真木に紹介された瀬名は透に軽く会釈する。透の目が瀬名をとらえ、確認するように再び細められた。

『……それはどうも。私の体の損傷ダメージはだいぶ酷かっただろう。よくここまで……』

そこで透の言葉が途切れる。何かと思えばその目が自分のそばを飛ぶAlice.を追っていた。すっと片手を上げると今まで飛び回っていたAlice.が降りてきて手の甲へ止まる。

「そうだ、息子さんからメッセージが届いていたよ」
『佑から?珍しいな……ああ、なるほど』

真木から教えられ手に乗せたAlice.からメッセージを読み取った透はふむ、と手を顎にそえる。

『この度の私の修理に関してよほど後悔してるようだ。後からメッセージを送り返してみるよ……そういえば瀬名くん、君何かしにいく途中じゃなかったのかな』
「え、そうですけどなんでわかったんですか透さ……あ、いや小松博士」

瀬名が再び驚いていると透は台の上で思いきり伸びをし、胸の前で手を組み合わせる。

『実は……少し前から目は醒めてたんだよ。会話の最中に起きるのも失礼だと思ったからそのまま寝たふりをしていた。このAlice.が窓から飛びこんで来たから真木に頼まれたコーヒー、淹れ損なったんだろう。なんなら私が淹れに行こうか?』
「そ、そうでしたか。ああすみません、お願いできますか」

自分が今からしようとしていたことを透に言い当てられた瀬名は少しとまどった挙句、愛想笑いをした。言い返す言葉もない。

『コーヒー、砂糖とミルク有りだったな。行ってくる』
「お、おいおい。まだ目が覚めたばかりだろう、急に動いて大丈夫かい」

すたすたと台から下りて真木の部屋から出ていこうとドアに手をかける透の背中に、真木が心配そうな顔をする。

『まったく……心配性だな君は。大丈夫、今最高に調子が良いんだ』

透はそう言い残すと外に出ていってしまった。部屋に残された瀬名と真木は二人して顔を見合わせる。

「いっつもあんな感じなんですか小松博士って」
「ああ……うん。彼、人の話をほとんど聞かないタイプだからね、変わってないなあ」

あっけにとられた表情の瀬名に真木はそう返してため息をつく。

「何かあっても大変だから一応見にいこう」
「他の社員に気づかれてもまずいですしね」

二人は再びうなずき、透の後を追って廊下に出る。柔らかな日差しが気持ちのよい朝だった。

青い鳥と父(後編)

《LETTERSに通知があります》

自室にいた佑の携帯が鳴った。送り主を確認した佑はおそるおそるLETTERSアプリを開き、そこに書かれた文章に目を通す。

《メッセージ確かに受け取りました、Alice.と一緒に今日の午後、家に帰る予定です》
《追記:週末、どこか行きたいところはありますか。よければ考えておいてください》

(……よかった、父さん直ったんだ)

佑はこわばらせた表情を少し和らげて返信メッセージを打ちこむ。あの後飛ばしたAlice.が戻って来ないので心配していたが、無事に父の元にたどり着けたらしい。

(僕が今、行きたいところ……)

佑はここ数日のテレビ、ラジオ、新聞、インターネットなどのニュースを頭の中で思い返してみる。自分たちが暮らす白い大都会(ホワイト・メトロポリス)は地上層と地下層に分かれて成り立っている。地下層は未だ解明されていない部分も多く、地上層にはない施設や娯楽などがあるという。

(そうだ……あそこにしよう)

佑の脳裏に昨夜テレビで見た地下層にあるという今より昔の時代のものを保存している博物館の様子が浮かぶ。あの場所なら静かで父とも話しやすいはずだ。離れていた時間はほんの少しなのに話したいことは沢山あった。



「ああ、ありがとう」
「ありがとうございます」

真木の部屋に戻ってきた透からコーヒーの入ったステンレス製のマグカップを手渡された真木と瀬名は礼を言って受け取る。目覚めたばかりの彼を心配して物陰からこっそり見守っていたが取り越し苦労だったらしい。

真木が修理の時にボディーの新調のついでに各種システムの更新もしたらしく、その動作や振る舞いはごく自然で一目で体が機械だとは見抜けないはずだ。

「ち……ちょっと待ってください小松博士、さすがにその体では飲食は無理なんじゃないですか⁈」

瀬名が透がいつの間にか自分用にコーヒーを淹れ、マグカップに口をつけようとしていたのを発見し大声で止める。その様子を見た真木がくすりと笑った。

「そんなにあわてなくても大丈夫だよ瀬名くん。彼が食べたり飲んだりしたものはそのまま、体内でピンクブラッドに変換されるようになってるから」
『まあ、ひと昔前のRUJ製品なら確実に機体内部がショートして故障するだろうな。うん……美味い』

真木の助け舟に透がマグカップの中のコーヒーをひと口飲んでからにやっと笑う。瀬名は安心して胸をなでおろしたが、緊張で体中に変な汗をかいていた。

「よかった……もう、知ってるなら先に教えてくださいよ真木博士。心臓に悪いです」
「いや、すまない。知ってると思ってたんだ、今後は気をつけるよ」

瀬名に睨まれた真木は申し訳なさそうに謝る。

『そうだ真木。君、地下層にある博物館の場所を知ってるか』
「地下層の博物館?なんでまたあんな場所に行きたいんだい」
『息子から朝送ったメッセージの返信が来ててね、今週末に出かけようかと思ってるんだ』

真木が問うと透は自分のスーツのポケットから携帯を取り出して操作し、LETTERSアプリを開いて画面を見せる。

「なるほど……いいんじゃないか、久しぶりの家族サービスも」

真木が同意すると横から瀬名が小さく挙手し、口をはさむ。

「……あの、僕場所知ってます。前々から気になっていたので一緒に行ってもいいですか小松博士」
「瀬名くん、ダメだ。君は彼のモニタリングの作業があるだろう」
『私は別に構わないが……。ついでに道案内をしてくれると大変助かる』

瀬名は真木にたしなめられて落ちこんだが、透が同行の許可を出したので表情が一気に明るくなった。

「ありがとうございます……!」

瀬名はひかえめにガッツポーズをし、透に何度も礼を言う。

「まあ……いいか。その代わり、彼の様子の観察と何か異変があったらすぐに僕に連絡するようにしてくれよ」
「はい!了解です」

真木は透とはしゃぐ瀬名を見てうなずく。

『……決まりだな。なんなら君も一緒にどうだい真木』
「悪いけど僕は遠慮するよ。君の様子をモニタリングする人間がいなくなる」

真木は透の提案に片手をふってやんわりと断った。

『そうか。じゃあ瀬名くん、行く日が決まったら連絡するから頼むよ』
「はい。ええと……今日の午後にご自宅に戻られる予定でしたよね?ゆっくりなさってくださいね」

瀬名が嬉しそうな表情で言うと透は無言のまま微笑み返した。

「帰る前に一応、もう一度点検だけしようか。機体とシステムを新しくをしたから後から不具合が出ても大変だ」
『ああ、そうだな。そっちは君に任せるよ』

真木が透に再び台の上に横になるようにうながす。瀬名が透の肩に止まっていたAlice.を自分の両手で抱きかかえるようにして遠ざける。

「瀬名くん、別室で作業中のモニタリングを頼むよ」

透が台の上に横になったのを確認した真木から指示された瀬名はうなずき、自分の肩にAlice.を乗せたまま真木の部屋の外へと出ていった。

「じゃあ始めようか。すぐ終わるから目を閉じてリラックスしててくれ」

週末の予定(前編)


真木による透の点検作業をモニタリングしていた瀬名は映し出されたものに思わず目をそむける。4画面に区切られた手元のモニターにはそれぞれ別角度からの映像と透の頭部にある生体部品からの規則正しい脳波が表示されていく。

(こんなの…………やっぱり正気の沙汰じゃない)

今モニターに映っているのは先ほどまで自分が話していたはずの小松透だ。それがただのロボットなら瀬名がこれほどまでに嫌悪感を抱くことはないだろう。着ている服を脱がされ、本物そっくりな人工皮膚と筋肉を剥がれた体から金属の骨格と生きている脳だけがのぞいている光景はとにかく不気味でグロテスクそのものだった。

(……だめだ、吐く)

喉のあたりまで酸っぱいものがこみ上げてきているのを感じた瀬名は、とっさに片手で口を押さえる。それでも治まりそうにないので真木に席を離れると告げ、別室を飛び出し近くのトイレに駆けこんで思いっきり吐いた。しばらく吐いた後モニタリングを中断していたことを思い出し、別室に走って戻る。

《……すみません真木博士、モニタリング再開します》
《ああ、もう少しで終わるよ。後は……これなんだがね》

真木がそう言うのと同時に別のモニターへDVDのチャプター選択画面のようにコマで区切られた映像とその下に日付けと時間が表示される。

《なんですか、これ》
《彼の脳内に蓄積された記憶を僕らの目に見えるようにしたものだよ》
《記憶を……?僕はどうすればいいんですか》

瀬名は真木が次に発した言葉を一瞬自分の聞き間違いかと思った。

《うん。君にはその中から彼の心的外傷(トラウマ)になった記憶だけを……消去してほしい》
《記憶の消去ってそんな、小松博士の同意がないのに僕が勝手にやってもいいんですか……⁉︎》

真木も瀬名の不安を感じとったのかこうつけ加えた。

《うん、彼には事前に了承をもらってる。それにトラウマは機体の不具合や誤作動の原因になるから早めに取り除くほうがいいんだ》

《で、でも……》
《無理かい。なら別の人に任せるよ》

瀬名が食い下がると真木は作業をする手を止めずにそっけなく言う。

(やるしか、ないのか)

《わかり……ました。作業に移るので少し待っててください》

瀬名はまたこみ上げそうになる吐き気に耐えつつ真木に言い返す。

《別でモニターしてる彼の脳波と照らし合わせて、波形がかなり強く乱れるものだけ消去してくれるかな》
《了解です》

瀬名は真木の指示にしたがって別枠のモニターに表示された透の記憶のチャプターのうちの1つに薄いゴム手袋をした指先で触れる。日付けは2050年5月21日、日曜日の夜だった。画面が切り替わり、フルスクリーンでモニターいっぱいに記憶の再生が始まる。

(これ……あの時真木さんが言ってたやつか)

そこには髪や着ているシャツがべったりとピンクブラッドに塗まみれ、上半身だけの無残な姿で這いずる透の姿があった。相当出血しているようだ。彼の体が少し動く度に不愉快なモーター音と共に廊下の床材にピンク色の跡あとが残る。スーツやシャツもところどころ破れている。瀬名が脳波のモニターに目をやると案の定激しく乱れていた。

《瀬名くん!それだ早く》

真木の鋭い声が飛ぶ。モニターの向こう側、台の上に寝かされた透の機体が痙攣を起こしたように体中をこわばらせてガクガクと震えていた。真木はそれを抑えようと必死だ。瀬名はすぐに今見ている記憶をチャプター選択に戻し再び触れる。

【この記憶を消去しますか? YES/NO】

瀬名は迷わずYESを押す。消去中と表示され、数分経たないうちに終わる。真木の部屋を映しているモニターにもう一度目をやると、機体の痙攣はおさまっていた。瀬名は安堵し、次々と透の記憶を見てゆく。その中で妙に引っかかるものがあった。

(……そういえばどうして、小松博士は息子さんに機能停止まで追いこまれた?それに2人ともあんなに怯えているのは、何か理由があるはず)

《……真木博士、小松博士の脳に負担をかけないように人工神経との接続をこちらの作業が終わるまで切れますか。記憶が多くて消去作業にだいぶ時間がかかりそうです》
《わかった。すぐにカットするからゆっくり閲覧してほしい。生体部品からの反応は引き続き反映されるからね》

瀬名はダメ元でそう言ってみると真木はすんなりと受け入れた。今の提案はこれ以上苦しむ透の姿を見たくなかったからでもあるのだが好都合だ、今のうちに原因を探ろう。瀬名は先ほど消した5月21日より前の記憶をさかのぼっていくつか再生する。透の脳波を気にしつつ、モニターの映像に集中する。

(ああ…………これか)

瀬名は眉根に皺をよせ、ある記憶を開いた画面を見つめる。脇のモニターの脳波が先ほどよりもずっと強く乱れている。そこに映っていたのは透の妻であり佑の母……小松亜紀の姿だった。



午後の強い日差しが窓から差しこんでいる。真っ白な遮光カーテンを引いた自室で佑は勉強机の上に乗せた自分のパソコンに向かい、通っている中学校のクラスへの出席を済ませる。授業はほとんどインターネット上で行われる上に登校は月に1、2回のため、他人と接するのが極端に苦手な佑でもなんとかなっていた。

(これで今日の授業は終わりか……。後から復習しておかないと)

佑はパソコンの電源を落として閉じるとふう、と息をつく。母さんは午前中から仕事で出勤していて帰りは遅くなると言っていた。父さんは午後には帰ってくると言っていたけれど……まだ帰ってきていない。

(真木さんに連絡してみるか)

佑は携帯で真木友彦の番号を呼び出してかける。繋がるまでに時間がかかった。

『佑くん?どうしたのかな、何か急ぎの用かい』
「ああいえ、別に急いではないんですけどあの……父の様子が知りたくて」
『すまない、昼には帰宅させる予定だったんだけどね。最後の点検作業が思いのほか長引いていて今日中にはとても終わらなさそうなんだ』

電話ごしの真木は少し焦っているように感じられた。一体どうしたんだろう。

「真木さん、そっちで何かあったんですか」

佑が問いかけると真木は言いづらそうに話を切り出した。

『うん、実はね。ものすごく言いにくいことなんだけど……聞いてくれるかな』
「はい」
『佑くん君…………お母さんがお父さんを殺したことは知ってたかい』

真木の言葉を聞いた佑の思考が凍りつく。何だって。母さんが父さんを……殺した?

「真木さんそれ、ど……どういうことですか?」
『やっぱり知らないんだね。点検の時にお父さんの記憶を調べたら出てきたんだよ……君のお母さんがまだ体が生身だったころのお父さんを刺している映像が』

真木が佑にかいつまんで説明した話によるとまだ体が普通だった父さんはある日、母さんと些細なことで口論になり怒った母さんにキッチンにあった包丁で刺されて逃げようとしていた。その後に交通事故に遭ったらしい。

「そんな……母さんがそんなこと、するはずないです」
『……僕だってまだ信じられないよ、とてもそんなふうには見えなかったからね』

『一応その記憶はまだ消去してないんだけど……念のためバックアップを取っておくよ。今回は機体とシステムを新しくしたから誤作動の原因にならないように消すつもりだけど、佑くんかまわないかな』

佑は真木に何も言えなかった。さっきの話を信じたくない。

「…………はい、お願いします」

佑はそこで通話を切る。足先が冷えてふらついていた。ベッドを背にしてしゃがみこみ、膝を抱える。両目からなぜか涙があふれて止まらなかった。



翌日の午後、自宅に透が帰ってきた。亜紀はいつもの通り、朝から出勤している。

「おかえりなさい、父さん」

佑が玄関ドアを開け出迎える。父親の髪型と服装がだいぶ変わっていたので一瞬別人かと思った。60歳くらいの外見は変わらない。むしろ体型が細身で長身のため初対面でその年齢を予想するのは難しいだろう。今まで七三分けにしていた黒髪の先を水色のヘアゴムで縛って肩のあたりに馬の尻尾のように下げている。隣に見慣れない若い男性が一緒だった。年齢は30代後半くらいだろうか。

「あの……どなたですか?」
「あ、こんにちは。えっと佑くん……だったよね。僕はお父さんと一緒のRUJに勤務している瀬名真一っていいます」

不審がる佑に瀬名は後ろになでつけた茶髪を指先で払い、鼻からずり落ちた眼鏡をかけなおすと自分のRUJのカーキ色の制服の胸ポケットから名刺を取り出して手渡す。

「今日小松博士と一緒に地下層の博物館に行く予定だって聞いて、僕も同行させてもらうことになったんだけど……いいかな。嫌だったら言ってね、留守番するから」
『……彼のことは前もって連絡してなくてすまなかった、どうかな』

透が少ししゃがんで佑と同じ目線になる。佑は透の目を恐れるように顔を少しそらす。

「……別に、いいよ。瀬名さん、よろしくお願いします」
「う、うん。よろしくね、じゃあ早速出かけようか」

週末の予定(後編)

「ええっと、ここの階段を下に降りたら着くはず……なんですけど」

瀬名が自分の携帯に表示させたマップを見ながら首をひねる。地下層に向かうのにまさか通学の時に歩いている道に隠されたマンホールのような円形の蓋(ふた)を開けて行くなんて思わなかったのだ。地上層にある自宅からほとんど外に出ない佑は歩き慣れないせいか、すでに息があがってきていた。

(もう少し厚着してくればよかった)

佑は外出用の白い光沢のある長袖シャツとズボンを着ていたが、地下層の空気が体を冷やす。くしゃみが出た。

「佑くん、大丈夫?僕の上着貸そうか」
「いえ……大丈夫です」

心配した瀬名が声をかけてくる。佑は断ったが、再びくしゃみが出た。見かねた透が自分が着ている緑色の革ジャケットを脱いで佑の両肩にかける。

「父さん別にいいって」
『……無理するな、風邪をひかれたら困る』

そう言う透は淡い水色のシャツ1枚と黒のスラックス姿で逆に寒そうだ。

「父さんこそ……それ、寒くないの?」
『ああ、別に。体は機械だからな、寒くはない』
「ふうん」

佑は隣を歩く透を横目で見ながら借りたジャケットに袖を通す。真新しい電化製品のような匂いがする。

「あっ、あった。このエレベーターに乗ったら博物館まで直行できますよ。行きましょう」

先頭を歩く瀬名が声をはり上げる。目の前にはエレベーターがあり、下降ボタンのみが点灯していた。瀬名がボタンを押し、開いたドアから中に乗りこんで佑と透を急かすように手招く。

『作りが随分古いな……ちゃんと下まで行けるのかね』
「それなら大丈夫だと思いますよ、ほら。階数表示が地下層4階までありますし」

乗りこんだ後エレベーター内を見回した透が少し不満そうにつぶやく。瀬名が佑に目的地の階を聞き、ボタンを押す。ドアが閉まりゆっくりと下降が始まった。



「……すごい……こんな場所が僕らが暮らしている下にあったなんて」

地下層3階でエレベーターを下りた佑は、視界いっぱいに広がる展示用のケースの列とその奥に広がる鮮やかな緑色の葉をしげらせた森に目を奪われる。森にはどこから入ってきているのか上から柔らかな陽光が照らしていた。

「うわ〜……本当だ。あれ、どうなってるんだろうね。それにしても凄い品揃えだな」

手を額のあたりにかざしていた瀬名が、佑に奥に広がる森を指差して嬉しそうに言う。

「佑くん、今からあっちに行ってみない?」
「あの……僕、見たいものがあるのでそれ終わってからでもいいですか」

子どものようにはしゃぐ瀬名に佑はちょっと面くらって断る。瀬名は「ごめん」と謝り、肩をすくめた。

『……佑、私はここで待ってるから、瀬名くんと一緒に行ってくるといい』
「ええ~小松博士も行きましょうよ。せっかく来たんですから」

瀬名が後押しすると透は胸の前で組んでいた手を離し、肩のあたりに下がった髪を指先でいじる。

『……わかった、君がそう言うなら』

瀬名の勢いに負けた透が佑と瀬名の後ろから数歩遅れてついてくる。博物館内は無人で、3人が歩く音以外の物音は一切ない。展示ケースの中には2050年より前の時代に作り出された様々な書物や食品、衣類やその他のものが細かく分類されて収まっていた。佑や瀬名はそれらを目を輝かせて見入っている。

「あった」

佑が小さくつぶやいてある展示ケースの前で立ち止まる。瀬名も続く。

「佑くんが見たかったものってこれ?うーん何だろうこれ……見たことないな」

佑と一緒に展示ケースの中をのぞいた瀬名が首をかしげる。ころっとした光沢のある赤い楕円形にスピーカーらしきものが2つと上にアンテナのようなものがついている。そばに立てかけるようにして正方形の何かの写真や絵と文字が描かれたプラスチック製のケースが数枚置かれていた。

『それは昔の時代に使われていた音楽プレーヤーとCD(コンパクトディスク)だよ瀬名くん。まあ……今だとほとんど携帯電話かパソコン上でも聴けるようになったから必要がなくなったがね』
「へえ……!そうなんですか。そういや小松博士よく知ってますね」

透の説明に瀬名はただ感心するばかりだった。

『だいぶ昔に……買ったままのやつが私の部屋にあってね。ちなみにそこに一緒に展示されているアーティストのアルバムならいくつか持ってる』
「えっ父さんそれ本当?」

佑が突然振り向いたので透は驚きつつ「ああ」と答える。

『家に帰ったら私の部屋に来るといい』
「……うん!」

佑が大きく首をふって笑う。透は久しぶりに見る息子の嬉しそうな顔につられて自分も笑顔になっていることに気づく。はっとして真顔に戻すが隣の瀬名から「なんだか嬉しそうですね」と言われてしまう。

「そうだ小松博士。ついでに奥のあれ、近くまで行ってみません?」

瀬名が奥の森を再度指差す。よほど気になるらしい。

『近くまでなら、な。行こうか』
「やった」

呆れた表情の透の横でガッツポーズをする瀬名はまるで少年のようだ。

「佑くん次、あっちの方行ってみよう」
「えっ、ま、待ってください瀬名さん!」

瀬名に勢いよく手を引かれ、佑はあわててついて行く。その後ろ姿を見ながら透がため息をついた。

博物館の森にて(前編)


地下層3階、その奥に広がる森は近くまできてみるととても広く出口すら見えない。佑はいつか読んだ外国の童話に出てきたような雰囲気だな……と思う。そこだけ見れば今自分たちがいるのは地下ではないようにも感じる。爽やかな風が奥から吹いて3人の顔をなでてゆく。入り口には「この先、立ち入り禁止」と書かれたプレートとチェーンがされていた。

「……なんだか不思議な場所ですね。ずっとこのままいたくなります」
「瀬名さんもですか、僕もです」

瀬名の素直な感想に佑もうなずく。

『確かに。地上層にこういった手つかずの自然はほとんどない……いや、存在しないから余計にそう思うんだろうな。昔は逆だったらしいが』
「なるほど。そうなんですかね……あれ、あそこ何かいません?」

何かを見つけた瀬名が奥の木々の間を指差す。

「でも、この先立ち入り禁止って書いてありますよ」
「うーん、だよね」
『……いや、瀬名くんの言う通り何かいるな。どうやら……背格好からすると子どものようだが』

瀬名の指差す先を見た透が即答する。彼の視界上には内蔵された各種のセンサーが木の幹を背にして座りこんでいる奇妙なものを捉え、鮮明に映し出していた。

(これは……一体何だ)

透は今、自分が目にしているものの見当が全くつかず戸惑う。つややかな短い黒髪、球体関節人形を思わせる華奢な体つきの少年が膝を抱えて座りこんでいる。ただその背中には人間には存在しない、ねじれた黒い木の枝のようなものが生えていた。

「父さん、大丈夫……?」

佑に手を触れられ、透は我に帰る。

『……あ、ああ。大丈夫だ』
「小松博士、気分悪そうですけど本当に大丈夫ですか」

瀬名の心配に透は首を縦にふってから自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

『こんな場所に……子どもがいるはずない、きっと私の気のせいだ』
「えっ?」

瀬名と佑がほとんど同時に驚く。

「一応……確認だけしませんか」
『いや……それは止めたほうがいい』

透がきょろきょろと辺りを見回しながら瀬名に小声で囁く。

「どうしてです?」
『君には見えないかもしれないが、この博物館内の各階に数体の警備犬(ガード)が配置されている……下手に動くと襲われる可能性が高い』
「……そんな、じゃあどうすればいいんですか」
「そうだよ父さん」

瀬名と佑に抗議され、透が考えこんでいると森のほうからかすかな足音が聞こえてきた。それが3人のいるほうに徐々に近づいてくる。木々をかき分けて現れたのは、灰色の腰のあたりまで届きそうな長髪に暗い灰色の白衣のような上着を着たこれまた奇妙な男だった。男は瀬名が指差した木のそばに長身を折り曲げるようにしてしゃがみこむと黒髪の少年を両手にそっと抱きかかえる。

《おお、こんなところにいたのか。探したぞグラウ、さあ家に帰ろう》

男に抱きかかえられた少年は虚ろな目で顔を見上げている。男がふと顔を上げ、3人と目が合う。

《おや……博物館見学ですかな?もし警備犬を恐れているのでしたらこの先の森は感知されませんから、入っても大丈夫ですよ》

男はそう言うと森の前にあるプレートが下げられたチェーンを器用に片手で外し、佑たちを手招きした。

「ど、どうします小松博士」

瀬名が透を見て小声で聞いてくる。隣の佑も何か言いたそうな表情だ。

『……せっかくの申し出を断るのは失礼だ。それに瀬名くん、君が最初にこの森に行きたがったんじゃないか、奥が気になるんだろう』
「う……それは、たしかにそうですけど」

透に痛いところをつかれた瀬名が押し黙り、おっかなびっくり外されたチェーンから森に足を踏み入れる。あたりを見回して何も起こらないのを確認して、瀬名はほっと胸をなでおろす。続いて佑と透が入っていくと男がもう一度入り口にチェーンをかけ直した。

《はは、そんなに怖がらなくてもいいんですよ。誰も取って食ったりなんてしませんから》
「あ、あの……日本語お上手ですね」

からからと笑う男に佑が質問する。なぜか人見知りをするように透の後ろに隠れて歩いていた。

《ああ!それですか。これですよ、これこれ。実はコレ、一見普通のネクタイに見えますけど私(ワタクシ)が開発した自動翻訳機でしてね……グラウの首にもついてます》

顔を輝かせ、嬉しそうに話す男がまず自分の首に巻いている蛍光の黄緑色でバツマークが描かれた紫色のネクタイを指差し、次に抱きかかえた少年の首の黒い金属製の輪を差す。

《そういえば後ろの……坊ちゃんはご子息ですかな?》

男が佑をじっと見つめながら尋ねてくる。

『ええ。ところで……あなたは?』
《いや、失敬。名乗るのをすっかり忘れていました。私はドクトル、ドクトル・フィーアと申します》

透が男を訝しむように言うと男は少年を片手に抱き、もう片方の手を胸の前にして舞台役者のごとく大きな動作でお辞儀をした。

『なるほど。では、ドクトルそちらの少年は?もしやあなたの息子さんですか』

透が反対に質問するとフィーアは《まさか》と言って笑った。

《ふふ、面白いことをおっしゃる。彼は私の息子じゃありませんよ……作品です。しかも失敗作だ》

失敗作だと言ったフィーアの目に一瞬狂気のようなものがよぎる。嫌なものを感じとったのか、佑がますます透の後ろにしがみつく。

「あの、作品……とは?」

先頭を歩いていた瀬名が立ち止まり、やっと質問する。

《それはまあ……見てもらうのが一番早いでしょうな。この森の先に自宅があるので案内しましょう》

フィーアは瀬名にそっけなく言うと、グラウを抱えたまま先を急ぐ。森へ迷いこんだ3人はこの奇妙な男の後を追うしかなかった。

博物館の森にて(後編)


ドクトル・フィーアに案内されて佑、瀬名、透たちがたどり着いたのは今にも崩れそうな廃墟にしか見えない家だった。周りを森の木々に囲まれているせいで余計に不気味に見える。

「こ、これは……想像以上にひどいですね」
『……まあ、な。RUJの我々の自室に比べればマシだろう』

前を歩くフィーアに聞こえないように小声で瀬名が透に囁く。透もうなずき返した。

「……父さん、ここ入るの?」

透にしっかりしがみついている佑がか細い声で尋ねる。顔が青い。

『……心配するな、ちょっと寄って帰るだけさ。それより佑、顔色が悪いぞ。大丈夫か?』
「う、うん……」
「もし気分が悪いなら、フィーアさんの自宅で休ませてもらえるように僕から言おうか?」

瀬名の提案に佑は首を横にふって「大丈夫だから」と言うが、顔色がどんどん悪くなっていた。体が小刻みに震えている。

『佑、大丈夫か』
「佑くん?」
「だ、大丈夫……」

透にしがみついていた佑がふらついて地面に倒れる。透が急いで佑の体に触れると手足が冷たくなり、額が燃えるように熱かった。

「……小松博士、僕フィーアさん呼んできます‼︎」
『頼む』

異変を察した瀬名があわてて駆け出す。透はただ息子を抱きかかえていることしかできなかった。



《大丈夫。おそらく極度の緊張によるストレスからの発熱でしょう。ゆっくり休めば治ります》

ベッドに寝かされた佑の横顔を見ながらフィーアがそばの丸椅子に腰かけた透と瀬名に説明する。

『……今までこんなことはなかったんですが。すみません、つい慌ててしまって申し訳ない』
《かまいませんよ、ベッドを貸すくらい。とにかく……ご子息の目が覚めるまでそっとしておきましょう》
「すみません、ありがとうございますフィーアさん」

透と瀬名が交互に謝罪するとフィーアは《いえいえ》と頭をふった。

《お二人とも、よければその間にウチの研究室を見に行きませんか。作品をご覧になりたいのでしょう?》
「ええ……じゃあ、お言葉に甘えて」

瀬名に合わせて透もうなずく。

《ではこちらへ。ああ、研究室は暗いので気をつけて》

フィーアが忠告し、大きめのペンライトを手に先に立って歩き出す。透と瀬名はフィーアに連れられて螺旋階段を下へ下へと降りてゆく。一段降りるたびに温度が下がっていくようだ。

(さ、寒い)

瀬名は薄い上着を着ていたことを後悔した。下はいつもの白衣しか着ていない。

『ずいぶん下に下りるんですね』
《ええ。後少しですよ》

寒がる瀬名に対して寒さを感じない透はともかく、素肌に白衣と黒のチョッキ一枚というかなり薄着に見えるフィーアは寒さを顔にすら出していない。瀬名は内心で「この人もしかして機械(メカ)じゃないだろうか」と思う。

《着きました、この先です》

フィーアが二人のほうを振り返り、生体認証でドアのロックを解除する。ドアが開かれると冷気が吹きつけた。

《さあどうぞ、中へ》

フィーアが手で中に入るように示す。透と瀬名は言われるがままにドアをくぐる。

《……どうです、私の作品は。美しいでしょう?》

フィーアの研究室に入った透と瀬名は何も言えずにいた。フィーアが近よってきて感想を求めてくる。一言でいえば異常だった。鉄板を打ちつけた床一面をグラウと同じ背格好をした物体が埋め尽くしている。中央に置かれた手術台の上だけが空だ。

「これは……一体なんなんですか」
《ですから、失敗作ですよ。生かしておいても無駄なので昨日廃棄したばかりです》

瀬名がかすれた声で問うた後、顔を青くして口元を手でおおう。今にも吐きそうだ。代わりに透が質問する。

『失敗作?これが、全部ですか』
《はい。元々戦闘用の兵器として開発したんですが、毎回途中で自我が芽生えてしまってどうしても上手くいかないんです。なんでですかね》

フィーアが唐突に足元の残骸を蹴り上げた。乾いた音を立てて床に頭部や腕、胴体が外れて転がる。透が顔をしかめた。

《そういえば見たところあなた……人間じゃないですよね?だって体臭が全然しませんもんね。ねえ、なんで失敗するのか教えてくださいよ》

ざらざらと残骸をかき分けてフィーアが透と瀬名に近づいてくる。その両目に再び狂気が色濃く宿っていた。

「こっ小松博士……逃げたほうが」
『待て瀬名くん、動かないほうがいい。何をされるかわからん』
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」

瀬名が青くなっている間にフィーアが距離を詰めてきていた。透の目と鼻の先ににんまりと笑った顔がある。いつの間にかその腕が二本増えていた。上着で見えないように隠していたらしい。

《あなたを解体したら、理由……わかりますかねえ。ねえ、小松博士》

言うが早いか、フィーアの隠されていた機械仕掛けの腕が透の顔を思いきり引っ掻く。鼻と頬の人工皮膚と筋肉が裂けて中からピンクブラッドが漏れ出し、透のシャツや上着に降りかかる。

《ほう……痛覚はあるようだ。ボディーは金属製ですか?よく出来てる》

フィーアが感心するように言い、透の顔についた傷口の奥をじいっと見つめる。

《中身は?全て機械ですか、それとも生体部品をお使いに?》
『……私の体は全て機械、脳だけが生身ですよ』

透の答えにフィーアが感嘆の声を漏らす。

《なんと素晴らしい……!地上層にこんな技術があったとは驚きです》

フィーアはとても嬉しそうな表情で言い、足元の残骸の中からグラウを抱えあげて空の手術台の上に乗せる。

《……それに比べてウチの作品は、ああなんて出来なんだろう》

フィーアの機械仕掛けの腕の鉤爪のような指先が横たわったグラウの機械と入り混じった細い腕をつかむ。ミシミシと嫌な音がしだした。力を入れているのは明らかだ。

「ふ……フィーアさん、やめてください!そんなことをしたらグラウくんが」

…………バキッ

横たわっていたグラウが突然目を見開き、耳をつんざきそうな悲鳴をあげた。フィーアのもう1つの手にちぎられたグラウの右肩から先がそっくり収まっていた。

《グラウは失敗作です。すぐに解体(スクラップ)するのがいい……あなたがたは口を挟まないでいただけますか》

目に狂気を宿したまま、虚ろな表情になったフィーアが感情のこもらない声で告げる。

《……ここにいたくないのなら上で待っていればいい。解体が終わったら戻りますから》

2人の様子を横目で見たフィーアの言葉に瀬名が小声で「も、戻りましょう」と透を誘う。

『いや……私は残る。彼と話したいんだ。君だけ先に戻れ』
「な、何言ってるんですか。これ以上傷ついたらここじゃ直せませんよ」

瀬名が透の両肩をつかんで揺さぶる。フィーアにつけられた顔の傷口は少しずつふさがってきていたが、まだピンクブラッドが滲んでいた。

『真木に怒られるのが怖いのか?』
「そ、それはそうですが……僕は小松博士が心配です。どうしてあんなヤツと話なんかしたいんです?」

瀬名がそう言うと透は一言『似ている気がするんだ』と言った。

「え?」
『……彼は私によく似てる、だから放っておけない。これでは理由にならないかね』
「それは……でも、僕は許可しかねます」

瀬名がそれでも渋ると透は少し困った顔で続けた。

『別に構わない。真木に連絡するならしてくれ、上で会おう』

透はそう言うと瀬名の背中を強く押し、研究室の入り口ドアから外に出す。瀬名が驚いた表情で振り返るとすでにドアが閉じた後だった。

「小松博士!ああ……早く連絡しなきゃ」

瀬名は上着のポケットから携帯電話を取り出し、真木にかける。繋がった瞬間、心配していた真木から雷が落ちた。

「すっ……すみません真木博士!」
『で、今君たちはどこにいるんだ?モニターしていたら反応が博物館3階の途中で消えたから心配したんだぞ、何があった』
「そ、それがですね……小松博士が」

瀬名は博物館の先の森に入ってからのこと、そこでグラウ、フィーアに出会ってからのこと、佑の異変と現在の状況を簡潔に伝えた。

『……よし、状況は大体わかった。彼の損傷はある程度までなら自己修復するようになってるから気にしなくていい。まあこの間みたいな酷いものだと無理だけどね』
「それなら良かったです、僕はとりあえず上の階に戻ります。佑くんが心配なので」
『ああ、そうしてくれ。彼のほうは引き続き君がモニタリングを頼む。その場所はこちらでは感知できない』

瀬名は「了解」とつぶやき、通話を切った。螺旋階段を上へ上がりつつ、携帯の画面を透のモニタリング画面に切り替える。

(脳波、ストレス値は異常なし。機体の自己修復機能は発動してるし問題ないな)

瀬名は画面を見ながら安心し、携帯を閉じるとくしゃみが出た。

「早く戻ろう」

そうつぶやいたがやはり不安だけが瀬名の中に残っていた。

遠隔操作リモート 前編(執筆中断)

《……よろしかったんですか、お連れの方を先に返してしまって》

透の後ろでフィーアが残念そうに言う。手術台の上のグラウは先ほどので気絶したのか目を閉じている。

『彼は優秀だが、ああ見えて気が弱いんだ。あまりここには長居させないほうがいいと思ってね』
《お優しいんですねえ。はあ……反吐が出そうだ》

フィーアが低くつぶやき、バキバキッと嫌な音を立ててグラウの解体を再開する。手術台の上のグラウは体がもうほとんど原型を留めておらず、頭部だけが残っていた。フィーアが後から出した腕で頭部を無造作に掴み、破壊しようとする。透はそれを静止した。

『……待った、その中身は機械ですか。それとも生身ですか』
《ああ〜……気になりますかな?確認したいのならご自分でどうぞ》

フィーアがぽんっ、とグラウの頭部を透に投げてよこす。透は両手で受け取るとグラウの髪を両手でかき分ける。一部がへこんだり潰れたりしているので、内部を覗くには少し力をかければよかった。わずかな割れ目から中を透視スキャンする。

(……これは……)

スキャンを終えた透の顔が恐怖で引きつる。グラウの頭部の中身は機械ではなく……生身だった。

《おや……その顔はお気に召しませんでしたかな?同じじゃないですか。今のあなたと》

フィーアが透の顔を見てにんまりと笑う。その顔に透の中で静かな怒りがわきあがった。今すぐに殴りつけて殺したいほどの衝動にかられる。

【通常から戦闘モードに移行しますか?】という透の感情を察知した機体側からの提案が視界にちらつくが、一切無視する。それはできない。

極秘で製造された個体が殺人を犯したとなれば、今後RUJの運営に傷がつく。

(真木のやつ、よりによってガワに戦闘用のモデルを使ったのか。後から文句を言ってやる)

未来世界のボトルメール(読み切り)


西暦2050年。科学技術が発展した今の世界で手紙というと電子メールのことを指すものだと、僕は生まれた時からそう思っていた。

「ちがうちがう。昔はね、こんな紙に自分で文字を書いて出してたのよ」

リビングルームにいた母はおかしそうに笑いながら、僕に自分のタブレット端末を見せてくる。そこには昔に書かれたであろう様々な手紙の画像が映し出されていた。

「へえ……今ならLETTERS《レターズ》で簡単にやり取りできるもんね」
「うーん、そうねえ。確かに便利よね、写真もすぐに送れちゃうし」

母が少し残念そうな表情で僕を見る。

「そうだ。ねえ、もうすぐ父の日でしょ。お父さんに手紙、一緒に書いてみない?」
「え?いや、でも……父さんいつも忙しそうだし」

僕が言いよどむと母は「そんなの大丈夫」と言って笑う。

「それに……お父さん毎日研究詰めだし、父の日くらいはあなただって一緒にいたいんじゃない?」
「そ、それは……そうだけど」

それでも僕が迷っていると母は「じゃ、早速手紙用の便箋買いに行きましょ」と誘う。

「うん……わかった。服着替えてくるからちょっと待ってて」

僕は2階の自室に戻り、ベッドの側のキャビネットから白い半袖のシャツとズボンを取り出して着る。勉強机の上の青い鳥型ロボット・Alice.を手の甲に乗せると急いでリビングに戻った。

「母さんお待たせ」

僕がリビングルームに入ると母はすでに身支度を終え、服と同じ真っ白な日傘を差して僕を玄関ドアの前で待っていた。

「そういえば、どこに買いに行くの?」
「お母さんが昔、あなたくらいだった頃によく通っていた文具店よ。まだやってるはずだから」

そう言った母が連れて行ってくれた文具店は僕らが暮らしている地上層とは違う地下層にあった。いつも太陽の当たる地上に比べて地下は冷えていて肌寒い。

「どれがいい?好きなの選んで」

母が僕に手にしたいくつかの便箋を見せてくる。どれもカラフルでシンプルなデザインだ。

「じゃ、これ……にする」

僕が便箋の候補から1つ抜き取って母に渡す。母が文具店の店主らしき男性にそれを手渡し、財布から1枚硬貨を出して支払う。

「……毎度あり」
「ありがとうございます、また来ます」

母が店主に会釈してにっこり笑う。僕も軽くお辞儀をして店を後にした。翌日。母と一緒に買ってきた便箋で父に手紙を書いた僕はそれを大手ロボット製作会社に勤める父の元に送ろうと思い、Alice.を手元に呼んで便箋を託そうとして……はたと気づく。

(さすがにこれはムリか)

普段テキストや写真データを送信し、届け先を指定して飛ばすAlice.に紙のように形のあるものは預けられない。忘れていた。

(何か別の方法……は)

僕は自分の携帯端末で手紙を届ける方法を検索する。するとボトルメールという、昔の時代に行われたらしい瓶に手紙を詰めて海に流す……というものが目にとまる。

(これ、やってみよう)

僕はリビングに下りていって母からジュースの空き瓶をもらうと父に宛てて書いた手紙と肩にAlice.を乗せて近くにある海岸に向かった。

(後はこの瓶を、海に)

僕は波打ち際に近づき、よせてきた波に瓶をつけてそっと流す。肩の上でAlice.が首をかしげて囀さえずった。

「ええ……あの手紙流しちゃったの⁈せっかく書いたのに」

後日。母にボトルメールのことを話すとものすごく残念な顔をされた。

「ごめんなさい……その、他に方法が見つからなかったから」
「そっか……。うん、あなたがやりたいと思ったならいいわ、お母さん気にしないから」

僕の携帯が不意に通知音を発する。母に断って見ると会社にいる父からメッセージが届いていた。

《手紙のことはお母さんから聞いた。今日の夕方、家に帰るからその時話そう》

その日の夕方、僕は会社から帰ってきた父さんと一緒にあのボトルメールを流した海岸に来ていた。日が沈んで青から暗さを増してゆく空の下、2人だけで出かけるなんていつぶりだろう。

『……それで、私に言いたいことがあるんだろう。ここなら誰も聞いてないだろうから、遠慮なく言うといい』

隣にしゃがんでいた黒いスーツ姿の父さんが僕の肩に乗っていたAlice.を自分の手の甲に移す。最初は手袋をしていたから分からなかったが、両手の人工皮膚と筋肉の下から暗色の金属の骨格や配線が見えたままだ。

「父さんそれ……まだ完全に修理終わってないよね。外出してもいいの?」
『ああ、別に問題はないらしい。後はここだけだからな』
「そう。なら、よかった」

僕はほんの少しだけ父さんから離れる。やっぱりまだ怖い。それから最初に会った時よりずっとマシだが……合成音声も苦手だ。

『どうした』
「ううん……別になんでもない」

怪訝そうな表情をする父さんに僕は嘘をつく。Alice.が父さんの機械が剥き出しになった手の上を飛び移り、嬉しそうに鳴く。

「ねえ父さん」
『……なんだ』
「今度は……どれくらい家にいられるの?」
『腕の修理がまだだからな……明日か明後日には会社に戻るつもりだが』

父さんが僕の方を向く。波が打ちよせた。

「父さん」
『うん?』
「僕……あんなことして、ごめんなさい。二度としないから……その、ずっと……僕のそばにいて」
『……それがお前の一番言いたかったこと、か。わかった。ただし二度とするなよ。生体部品ここは……代えが効かないからな』

父さんが指先で自分の頭をとんとんとたたく。僕は首を強く振った。何より父さんが自分と約束してくれたことが嬉しかった。

『そろそろ帰るか、暗くなってきたしな。母さんも待ってる』

父さんがゆっくりと立ち上がる。僕もそれに続いて立ち上がる。Alice.が僕の肩に戻ってくる。

「うん。帰ろう」

先を行く父さんを追いかけながら見上げた空にはいつかのように砂粒を散りばめたような星が輝いていた。

幸せな一日(読み切り、未完結)

それがいつだったかは忘れてしまったけれど、たまに見る夢がある。夜明け前の寝室、まだ夜の青さの残る空を窓から見つめている僕は今よりずっと幼い。

子ども用のベッドに敷いたパステルカラーのカバーをかけた枕のそばには本物にそっくりの青い小鳥が止まって、時折首をかしげながら囀っている。

参考書籍ほか


【漫画】
鉄腕アトム
手塚治虫
講談社漫画文庫

メトロポリス
手塚治虫
角川文庫

PLUTO
浦沢直樹
小学館

【映画】
メトロポリス(2001)
りん・たろう
角川映画

A.I.(2001)
スティーヴン・スピルバーグ
ワーナーブラザース

ターミネーター(1984)
ターミネーター2(1991)
ジェームズ・キャメロン
ワーナー・ブラザース
東宝東和

ウエストワールド(1973)
マイケル・クライトン
メトロ・ゴールドウィン・メイヤー

LAPSE(2019)
BABEL LABEL

【ドラマ】
ウエストワールド(2016)
HBO

走馬灯のセトリは考えておいて(世にも奇妙な物語23’秋の特別編)

【書籍】
あしたのロボット
瀬名秀明
文藝春秋

スーパートイズ
ブライアン・オールディス
竹書房文庫

ファミリーランド
澤村伊智
角川ホラー文庫

さよならの儀式
宮部みゆき
河出文庫

空中都市008 アオゾラ市のものがたり
小松左京
講談社青い鳥文庫

ロボットとは何か 人の心を映す鏡
石黒浩
講談社現代新書

クリエイターのためのSF大事典
ナツメ社

人体のふしぎ
矢沢サイエンスオフィス
Gakken

メトロポリスThe Movieメモワール
角川書店

読むだけですっきりわかる平成史
後藤武士
宝島社

【ゲーム】
バイナリードメイン(2012)
セガ(龍が如くスタジオ)

Detroit Become Human(2018)
クアンティック・ドリーム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?