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ぼっち在宅介護 便が変わった…(泣)

父の便の話です。
が、そのあと、ブルーな話です。
お気持ちしんどい方、スルー願います。
で、長いです…


ヨーグルトを変えて快便になってから1年以上経ちます。もう、ずっと快便で、毎度の訪問看護でも褒めちぎられてきた便が、おとといまで出ていたのに…

今日突然コロコロ便になってしまいました。。。

昨日も今日もいちご乗せヨーグルトを食べたんですけど…

ちょっと悩ましい問題が、またヒュンと目の前に転がってきて、確かに食事が減りはして。
でも一日二日食事が減ってもなんてことなく、これまでモリモリ便を出してきていた父…

え〜〜〜〜え〜〜〜〜え〜〜〜〜え〜〜〜〜

目も見えづらいらしく、私の雰囲気はわかるらしいけれど、大好きな主治医の先生の往診の際は、どうにも認識しにくかったようで…
つらそうなかなしそうな顔のままいて、最後には目も口も真一文字にしてしまいました。


突然だなぁ…

先生は、食べれなくなったら、
「🫷ドクターストップです」と言われていて。

それは、まだ長生きして欲しければ、家族の悩み事をこれ以上は共有すな!ってことと理解はしたんだけれども。

こんなにつらいのかぁ…と、ひしひし感じ入ってしまいました。



微熱だけど、ちょっと発熱もあり。
飲むものは、どんどん唾液はタンになって、気管へ流れ込んでいくし…パンパンに浮腫んでいくし…

吸引機でタン引くと、たまたま気管に入れれたら、

ギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュル…「ちょっと休憩するよー」

ギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュル…「もうしんどいね、やめとくか。」

気管ごと抜けてきてるんじゃないか?というくらいにたった一日で大量にタンが吸える…
(飲食は食道を通れています…)

昨夜は、少し色のついた大きなタンが引けてしまいました。。。


ま、たまたまのタイミングかもしれないけれど…


医者でなくても「🫷ドクターストップだわ」
と思いました。

腎臓が、なんとか動けていたのに、ガクッときてしまったのかなぁ…
もう一つステージが低いところで凌げるか?
もうステージがないのかわからない…

何より、本人がわからないのだから、不安そうにこちらを見るしかできないでいます。見えないんだろうけど…



人生って不思議ですね。。。

あまりに聞きたくないニュースが入って来ると…思わぬニュースも入ってきますね。

悪いことがあると、いいこともあるみたいな。

父にとって直接いいわけでなく、ま、ちょっと私や主人がうれしいことですけど。

あまり意味ないけれど、話してみることにしました。ちょっとでも元気になれば…と。


ちゃんと理解できたかは謎ですが、少しホッとしたような顔をしてくれた気はします。

それを見て、ほんとにもう無理しんでいいやって思いました。父。


もうサボろう。
もういいよ。
オヤジもきょうだいAも私も、もう疲れました。家族といえども、もうメンタルハラスメントですわ。そもそも、もうとっくの過去にそうだったんだけれど、わたしが挫けなかったせいで、二人をズタボロにした気がするなぁ…


直系のかぞくは5人います。
母と母を連れて行ってしまったきょうだいBをのぞいて、3人が彼女らが連絡して来るたびに、メンタルをやられます。

きょうだいAは、もう一年くらい連絡がありません。きょうだいB関連の連絡先は全部消去してしまいました。
私が電話すれば、つながりはしますが、気分が乗らなければ出ないし…メッセージでも「仕事で忙しいので、後で」としか返ってこないと思います。

なんだよ!役に立たないな!って、当時、私は腹を立てていた時もあったけど、今の父のような感じまで落ち込んでいたのかもしれません。体調も崩していましたし。
気の毒なことをしました。どうぞ逃げて。
自分のペースで生きてくれたら嬉しいです。


法の元には平等でないと…
という気持ちが私にはありました。

母には母の辛さとか悲しみもあったろうし、父も難しい人でしたから、人一倍苦労に感じたことはあると思います。
私自身も、母にも心配や迷惑をいっぱいかけましたし。

きょうだいBともソリが合わないなりに、助けてもらった時期もあったから、やっぱり聞ける話は聞こうとやってきました。父も私も。

が、
父が「もういい、会いたくない」というし、せん妄で不穏で幻覚が見えて、もう正気ではおれない時間が増えてきて…
一年前に電話があった際「もうこちらにはきてもらわなくていいので。。。うんぬんかんぬん」と、はっきり距離を置いて欲しい旨を伝えて切りました。

すぐ、弁護士の先生や、身近な親戚にも相談しました。親戚には父の意思や言葉を聞いてもらいました。「この家や家族がどうなってもいいけれど、集落に迷惑のかからないように…」
そう言ってました。一年前です。


そこが、もう限界だったんだなぁ…と思います。今は。
直接的に会わずに済んだこの一年、父は、みるみるせん妄がなくなり、幻覚もなくなり、グッとメンタルが元気になっていました。
このまま良い距離で、お互いに自由を選び、新しい高齢者夫婦の関係、介護のスタイルができたと思うことにしよう!とやってきました。


なかなか、思いは通じないですね。
周りをウロウロするのです。

自ら出て行った母ですけど、なんとなく最後に、許されたいとか愛されたいとか思うんでしょうか。認知症なんだから、仕方ないし。
とうに、許すも許さないも父にはなくて「アレ(母)はアレでいいんや」と、そのままの母を今も愛しています。一緒にはいたくないけど😅ちょっと強気で自由奔放で、でもちょっと弱い、そんな彼女のままでいいのだと。最後まで母らしく人生を選べばいいと父は送り出しました。戻って来ることも、時間をかけて諦めて、もう好きに元気に生きてくれたらそれでいいと思っています。

きょうだいBも、父から許されたいのだろうけど、これまでのことを考えると…なんとも。
私だってシャッターを下ろしたくなります。

だから、もう限界なんだなぁ…って。

私が頑張って仁王立ちしていたことで、ここまでズタボロにして、引っ張ってきたのかもしれないなぁと思いました。


父もきょうだいAも私も、もう頑張れないので頑張りません。

先生方にお力を借りることにします。



ちょっとだけいいニュースを聞いて、父の気力と体力にもうしばらく火が灯りますように。

と、ま、うーん。

私も眠れた日の次の日は全く眠れず…
眠れず…
さっき、気絶するように眠っていました。
びっくりしました。


人間、素直が1番ですよね。
無理はいかんです。
ただ、どんな思いにも行動にも、自分がわかってようがわかってなかろうが、責任は伴います。

わがままいうのも素直なことだけど…
それで周りに悲しみを与えてしまったならば、出て来る結果は自分で受け入れるしかないわけで。

そんなつもりじゃなかった。
悲しくなってるのはそっちの勝手でしょ?
みたいに、相手に求め続けるのは違う。

自分が、つもりでもつもりじゃなくても、とった行動、発した言葉は、自分の体で心で回収することなんだなぁ…と思いました。

ちゃんと、自分で痛み、失敗と受けとめるからこそ、次の人生のステージで新たな扉が開くんだろうと。

何度も何度も同じ回廊を巡っている時は、自分で受け止めているつもりでも、ちょっと交わしたり、透明人間になっていてすり抜けてしまっていたんだろうと感じます。

私は、弱いのだ!
もう話したくない、会いたくないのだ。
人生でもう会えなくなったとしても。

やっと、父ときょうだいAの気持ちがわかった気がします。


やっと、彼らに寄り添える気がしてきました。
遅くなってごめん。


今日は長くなりました。
読んでくださった方がいたら…ありがとう😭

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