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親の無形な魂の輝きを知る

この写真は昭和11年、私の曽祖母の葬儀直後に撮った家族の写真。私は天理教の信仰四代目となるが、真ん中で黒い着物を着ているのが信仰初代、私の曽祖父である。

昨年4月に母が病気で亡くなり、この機会に家の信仰の元一日や親々のことを思い返して、noteに書き記しておこうと思う。

天理教のことを『お道』とも言うが、天理教が好きになれず、親に心配ばかりかけてきた私に対して、母がいつも口癖のように言っていた言葉がある。

『どんなことがあってもお道を切ってはいけないよ。続いてこその道だから。通ってみて初めて分かるのだから』と、耳にたこが出来るくらい聞かされてきた。今ではその母の言葉が私にはよく分かる。

今まで色々な人生の岐路を選択してきて、今に至っている。その岐路にはいつも導いてくれる人がいて、教えによる判断があったように思う。50数年の人生を振り返り、もし信仰をしていなかったらどうだったのかと考えてみる。

私の癖、性分をよく熟考した上で、今まで選択してきた岐路と反対の方へ進んでいたらと想像してみる…。たぶん、どうしようもない人生だったろうと容易に想像が出来る。

親のおかげ、信仰のおかげで今の私があると実感し、改めて祖父母や両親に感謝するのだ。

親に感謝するのは当たり前のことと思っているが、以前Twitterをやり始めた頃。どんな親でも自分を産んでくれた親に感謝しなくてはいけない。とツイートしたら、子供を虐待するような親でも感謝するのかと指摘されたことがあった。確かに世の中には『毒親』というものが存在する。

子供がその毒親に放置や支配または虐待をされ、最悪の場合は尊い命も奪われてしまう。そういう親に感謝することなど、あり得ないことかもしれない。

子供は親を選べない。そう考えると人はみんな平等ではないこの世に生まれてくるともいえるのだろう。

私は神様を信じている。人には魂というものがあることを信じている。また、そう信じた方が人は幸せなことではないか。とも思っている。

魂は皆それぞれ違う。神様はその魂をみて、深い縁『いんねん』あるものをよせ、親子の縁を結び合わせていると思うのである。

そして今世は、その縁の中で天理教の目指す、陽気ぐらし世界(人間が互いに立て合い、助けあって、毎日を陽気に勇んで暮らす世界)をしなさいということだと思う。

そう考えると、私は本当にありがたい親子の縁、人の縁を戴いていると神様に感謝するのだ。

曽祖父は天理教の布教師に、命に関わる重篤な病気を助けられ、入信した。
そして、お金より大事なものがあることを悟り、神様に全財産を差し出し、全てを捨てて今世は天理教に捧げる決心をした。
その後、家族でその助けて頂いた布教師の宣教所へと移り住み込んだ。

私の祖父は三男だが、家の信仰を継ぎ、親と赤貧のどん底を共にした。貧しい中も親を信じ、神様を信じてきた。

私はそうした祖父母の苦労を知っている。祖母が私に話してくれたことがある。祖母は網元の裕福な家で育った。嫁いだ時、家のあまりの貧しさに驚いたそうだ。

結婚した時、祖父の下には9人の弟妹がいた。祖父と1番下の弟とは23才も歳が離れている。祖母は嫁いですぐに忙しい義母の母親代わりともなった。

そして食前に決まって祖母にはやることがあった。それは義弟妹たちにおなかをへこませてから、帯をギュッときつく締めるのだ。腹一杯食べられないようにするためである。そういう赤貧の中を生きてきた。

私はそうした先祖の苦労の上に立っている。今の私があるのも、そうした苦労の中を通られてきた親々のおかげと、ただ感謝するばかりである。 

祖父は信仰二代目として、親の後を継いだ。祖父の兄弟で社会に出た者は皆、成功者ばかりである。長男(共同通信社支局長)次男(作家)五男(伊豆タクシー社長、伊豆急鉄道常務)六男(中日ドラゴンズ球団社長、中日新聞社取締役)十男(大学名誉教授)
本人の努力もあるが、親の徳を戴き、成功したのだと私は思っている。

昔、五男の大叔父が話していた中に、子供の頃、家が貧しく学校にも通わせてもらえず、親を恨んでいたそうだ。しかし、その後、独学で勉強して努力し、国鉄に入社。駅長などをつとめ、その後、引き抜かれ、伊豆急鉄道の常務となった。

ある時会社の役員名簿を見ると、みんな大学卒の役員ばかりの中、自分一人だけが小学校卒ということに気がついた。

学校で学ぶことはできなかったが、しかし両親の信仰を通して、どの世界でも通用する大切な精神を親から学んでいた。今あるのは育ててくれた親のおかげだと痛感し、その後、家に神様を祀るようになったそうだ。

信仰は目には見えない理の世界でもある。神様に尽くした理は一代限りで終わるものではない。親の魂の徳を子供は受け継いでいると思うのである。

さてタイトルにもなっている『親の無形な魂の輝きを知る』は祖父が昭和51年に曽祖父の30年祭の時に記した『親をたずねて』という冊子中の言葉を少し拝借しタイトルとした。
その冊子の序章の中で祖父はこう述べている

『両親は子供達に対して、世の常の人とは違い、地位、名誉、財産、権利、権力等、何一つ残してはくれなかった。形の物は何もない。残されたものは借金ぐらいのものであった。信仰の後継者として一生を伴にしてきた私でさえ、着物一枚でも貰ったことはない。然し乍ら、無形の理、魂を戴くことが出来た。私は自分の前生が三代前までハッキリよく分かり、知ることが出来た。両親の魂の中に、素晴らしいものを沢山持っていたことを、今も深く感ずる。親の真価を知ることは、子供にとって重要な意義がある。助けて下さった〇〇御夫妻を親と仰ぎ、18才より57年間、天の理を求めて、たすけ一条の道を、沢山の荷物を背負い、うまずたゆまず貫いた真実の道、その面影には、苦労や苦心の暗い影は微塵もない。いつも明るい光が漂い、天空に光を放つ星のように、永遠に生きている父を、母を、想う。』    


祖父は自分の前生が三代前まで分かると言っていたが、私には自分の前生など分からない。

昔、祖父からおまえは私の叔父◯◯の生まれ変わりだ!と言われたことがある。私はまだ若い頃だったので、そんな前生のことなんか知るか!関係ないと思い、その人の名前も忘れて気にもかけなかった。自分の前生が誰か分かったら、私は少し嫌な気もするのだが…。

しかし曽祖父は素晴らしい信仰者だったのだろう。私が生まれた時は、もう曽祖父はこの世には居なかったので知る由もないが、その子供である祖父の言動やその信仰姿勢に曽祖父の面影を想像することはできる。

今は祖父も亡くなって30年近くなる。思い返すと、祖父のところには、たすけを乞う人や相談に訪れる人がいつも来ていた。また何かの折には兄弟、子供、孫たちが大勢集まってくる。特に正月などは、大勢の親戚の人たちが小さな部屋にところ狭しと座り、にぎやかで楽しかった。

祖父は貧しい、苦労の道中ばかりだったと思うが、曽祖父と同じように暗い影は微塵も感じたことはない。幸せな人生であったと思う。

また祖父は情に厚く、自他に厳しい人でもあった。そして日々の生活の中での教えの体現者であった。

ある晴れた日、祖父の部屋の縁側にティッシュペーパーが散乱していた。私は祖父にゴミ箱に捨てないの?と聞くと、祖父は鼻を一度かむだけで捨てるのは勿体ないから、乾かしてからもう一度使うと言った。その時私はまだ幼かったので、汚いとしか思わなかったのだが、今思えば天理教の教祖が仰った『菜の葉一枚でも粗末にせぬように』という教えを生活の中で実践していたのだと思う。

そういう祖父を人として、一人の信仰者として尊敬し、誇りに思う。

信仰は子供であっても強制するものではない。伝えるのではなく、伝わることが大事だと思う。

私も祖父母や両親と同じように子供達に対して、この精神、教えが伝わるように努力したい。

それが今はもう、この世にはいない親々の魂を輝かせることでもあるように思う。

ー了ー

長い拙い文章を最後までお読み頂き、有難うございました🙇


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