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心の余白を… 無聊を託つ

最近、無聊(ブリョウ)[することがなく、手持ち無沙汰で退屈であるさま]という言葉を知りました。教養のある人からすれば、そんなことも知らないのかと嘲笑されてしまいますが、歳を重ねても、まだまだ知らないことが沢山あると改めて思いました。

万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートンは
『私は、浜辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。』
と語っています。

知識をどれだけ多く脳に蓄えても、無限と言えるほどの未知が、目の前に残存しています。

だから、歳を重ねても知らないことが多いのは、当たり前だと、自らを慰めたのです。

この『note』にも感動する未知なるものが、沢山あるのだと思い、今晩も眠気を惜しんで、渉猟するのです。

そして、明朝、眠気と後悔の念にかられます。

さて、以前Twitterをしていた頃、ある人のツイートが心に刺さり、スクリーンショットでスマホに保存しました。↓

知識を得ることは、思考が広がり、視野が広がり、世界が広がる。そして、今までの自分の考えや世界が、いかに狭いものであったかということに気がつきます。

また反面、人より知識があることは、いいことかもしれませんが、人を見下すような慢心、高慢な心も身につきやすいので、気をつけないといけないと思うのです。

知識は力なりといいます。知識は多ければ多いほど、いいと思うのです。またその知識も行動や実践があってこそでしょう。

例えば、好きな人がいるとします。その人に振り向いてもらうために、様々な努力をします。

今の若い人はSNSなども活用するのでしょうが、私の青春期の昭和は、ラブレター(死語?)です。

ラブレターを書く時は、いつも家族に悟られないように、みんなが寝静まった夜中に書くのが一番です。

何故か夜は、センチメンタルになります。静まり返った部屋には、ペンの走る音だけが残る、、
彼女を想う愛の言葉が、その音とともに綴られていく、、。

そして翌朝、読み返してみると、よくこんな恥ずかしいことが書けたものだと、なんの惜しげもなく、丸めて捨てるのです。

人は時に、夜と朝とは違う人間になるようです。

余談はさておき、その愛の言葉も10ある知識の中で選んだひと言と、1000ある知識の選りすぐりのひと言とでは、相手の心に届く響きが違うと思うのです。

知識は人の心を動かす力でもあります。

そして、思い考えているだけではダメであり、行動があって、初めてその知識が力を発揮します。

あとは『人智を尽くして天命を待つ』です。


学生時代、いつも悪友と連んで素行が悪かった僕は、いろいろな方のお世話になり、なんとか高校だけは奇跡的に卒業できました。
今では楽しかった青春の想い出となっています。

しかし、学生時分に本業である学業を疎かにしていたことは、今でも悔やまれます。また今はそれを少しずつ挽回している毎日でもあります。

だから、いつもスマホばかりを見ている娘には『学生は勉強することが仕事だ!』などと、つまらない決まり文句を言うのです。

自分のことは棚に上げて、どの口が言うのだ。と自身を嘲ります。

しかし、勉強することは、いつになっても遅くはありません。

たとえ年齢を重ね一つ覚えて、二つ忘れてしまうような健忘な脳であっても、人生死ぬまで勉強です。その努力を怠らないようにしたいと思うのです。


冒頭の『無聊を託つ』という言葉ですが、元来怠け者のぼくには、何故かこの言葉が妙に心惹かれたのです。

何もしないで1日ボーと、ゴロゴロしていたいと思う時がよくあります。

人は忙しくなると、心に余裕がなくなります。心に余裕がなくなると視野が狭くなり、自分の周りしか見えなくなります。

そして、やがて自分のことしか見えなくなり、結果、周りに迷惑をかけることになったりもします。

『忙』の字は、心(りっしんべん)に亡くすと書きます。忙しい時ほど、自分を見失わないようにしたいものです。

また、大変な時こそ、どのような行動がとれるのか。人の真価が問われる時でもあるように思います。

忙しい時は、どんなに忙しくても、毎日寝る時間はあるのだから、何とかなるだろう。と、怠けようとする脳に言いきかせるのです。

また人は経験を積み重ねていき、だんだんと心に余裕ができてきます。

若い時というのは、まだ未熟な成長過程でもあり、更に仕事や家庭のことなどで毎日時間に追われ、大変な時でもあります。

そういう時は周りの人のことを気には出来ません。私も若い時は随分と周りの人に迷惑をかけてきたように思います。

しかし、今振り返ると、そのこともその時は仕方がなかったことだと思うのです。それが自分の全てであり、精一杯だったのですから。

昔、訳あって家に住み込んでいたある青年が、僕の知人の伝手で会社の寮に入り、ホテルマンとして仕事をするようになりました。しかし、暫くしてから仕事や人間関係で悩み、鬱の精神状態となりました。

そのことを僕が知り得たのは、彼が、SNSで死にたいと呟いていると、友人が私に教えてくれたのです。

すぐに彼のもとへ行き、話を聴いて相談しましたが、とても仕事ができる精神状態ではないと判断し、仕事を辞めることを勧め、一緒に社長にお詫びして退職しました。

自分の限界以上のことは、どんなに努力しても無理なのです。自分の限界を知り、見極め、時には見切ることも大切なことだと思います。

その彼も現在は、遠い関西にある会社に就職しました。今の職場や環境が合っているようで、元気に頑張っています。

彼を通して、結局は周りがどれだけサポートしても、最後は自分の力で立ち直るしかないと思ったのです。

心の成長には、経験の積み重ねによる個人差もありますが、年限がかかるものです。

また若い人と相対するときは、そういうことをよく理解してないといけないと思うのです。

昭和の人間は「私の若い時はこうだった!」などと言いたくもなりますが、人はそれぞれ考え方や価値観が違うのですから、自分の物差しで相手を測れば、狂いが生じるのです。

何を言っても、相手の心に届くことはないのでしょう。相手の目線で心のうちを探らなくては、理解することはできないと思うのです。

理解するは  understand

自分の立ち位置は、あくまで相手より下です。

気をつけなくてはいけないことだと思います。

また成長には必ず苦労が伴なうものです。

昔から、『若い時の苦労は買ってでもせよ。』と言います。

世間で成功している人や、人格者と呼ばれているような人達は皆、若い時から苦労をしている人のように思います。

しかし、逆に世の中にはあまり苦労を知らない人もいます。苦労がないことは一見、幸せなことかもしれませんが、そういう人は周りが見えていない人でもあり、自己中心的な思考の持ち主であるように思うのです。

いつの日か、『売り家と唐様で書く三代目』とならないように気をつけたいものです。

しかし、たまには無聊を託つことも必要だと思います。


さて、冒頭の『心の余白』ですが、余白というものがないと、もうそれ以上は書き込むことはできません。

心に余白を作るのも、なにかを変えなくてはいけないと思うのです。変えなくてはいけないものは周りではなく、自分の内にあるように思います

天理教では『成ってくるのが天の理』といいますが、

日々自分に起こってくる事象は、自分の心から発する言動によって、成ってくることが多いように思います。

そこには因果応報というか原因があり、結果があります。

また自分にとって、悪いことも、自身が成長する何か意味のあることだと思うのです。

私見ですが、人はつまるところ、自分が正しいと思いたく、自分のことが一番可愛いのではないでしょうか。

だからこそ、自分にとって望まない事象が起こってくるような時は、問題の原因を周りとはせず、先ず自身の心のうちを内観することが大切だと思うのです。


また人の心の根底にある一番の喜びは、物質的に恵まれる喜びではないと思うのです。

欲の心には際限がありません。足ることを知ることが大切ですが、それは意識して努力しないと、なかなかできることではありません。

スマホでも古くなると、便利な最新のものが欲しくなります。
欲しいものが手に入っても、また新たなものが気になったりもします。

物質的な満足は出来ないと思うのです。その喜びは一時的なもので、継続するものではありません。

また人は自分だけの喜びだけではなく、家族などの喜びも自身の喜びと感じます。

他人に対しても、相手が喜ぶような行動をして、お礼を言われると嬉しくなり、また何かしたいと思うようなことはないでしょうか。

人に喜んで貰いたいという心にも際限はないと思うのです。

以前、家の前でゴミ回収車で作業し、ひと休みしていた作業員(30代前半くらいの耳にピアスをした強面のお兄さん)の方に「暑い中、ご苦労様です。どうぞ飲んで下さい!」とペットボトルの冷えたお茶を渡しました。

すると、その強面が一変し「有難うございます!」と満面の笑みで返してくれたのです。
逆にこちらの方が嬉しくなり、また差し入れたいと思ったのです。

素敵な笑顔は、相手も笑顔にさせる力があるのだと思いました。


人に喜んでもらうことが、自身の至上の喜びでありたいと思うのです。

人のことを思い遣れるように、いつも心には余白をもちたいと思うのです。 
                         
 - 了 -


最後まで拙い長文をお読み頂き、ありがとうございました🙇

#エッセイ #無聊を託つ  #心の余白  #人格者  #笑顔 #喜び #若い時の苦労は買ってでもせよ

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