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宿題について考える

 学校で出す宿題について、色々考えることがあります。
宿題って、そもそも何でしょうか?学校の宿題って、必要ですか?
 ご意見頂けたら嬉しいです。

Stand.fmの私の番組でも喋ってます↓
サクッと3分で聞きたい方はこちらをどうぞ😌

 小学校の先生として働き、支援級の担任としてそれぞれの児童にあった学習課題を見つけ、宿題として課題を出しています。ただ、それがなんのために出しているのか、本当に必要なのかというところは日々考えていて、児童にもその保護者にも、声をかけています。厳しい時は、やりたくない時はしなくてもいいよ、と。
 ただ、家で学習できる習慣の必要性を教えてあげることは必要だと思っています。

1.宿題だから絶対にやる、その前提でいいのか?

 出された宿題は、するのが当然。おそらく日本の小学校で生きてきた保護者や真面目な児童って、そう考えると思うんです。
 ただ、よく考えてみたら、例えば我々社会人が会社から毎日当然のように持ち帰りの仕事をさせられていると考えたらどうでしょう?そしてやってきたこと前提で日々の業務が行われるとしたら。学校、特に小学校の宿題って、そんな課題になってません?

『家でも仕事をする習慣をつけるためだよ』

なんて言われて、社会人がそんな命令をされてるのとしたら、普通に考えてゾッとしますよね。
 学校の宿題もそうなってはいないか、それがすごく心配です。子どもたちも、家に帰って色々やることがあるわけです。習い事なんかもたくさんしている子がいますし。

 『今日はやってもいいかな』と思う時もあれば、どうしてもできない、やりたくない時もあるはずです。
 特別支援の児童生徒であれば、気分のムラなんてすごくあって、尚更だと思います。

 家に帰ってからの過ごし方です。それを決めるのは、我々ではないはず。

2.宿題を出す目的って何だろう?

 宿題は、どんな目的をもって出すべきでしょうか?
 私の考える宿題を出す目的は、

・学校外で学習する習慣づけをすること(家に帰ってすぐやる習慣、という意味でなく、生涯自分で学習できるような学びへの意欲を育てるという意味)

・学校で学習したことを自分で広げて、自ら学ぶ力をつける

 大きくこの2つだと思っています。
 その習慣が必要ないと思う子ども、すでにそれができる子どもについてはやらなくてもいいし、ましてやそれが『学校の学びのただの補完(ドリルやワークをこなすことだけ)』に当てられているのだとしたら、必要ないかなと思う。

 なので、私はそもそも宿題というシステム自体なくていいかなと思っている派です。学力を上げるための宿題、ではなく、自ら家でも学びを深めてみようという児童の意欲を掻き立てられるような授業や、課題作り(ノートまとめ、タブレットを使った課題への取り組み)を行い、家ではその課題を含め、自分のより良い過ごし方を考えていける児童を育みたいなぁ、と思います。

 なので、保護者の方へ。(先生代表なんて大それたことではなく、私個人の思いです
 お子さんの様子を見ながら、疲れているな、と感じた時とか、辛そうだなぁなんて感じた時は、保護者の方が宿題をやることにストップをかけてしまっていいと思います。
 宿題をやることが、帰って学びへのブレーキをかけてしまうことにつながったり、もっというと、『宿題やってないから学校行きたくない』とか、学校自体からお子さんを遠ざける結果になってしまうことにもなりかねないと思います。
 担任する支援学級では、私が個別に行っていますが(それが当たり前ですが、普通学級の先生だとそれが35人相手に行える余裕がなかなかないと思います。)、量や、難易度の調整を保護者の方が行うのも良いと思います。

 もう一度、何のため・誰のためにその課題を考えて、宿題というものに向き合う。宿題というものについて、教師と保護者がお互いに意見を共有すべきだなと思って記事を書きました。
 宿題について、家庭が学校の言いなりになる必要は全くない。そう思います。子どもたちのための家庭学習、どうしていくべきか。一緒に考えて欲しいです。

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 お待ちしています。

 今日もお読みいただき、ありがとうございました😌

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