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己(おのれ)こそ己の寄るべ

タイトルは少林寺拳法で最初に教えられる「聖句」の最初のフレーズです。

少林寺拳法は宗道臣(そうどうしん)氏が開祖として、1947(昭和22)年10月に香川県多度津にて創始されました。

中国の少林拳と間違われることも多いですが、その実体はルーツを中国嵩山少林寺に持ち、宗道臣による体系・理論立てられた心技一体の武術と精神修養がセットになった活人の仕組みです。

少林寺拳法では実技(技)修練とは別に学科があり、両方に上達が見られないと昇級・昇段ができません。

私は小学生から大学までやっていましたが、その過程でいろいろな考え方を教えられます。当初これを習いに行かされた母に対し、少林寺は宗教だろう!と立てついたことがありますが母は、そうや宗教や、と真っ向から言ってきました。母は「宗教=ものの考え方」と言いたかったようです。

当時の私は宗教の存在が大嫌いだったので反発に反発を重ねながら、それでも少林寺拳法の心技体はとても魅力があったのでずっと修練していました。

あとで自分で気づいたのですが、私が嫌いだった宗教は「誰かが説いた説を流布しまくる」という行為自体でした。稚拙な内容を流布し、信じる人を増やして、中心人物が儲ける。そんな一部の悪徳?宗教に影響されていました。

ところが年を重ねるにつれて、少林寺拳法が説く教えが私が嫌いだった宗教とはまったく違うものであることを知りました。

今回はその中でも修練の一番最初に教えられ、誰もが最初はわからずとも大人になって初めてその意味の大きさを知ることになる『聖句』を書き留めます。

己こそ己の寄るべ
己を措(お)きて誰に寄るべそ
良く整えし己こそ
まこと得がたき寄るべなり

自ら悪をなさば自ら汚れ
自ら悪をなさざれば自らが浄(きよ)し
浄きも浄からざるも自らのことなり
他者(たのもの)に依(よ)りて浄むることを得ず

少林寺拳法 聖句

今読み返せばまったく「その通り」としか思えません。

この教えの元は釈迦と道林禅師ですが、いろんな解釈ができる意味の深さを持っています。

そして注目すべきは、聖句の本質は全て「自分」のみに向けられていることです。

よって少林寺拳法でもまず、負けない自分を作るためにこの句を叩き込まれます。

小さいお子さんをお持ちの方。
強くなりたいと願っている小中高大生。
護身術として身につけたい女性や年配の方々。
人生すべてに充実して生きたいと願っている方。

少林寺拳法。おすすめです。

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