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「心のつながり」の複数保持者になりたい

「どんな風に生きていきたいか」を考える上で
「どんな風に死にたいか」を考えてみる。

私としては「心のつながり」が多い状態で
最期を迎えたいという願望がある。

「心のつながり」の相手は
リアルに生きている人でも良いし、もう旅立ってしまった人でも良いし、一度も会った事がない人でも良いし、なんなら動植物でも良い。

生きている間に、たくさんの生物(もしくは生物だったもの)と関わって、たくさんの思い出を共有して、心がリンクする感覚を一瞬でも多く味わえたなら素敵だなと思う。

人間は社会的な生き物だから、やっぱり孤独は本能的に不幸と結びつきやすい。「自分はひとりじゃなかった」という思い出を懐古しながら、その時を迎えられたら幸せなんじゃないだろうか。

とはいえ、私は内向的な気質が強い。
1人の時間が大切だし、大人数で話をするよりも1体1、もしくは少人数で話をする方が得意だ。たぶん必要に迫られなければ、固定された数人とだけ話して、人間関係が変動しないタイプ。

「心のつながり」が増えやすいタイプではないと思う。それに今までの私だったら「私はつながりの太さを優先するタイプなので!」と言い張っていたかもしれない。

でも、太いつながりを太いまま維持するのって難しい。片方のライフステージの変化などを原因に、徐々に裂け目が入ってしまったりする。

一度切れたつながりを修復するのは結構キツイ。
だったら、細くても良いから、つながりを複数持っている方が心が安定するのではないか。

「拠点を分散」して「心のつながりを分散」
するという発想に行き着いた。

「心のつながり」は、一ヶ所に留まっていたら広がらない。家庭/会社の同期が限度である。

でもそこで諦めず、別の拠点を探したらどうだろう。SNS・習い事・サークル・地域行事など、意識的に拠点を広げれば、その場その場でつながりができる。

学生の頃を思い返すと、クラスの友だち、部活の友仲間、委員会活動の仲間、クラブ活動の知り合いなど、各拠点ごとに思い出す人がいるのに、社会人になってからはずっと同じつながり(=職場の同僚)に縋っている。それって不健全な状態だと思う。

大人になってからだって
「〇〇歳の頃よく飲んだ友だち」とか
「〇〇にハマってた頃に一緒にいた友だち」とか
「〇〇に住んでいた頃によく絡んだ友だち」とか
そういう数年単位の付き合いがあっても良くないか。良いだろう。

別に一つの拠点で大人数と絡む必要はない。
そういう大雑把なつながりに、私は馴染めない。そうではなくて、少人数もしくは1対1の関係で心をつなげられればそれで十分だ。そういう拠点を複数持ちたい。

家庭と職場とジムとテニスサークルとか。
家庭と職場と読書会とオタ友とか。
家庭と職場とこども食堂のボランティア仲間とか。
家庭と職場と散歩道の顔見知りと老人会とか。
家庭と職場と近所のハトと盆栽とか。

別に一時の関係性でも良いけど
今はネットがあるんだから、SNS経由でつながりを維持管理することもできるだろう。

「年に一回会う友だち」とか
「〇〇県に旅行したら会う友だち」とか
「5年ぶりに再会した仲間」とか
そういう切れそうで切れない、薄いようで強い縁がたくさんある大人って素敵だ。

私は今、本を書いたりnoteを書いたりしているけど、こういう活動から「文フリで出会った作家仲間」とか「noteで知り合ったオフ会友だち」とかができたらなと夢見ている。

「おばあちゃん、静かな人だと思ってたけど、結構アクティブな一面があったんだね」とか孫に言われたい。「あの人の素性は、息子の俺でも良くわからんよ」なんて、そんな生き方を妄想した。

2024/04/21_13

私のnoteを見つけて読んでくれてありがとう♡