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そのまんまでいること

午前中から思い立ち、ゆったりヘナをやる。髪が整い立ち上がる。午後から、そのままノーメイクでカフェへ。素のわたし。結局、自分以外の人にならなければいいだけのこと。母にも最近あまえてばかり。でも、そのぶんできることを積極的にやっている。テーブルをオイルで磨いたり、手入れする。


やっぱり内省にならない。精神性に欠けているのか。どうなのか。要するに、あまり深く考えてないということ。最近ぼーっしてるとよく自覚してきた。でも、わたしみたいな障害者にはそれが必要で、考えすぎることが負担になってくることはよくあること。それもあるんだか、ないんだかわからない妄想の世界のことだけど。本を読むこととは別。


今この時を楽しめればそれは極上なことで、楽しいことがあるだけ幸せなんだと気づく。静かに過ごしていても、何も考えてなくても、何かに通じている感覚がある。今この瞬間にいるという感覚。この感覚になるには、できるだけ一度に多くのことをしない方がいい。


若い頃まだ20代後半、レストランのウエイトレスのバイトを少しした。発症して初めての社会復帰のバイトだった。ハンバーグやパスタのおいしいレストランだった。わたしは1つのことしかできなくて、ママに言われてしまった。3つも4つも一度に考えられなきゃだめよ、と。愕然とした。そんなことできない。結局、バイト2つかけ持ちで体調崩し、一度に2つとも解雇となった。2つとも苦手な接客業だった。自分に向いてることどころか、一番苦手なことをやってしまうところが、あまりに未熟すぎて思い出しても情けなくなる。自分をわかってなさすぎる。その後もまだ続く。向かないことを向いてないとわからずにがんばっていたりして、つらくなったり。こんなことが続いていた事を思い出す。学ばない。そうとしかいえない。


少し変わりつつあったのは、30代の半ばくらいから。いろんなことをやめていったり、手放したり、合わない人たちとさよならしたり、寂しくもなったけど、でも、その寂しさを埋めてくれたのは、読書だった。ずっと読書三昧だった。やっと、没頭してる感覚になれた。何かそれはわたしの中で、正しいと言ったらいいのか、正当なのか、そのまんまでいいよ、という感覚だった。若い頃の読書と少し違っていた。それが今でも続いているんだけど、やめないことってあるんだなっておもう。これは幸せなことかもしれない。これがないとだめなんだよね、というところ。残ってくれてありがとうと言いたい。そんなことが、少しあればいいとおもうようになった。そのまんまでいられるところに座っていたい。



それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。

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