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249.誰が作者かわからない。作者不詳、存在していない…。だからと言って、勝手に使っては失礼なこと。


1.あとに残された人へ、千の風—作者マリーの願い


 だいぶ前の話になるが、みなさんは覚えているでしょうか?
あの日本中で大ヒットを飛ばし、歌や映画にもなったA THOUSAND WINDS=『千の風(になって)』という詩をご存じの方は多いだろう。

当時は「作者不詳」として新井満さんが訳したことで有名だが、英語圏では、かなり前から多くの人に静かに愛されていた詩だった。

たとえば、イギリスでは、1995年に24歳のイギリス軍兵士の死がきっかけで、広く知られるようになった。
彼の遺品の中にあったこの詩を「デイリー・メイル」紙が報じた。

1996年にイギリスの国営放送BBCによって行われた「国民に愛される詩」のアンケートでは第1位となった。

一方、日本では最初に1955年9月に『1000の風』(南風椎訳三五館)が刊行された。当時はあまり話題にならなかったものの、静かにじわじわといろいろな立場の人たちに浸透していった。

ところが、2001年9月11日のテロによるニューヨーク世界貿易センタービル崩壊の跡地「グランド・ゼロ」で行われた追悼集会で、少女がこの誌を朗読したことを朝日新聞の「天声人語」が取り上げて以来 ( 2003年8月26日)、一気に火がつき、やがて歌や映画にまで発展した。


このように、作者不詳の『千の風 (になって)』は、世界中でさまざまに形を変えて流布されている。英語ではわずか12行の短い詩だが、世界中を駆け巡り、同時に多くのジャーナリストや研究者が作者探しをつづけた。

ある人はネイティブ・アメリカン説を有力視し、1986年「ワシントン・ポスト」紙では「ネイティブ・アメリカンのマカ族の祈りだった」と報じた。

しかし、ネイティブ・アメリカンの部族からこの詩を認めた発言はなかった。そもそも、ネイティブ・アメリカンには死者の魂がいつも生者のそばにいるという考えはないという。


では、この詩はいったい誰が、どのようにして生みだしたのか。
なぜ、たくさんの人々の心を揺さぶり、心に残るにだろうか。


わたしのグループの中でも『千の風(になって)』は大人気であった。『1000の風』の詩を読んだ日野市在住のB子さんは、こんなことをいう。

「風って、何かあたたかさを感じませんか?風は強い風もあれば弱い風もあり、肌に直接感じないような風もあります。でも風は風圧という言葉があるようにだれもが感じるものです。追い風もあれば、向い風もある。なによりも、風は空気があるということを感じさせてくれます。少しくすぐったい風もありますが、風はなにかを語りかけてくれているようにも思っています。それにやさしく感じませんか?」

 八王子市のC子さんは、誰かの声を感じるという。
「わたしにはよくあることなんですが、閉め切った部屋の中で、フッと風が吹いたり、カーテンが揺れたりするときがあります。はじめは少し薄気味悪かったのですが、この詩を読んでからはあたたかさを感じています。もしかすると、いまの風は父かな、母かな、なんて思うときがあります。じつは両親ともまだ健在なんですけど ね(笑)。だれかが風になってわたしになにかを伝えようとしているのかも、なんて思うときもあります」


人の思いは風に乗ってどこまでも届くものかもしれない。意識しなければ気づかないが、意識しつづけることによって、わずかだがだれもが感じることができるものかもしれない。

私もこの詩をはじめて読んだとき、その素晴らしさに感動していたが、いつのまにかこの詩に曲が付き、歌われるようになり、映画化されて行くなかで疑問が生まれた。

歌や曲のイメージが、この詩の作者が込めた本来のメッセージに合っているのだろうか、と。

私の出版した本で紹介した、『あしあと』も作者不祥とされていたが、「わたしが著作者だ」という者が何人も現われたあげく、本当の著作者の意思、意向、意味が無視され、不本意のうちに次々と詩をコピーした商品が販売され、金儲けの手段とされてしまったことと重なるのだ。


そんなとき、わたしの友人であるエルサレム在住の井上文勝さんから手紙が届いた。

そこには、「主婦マリーの選んだ道」と題した井上さんの署名入り記事(「AERA」2007年11月26号)が同封されていた。驚くべきことに『千の風(になって)』の作者を見つけたという内容だった。


井上文勝さんは、1944(昭和19)年、秋田県平鹿郡(現・横手市)生まれ。明治大学の建築家を卒業後、建築家のアルフレッド・マンフェルド教授に招かれ、国立イスラエル工科大学博士課程で研究をつづけた。
1966(昭和41)年よりイスラエルに在住し、大学、美術館、シナゴーグ等の設計に携わる。
また、ホロコースト研究にも取り組んでおり、1992(平成4)年、戦後50年を記念した、ヤヌシュ・コルチャックの演劇公演を企画し、戯曲を書き下ろす。コルチャックとは1878年、ユダヤ人の子として生まれ、1942年に孤児院の教え子たち約200名とともにガス室で亡くなった教師である。

井上文勝著 ポプラ社 (2010/8/11)



このような井上さんの研究、活動が、『千の風(になって) 』の作者を突きとめるきっかけとなったという。

後にお会いしたとき、私にこんなことをお話してくださった。

「わたしも、この『千の風(になって) 』を知ったとき、作者不祥という言葉に興味を覚えました。とても素晴らしい詩だと思いますが、反面、この言葉にはもっと奥深い意味があるのではないかと感じていました。富樫さんもそうであるように、この詩に曲が付き、歌になることに違和感を覚えました。そこで、とことん忠実に事実を調べてみようと思い立ち、かなりの日数をかけて調べてみました」

井上文勝著 ポプラ社 (2010/2/5)


この件がきっかけとなり、私と井上さんは世界で初めて、この詩の著作権登録を行った。これは著作者の娘さんより承諾を得て、われわれが代理人として日本の文化庁の著作権登録申請を行った。
その添付書として、著作者自身の直筆の詩と、本人を証明できる発行年月日が記載された新聞等の媒体を添付した。

この登録に法的拘束力が生じるかどうかは微妙なところだが、この作品を創った著作者がいるという事実を公的に示すことで、すくなくとも際限のない商品化や著作者の意向を無視した曲解にブレーキがかかるのではないか、著作者への敬意というものが生じてほしい、と期待した。


さて、その肝心な著作者であるが、やはり『あしあと』の作者と同様、世界中でこの詩が共有されることを望んだという。

作者の名前は、マリー・エリザベス・フライエ。
1905年、オハイオ州のデイトンで生まれた。
しかし、すぐに両親を失い、わずか三歳で孤児となり、12歳のときに養女となってボルティモア移り住む。

多感な少女時代、マリーははるか遠いオハイオ州にある両親のお墓を思い、過ごしていた。独学で読み書きを学び、読書が唯一の楽しみであり、心の拠り所だった。詩作を始めたのはこのころだったという。

22歳で結婚し、好きな花を育てながら愛する夫クラウドの仕事を手助けしていた。
1930年代に入ると、ドイツでは反ユダヤの嵐が吹き荒れ、ユダヤ人の脱出が始まっていた。その中にマーガレット・シュバルッコプという少女がいた。

ユダヤ人少女マーガレットはマリーとクラウド家に受け入れられた。
しかし、ドイツに残ったマーガレットの母は病身であり、そのことを彼女はいつも悲しんでいた。幼いころに両親を失ったマリーは、自分の境遇に似たこの少女に愛情を注いだ。

のちに、94歳のマリーはアメリカのCBSのインタビューにこう答えている。
「老いすぎて身体が不自由なお母様は、彼女と一緒にこられなかったのです。ですから、お母様からの手紙が届かなくなると、彼女は憂いを深めるばかりでした。わたしたちは、あらゆる方法でお母様の安否を尋ねあぐねました。そして、お母様がすでに亡くなっていることを知らされた彼女は、深い神経衰弱となってしまって、ただ泣きくれるばかりでした……。」


ある日、マリーとユダヤ人少女マーガレットは二人で買ってきた食材を紙袋から出し、テーブルの上に並べていたときのことだった。

そのとき、マリーが取り出した品物を見たマーガレットが、「ああ!ママはこれを大好きだったの!」といって泣き出してしまったという。
突然、母親の顔が頭に浮かんでしまい、恋しさと哀しみに混乱したのだろう。
「あたしにとって何がいちばん苦しいか知ってる?……それは、ママのお墓に立ってさよならを言えなかったことなの」

マリーの胸にマーガレットの言葉がつきささり、同時にオハイオ州にある自分の両親のお墓が頭に浮かんだ。マーガレットの泣きじゃくる姿を見たマリーは、おもむろに食品を入れていた紙袋を破り、そこになにかを書きはじめた。そして、マーガレットに紙きれを渡した。

「ちょっとした詩を書いたの。生と死について私が感じることなの。もしこれが少しでもあなたの救いになってくれたら…」



南風 椎 (翻訳)三五館; 第2版 (2014/2/21)


 
 
私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。
私はそこにはいません。
眠ってなんかいません。
 
私は1000の風になって
吹き抜けています。
私はダイヤモンドのように
雲の上で輝いています。
私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそぎます。
秋には
やさしい雨になります。
 
朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって
駆けあがり
鳥たちを
空でくるくる舞われています。
夜は星になり、
私はそっと光っています。
 
どうか、その墓石の前で
泣かないでください。
 
私はそこにはいません。
私は死んでないのです。
 
─南風椎訳、1995年『1000の風』(三五館より)引用
(新井満さんより、先に公表した南風椎さんの作品は作者不詳でも、作者に対する敬意を感じる素晴らしい作品となっていた)



 
「これをいつまでも大切にするわ……」

読み終えたマーガレットの目からは涙が消えていた。
その後、このときの詩がマーガレットの両親の友人によりポストカードとして印刷され、以後これが世界中に広がっていくのである。

井上文勝さんの記事によると、マリーは他界する4年前、先のCBCのインタビューでこの詩について次のように語った。

「私はこの詩が自分のものでなく、世界のものだと常に思っております。これは心からの愛によって、安らぎのために書かれたものです。でも、もし、それで私がお金を受け取っていたなら、この詩の価値は落ちていたでしょう。もしかしたら、私は馬鹿だったのかも……。でも、それでいいのです」


多くの人たちがビジネスに利用している有様を見て、マリーは友人、知人から作者であることを名乗るよう、また、わずかでもお金を請求したらどうか、などといわれていたのかもしれない。

1964年、マリーは夫クラウドと死別。マリーは2004年9月15日、99歳で息をひきとった。いまからわずか数十年前のこと。さまざまな形になって、世界中で使用され広がっていく『千の風(になって)』を、マリーは遠くから見届けていたのかもしれない。

そして、心さびしい人たちへ向けて、風となって語りつづけていくのだろう。いつまでも、いつまでも、わたしたちに…。

最後に、わたしの立場は新井満さんでも、井上さんでもないが、私が運営しているNPO法人著作権協会の会員からこんなお便りが届いたので、それを紹介したい。新潟県在住の女性からだが、ここにもマリーの心を感じた。


著作権協会著 三五館 (2009/11/20発売)は出版社からのコメント それでも「YES」(ジョン・レノンとオノ・ヨーコの出会いの象徴的な言葉です)と言いつづけた 絶対にあきらめない人たちの感動秘話を集めました。 作者不詳とされていた『1000の風(千の風になって)』の原作者発見のエピソードも収録!



『いま、冷たい風を日々、感じています。あたたかな日は、あたたかな風を感じますが、いまのように冷たい風は身体全体に寒さを感じます。
でも、生きているんだなあという実感がとてもあります。目は冷たい風であけにくく、頬は凍ってしまいそうに痛いけど、わたしは、いまこの寒さや冷たさの中で、生きているというあたたかさを感じているんです。
この新潟の冷たい風は、いつもわたしに、幸せに生きろと声をかけてくれるように思えます。
数年前のことですが、わたしは愛するこどもを亡くしてしまいました。まだ小学三年生のとても可愛らしい娘です。当時、離婚をし、娘とふたりで小さなアパートで再出発。いつもわたしがくじけそうになると、娘はわたしの母のようになって、「ダメよ!お母さん。しっかり生きなくっちゃ!」と勇気づけてくれて、わたしがメソメソしているとニッコリと微笑みながら、「お母さん、泣かないでね。千恵がいつもそばにいるんだから…」とはげましてくれました。
娘の名前は「千恵」、千の恵みの子という意味です。そんなとき、「千の風になって」の詩を「ひとりごと」で知りました。最近は歌ができて大ヒットしているようですが、わたしの心の中では、あまりあの曲は好きではありません。なぜなら、千の風は救いの言葉だからです。
千恵は、とても寒い日に天に昇りました。あの日はとても寒く、風が頬にしみました。ですから、この寒い冬が来ると、また千恵に逢うことができます。この冷たい風は、わたしに「生きて!生きて!生き抜いて!お母さん」という声に似たものです。
だから、いまはこの冷たい風が大好きになりました。
冬の風は冷たく、だれからも嫌われる風。でも、わたしの愛する人からの言葉。愛しい冷たい風です。
マーガレットのお話しを聞き、母を想う娘の気持ち、娘を想う母の気持ち。愛はひとつ、愛は同じと、ようやくこの詩の意味が納得できるようになりました。千恵はお墓になんて眠っていません。今、ここに、冷たくあたたかな風の中にいました。
(後略)
追伸:わたしは冬がとても好きになりました…。』

作者不詳作品の実名入りの「千の風」と「あしあと」掲載 花伝社 (2013/12/1)


 
我々はいつも顔の見えないだれかが作ったものを使い、食べ、そして生きている。それを作った人の笑顔や涙を知らずに、喜びだけをただ享受する。でも、それは本当の豊かさなのか、喜びなのか…。
私はそうは思わない。

千恵ちゃんのお母さんがマリーの心を知ったように、あなたもぜひ、作品の裏側にある人物の顔を思い描き、あらためて『千の風 (になって)』を味わっていただきたい。作品から受けた感動を心の財産にするというには、読み手に許された特権である。

小さな風、強い風、生あたたかい風、くすぐったい風…。マリーの言葉を聞いたあなたに、風はどんな声をかけてくれただろうか。


作者がわからない、作者不詳であっても、その言葉の背後にある意味があり、そこまでは誰もマネはできませんね。


本内容に、手に入らない資料、情報等、多大なるご協力と、ご支援をいただいたcoucouさん。
ありがとうございました。


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※注 この著作権noteは1999年からの事件を取り上げ、2000年、2001年と取り上げ続け、現在は2002年に突入。今後はさらに2003年から2020年~2022年に向けて膨大な作業を続けています。その理由は、すべての事件やトラブルは過去の事実、過去の判例を元に裁判が行われているからです。そのため、過去の事件と現在を同時進行しながら比較していただければ幸いでございます。時代はどんどんとネットの普及と同時に様変わりしていますが、著作権や肖像権、プライバシー権、個人情報なども基本的なことは変わらないまでも判例を元に少しずつ変化していることがわかります。
これらがnoteのクリエイターさんたちの何かしらの参考資料になればと願いつつまとめ続けているものです。また、同時に全国の都道府県、市町村の広報機関、各種関係団体、ボランティア、NPО団体等にお役に立つことも著作権協会の使命としてまとめ続けているものです。ぜひ、ご理解と応援をよろしくお願い申し上げます。
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