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掌編 死神と予言者  高北謙一郎

  

こんにちは。週に一度の掌編投稿です。先日、たまたまブログの中でサロメの話題を書いたこともあり、今回はこの作品にしようかな、と。

今回も有料ですが投げ銭設定です。気に入っていただけたら幸いです。


 【死神と予言者】              高北謙一郎


この地下の牢獄に幽閉されて、どれくらいになるだろう。いつの間にか凍てつくような寒さは薄らぎ、今は蒸し暑さに苛まれている。狭くて暗い空間は、じっとりと湿り気を帯び、腐った水の臭気を漂わせている。

広大な草原の中に埋め込まれた、コンクリートの立方体。それが私の閉じ込められている牢獄だった。天井に、ひとの頭がひとつ潜り抜けられるかどうかという小さな開口部がある。この場所で唯一の換気口であり、外の光が射し込むのも、そこだけだった。時おり運ばれてくる食事もここから放り込まれる。三日に一度、それぐらいでしかないが。

空腹を抱えながら、私は硬い地面に横たわったままに、その小さな開口部を眺めていた。初めて少女がそこに姿を見せたのは、十日ほど前のことだ。最初は、頭上から軽やかな足音が聞こえた。次に、涼やかな笑い声も。間もなく青い空を背に、可愛らしい顔が覗いた。私は上体を起こし、少女を見あげた。自らが唯一の光源を遮ってしまっているからだろう、少女には私の居場所が見えないらしい。薄闇に、じっと目を凝らしている。私がわざと身じろぎをすると、びくりとその肩が震えた。やがて、口もとに大きな笑みが広がった。

川で遊んできたのだと、少女は言った。同時に、彼女が身に着けていた白いワンピースの裾から、ひとつぶのしずくが流れ落ちた。まるで朝露に濡れる若葉から零れたきらめきのように、それは少女のみずみずしい素肌を伝って、私のくちびるの上で跳ねた。

束の間よみがえったあまやかな記憶が、喉の渇きを思い出させた。確かにここは、汗ばむような湿度と澱んだ水の気配を濃密に漂わせてはいたが、決して私を潤すものではなかった。当然、空腹が満たされることもない。

この牢獄は、私を捕らえておくためだけに造られたものだ。床面と四方を囲む壁が地下に埋め込まれた後、私はそこに投げ込まれた。そして天井が、蓋のように被せられた。私がここを出て行くためには、あの男の求めに従わなければならない。あの男の望みを叶えてやらなければならない。そんなことは不可能であると、初めから判りきっているのに。

私は占い師だった。ただの占い師ではなかったが、占い師であることに違いはなかった。最初は、繁華街の片隅で冷やかし半分にやってくる客を相手に、当たり障りのない言葉を連ねていた。手相であったりタロットであったり、あるいは占星術であったり……表向きはなんでもよかった。私には相手が望むこと、望まないこと、それを瞬時に察することができた。相手の表情を見ていれば判る。声の調子を聞けば判る。その中で、適当なバランスを取りながら「未来」と称した宣託を与える。そんなことを繰り返していた。

ある意味で、それは天職だった。いつの間にか、私の占いはひとびとから評判を得るようになっていた。私の占いは的中すると、彼らは口々に言った。それがまた評判を呼び、ひとびとを寄せ集めた。中には狂信的とも思える熱心さで通い詰める者もいた。いつしか、ひとびとは私を予言者と呼ぶようになった。

そんなある日のことだ、あの男が私のもとを訪れた。どんな素性の持ち主であれ、少なくとも、まっとうな社会に暮らす者ではないことは確かだ。男には大勢の部下がいたが、敵対する相手も少なくはないと思われた。男は私が勧めるよりも先に、私の目の前に座った。こちらが口を開くよりも先に、一方的に話し始めた。

男を観察した。最初に読み取ったのは恐怖だった。それは定まらない視線や落ち着きのない身体の動きからも容易に見て取ることができた。しかし、なにより男はまだ見ぬ「未来」を知ることに、あまりに執着しすぎていた。度を越してその将来を知りたがる者は、現在に対する不安を抱えきれなくなっているに違いないと、そう思った。

病気には見えなかった。健康面での心配とは違う。それでも言葉の端々に、男が感じ取っているものが死の気配であることが窺われた。私には判った。
この男は、死神に獲り憑かれている。

これまでにも、幾度かその存在を語るひとびとがいた。私の前に座り、自分はもうすぐ死んでしまうのだと、そう告げる者たちだ。彼らの語る死神の姿はそれぞれだったが、確かに彼らにはその姿が見えていた。そしてその言葉には、誇張や妄信ではない真実の響きがあった。男は告げた。自らの死を運ぶ者の姿を。

物音に、思索が遮られた。軽やかな足音が、頭上から聞こえた。涼やかな笑い声も。あの少女だ。すぐに判った。まもなく、開口部から可愛らしい顔が覗いた。私は上体を起こし、その姿を見あげた。少女の口もとに、大きな笑みが広がる。

くだものを持ってきたのだと、少女は言った。小さな手に、薄い緑色のぶどう。その房のひとつぶを、少女は口に含んだ。白い歯で軽く噛むと、新鮮な果汁が芳香となって私のもとに届いた。私はふらふらと立ちあがり、なんとかしてそれにありつこうとした。喉の奥で獣じみたうめきを発していた。自分が思っている以上に空腹だった。そういえば最後に食事にありついて幾日になる? 三日どころではないだろう。あの男の身に何かあったのかもしれない……戯れに少女が手を動かすと、よろめきながらそのあとを追った。まるで操り人形のように、両方の腕を無様に振り回しながら。

不意に、少女が両の手に力を込めた。ふたつの手のひらが合わせられ、ぶどうはぐしゃりと潰れた。愉しげな声に混じる震え。その瞳には、微かな怯えと冷酷。雨だれのように、透明なしずくが少女の指先を伝って落ちてくる。口を広げ、両手を広げ、私はその甘い汁を少しでも我が身に受けようと必死だった。もはやぶどうのことしか頭にはなかった。何処にそんな力が残されていたのか、次の瞬間、私は地面を蹴って跳躍した。

悲鳴が聞こえた。指先が、ぶどうの房を掴み取ると同時に少女の指先をも掠めた。脱兎のごとく、少女は姿を消した。私は床に崩れ落ちながら、貪るようにぶどうを口に運んだ。べとべとになった指を舐った。少女に触れたその甘い指先を。

あの日、私は男の言葉を遮りはしなかった。疑問を口にする必要もなかった。否定の余地はない。死神の姿を見ている者に、私ができることは少ない。男が語り終えて後、私は遠からず男に死がおとずれるであろうことを告げた。たとえそれが男の期待にそぐわない言葉だとしても、私は宣告するよりなかった。そしてまた、私はこの宣告が我が身を危険に晒す言葉となるであろうことも充分すぎるほどに理解してはいたが、この事態を回避する術はなかった。それは男の死と同様、私にとって受け入れざるを得ない「未来」だった。

男が席を立つと同時に数人の黒服が現れた。私は自由を奪われた。手足を縛られ、口をふさがれ、車に乗せられた。何か得体のしれない薬品によって、意識を奪われた。気がついた時にはもう、コンクリートで造られた箱の中に横たわっていた。男は、私に告げた。その身に迫ろうとしている死から逃れる方法を教えろと。「未来」を予測できるならば、それを回避することもできるはずだと。そして、もしもこのまま自分が死ねば、ここに閉じ込められている私もまた死ぬことになるのだと。

しかし、どう足掻いたところで結果は同じだ。それは避けて通れない。

再び、軽やかな足音。涼やかな笑い声。開口部から、可愛らしい顔が覗いた。葡萄酒を持ってきたのだと、少女は言った。禍々しいほどに紅い液体が、グラスの中に満たされている。彼女はそれを口に含むと、にこやかな笑みを浮かべた。そのくちびるの端から、血のように紅いしずくが零れ落ちた。

跪き、両の手のひらでそれを受けながら、私は自らの最期もまた、そう遠いものではないと悟っていた。今、目にしている者の正体。私にもそれが見えてしまっているという現実。開口部から覗く少女の、可愛らしい顔を見つめた。

少女は、私にとっての死神であった。

                                                      

                           《了》

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