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掌編 雨に願いを  高北謙一郎

こんばんは。いつもより1日早い投稿になります。

今日は関東でも雪、との予報でしたが、心配されていたほどの降りにはならず、ホッとひと安心といったところですね。

ところで今日は、私の友人であるM君が横浜で結婚式を挙げました。彼とは朗読イベントで知り合い、おととしの私の結婚式の際にもゲストとして参加いただいたのですが、今回の挙式に際し、物語をひとつ、とのご依頼を受けました。

場所は横浜のマリンタワー。おふたりの初デートもマリンタワーだったそうですが、天気は雨だった、とのこと。それらの要素をもとにごく短い作品を書き上げました。

今日はお祝いの意味も込めて、こちらにもその作品を投稿します。

M君、末永くお幸せに。


   【雨に願いを】            高北謙一郎


降り始めの雨のにおいが好きだ。

ビニール傘にあたる雨粒の不規則なリズムに、わずかに歩調が乱されるのも嫌いじゃない。そう、すべてに於いて順調な人生なんてツマラナイ。多少のトラブルなら歓迎したっていい。だけど、やっぱり……

今日だけは、晴れて欲しかった。

だだっ広い山下公園を抜け、ぼくたちは横浜マリンタワーの前に立つ。
見あげた空からは細かな雨。たしかに今日は朝から曇りがちで、いつ雨が降り始めてもおかしくはなかった。昨夜の天気予報でも90%の確率で雨と言っていた。だからこうして傘の準備も怠らなかった。でもだからといって今、降り始めなくてもいいだろうに。

だんだん愚痴っぽくなっていくぼくの隣で、彼女が空を見あげている。

「わたし、降り始めの雨のにおいって、好き」

今日が彼女との、初めてのデートだった。
こうして並んでマリンタワーを見あげているという事実が、まだうまく理解できていない。どこか地に足のつかないままに、ぼくは頭の中で今日のプランを確認する。展望室で横浜の街並みを眺め、それからレストランに移動して食事。流れによっては軽くアルコールを求めて店を回るのも悪くない……と、いたってシンプルなデートだ。だからこそ、却ってこの雨が無粋なものに思えてくる。なんてタイミングの悪さなんだ。再びぼくは雨を呪う。

「ねぇ知ってる? 流れ星と同じで、雨粒にも願い事を叶えるチカラがあるんだよ」

不意に、彼女が口を開いた。雨空を見あげていたままの角度で、こちらに顔を向ける。

「いや、そんなこと、初めて聞いた」ぼくは首を傾げる。

流れ星に願い事をすると、その願いが叶う――それはよく耳にする。下界の様子を見るために神さまがほんの少し天界の扉を開いた時に洩れたひかり・・・それが流れ星と言われている。だからそのタイミングで願い事をすれば、神さまの耳に届く可能性も高い。ずいぶんとチラ見の好きな神さまもいたものだと思ったりもするが、天界の扉を開け放ってしまったら、夜が夜ではなくなってしまうのだろう。とはいえ、それでは雨粒はなんだろう? 神さまがシャワーでも浴びているのか? だとしたら、願い事なんて言っても聞こえないんじゃないか? あれこれ考えているぼくを他所に、彼女は続けた。

「雨をずっと見ているとね、時どき分かるの。あ、これが願いを叶えてくれる雨粒だって」

「へぇ、特別な雨粒があるんだ」と、ぼく。「どれにお願いしてもいいのかと思った」

「そんなことしたら、神さまがパニックになっちゃう」

楽しそうに笑う彼女を見て、安堵の息を吐く。雨粒に願い事を、なんてハナシはたぶん、彼女がぼくのために無理やり考えた作り話だ。降り始めた雨にぼくが責任を感じないように、気を使ってくれたのだ。せっかくのデートの初日、この場所を選んだのはぼくの方だ。ここ最近やたらと忙しくて、この日しか空いていないと言ったのも、ぼくの方だ。責任を感じるなと言う方が無理というものだ。そんなぼくのために、彼女が考えてくれた作り話。ぼくは傘をたたむと、彼女の手を取った。
「よし、それじゃあ展望室から、願い事を叶えてくれる雨粒をさがしてみよう」

展望室からの眺めは、想像していたよりもずっとうつくしかった。日ごろは多くの観光客などで賑わう展望室も、今日はひとかげもまばらだ。ぼくたちはあまり言葉を交わすこともなく、ぐるり円を描くように展望室を歩いた。ふたりの足音が、ひっそりとした空間に響く。

しずかだね。彼女が、声をひそめて言う。

しずかだね。ぼくも声をひそめる。

ただそれだけのやり取りだったが、妙な共犯意識が芽生えた。いつしかふたりは、足音までも忍ばせて進んだ。少し足早に。最後は駆け出すように。笑い出しそうになるのを堪えて、互いに手を取り合いながら。やがて落ち着けそうな一画を見つけた時は、息があがった。

ひとしきり笑いあった後、改めて外を眺める。相変わらず、細かな雨が降り続いている。ふと、きらめくような雨粒を視界の隅に捉えた。ひかりの反射だろうか。糸を引くように、すっと空を流れた。まるで本物の流れ星みたいだ。思わず彼女の手を強くにぎった。

「流れ星って、神さまが天界の扉を開いた時に洩れるひかりって言うよね」と、彼女は言った。それからイタズラっぽく笑うと、「じゃあ雨の時、神さまは何をしていると思う?」

それはさっき、ぼくも考えた。「さあ、シャワーでも浴びてるんじゃない?」

「はずれ」彼女はクスクスと笑う。「雨はむかしから《めぐみの雨》って言われてるでしょう? 雨は、神さまが地上に潤いを与えるため、水やりをしているの」

「なるほど、だからその時も願い事をすれば神さまに聞いてもらえるかも、と」

「そういうこと」

「作り話じゃ、なかったんだ」

得意げにうなずく彼女に、ぼくは訊いた。雨粒に願掛けするなんて話は聞いたこともなかったが、ぼくが知らなかっただけかもしれない。しかし彼女は、平然と応えた。

「え? もちろん作り話だよ。でも、今日はちょっとお願いを叶えて欲しかったんだ。流れ星が見えないからって、あきらめちゃうんじゃ勿体ないでしょう?」

ガラスの向こうで、小さな雨粒がきらめいた。急いでぼくたちは願いを告げる。彼女が何を願ったのかは分からない。ひみつと言って教えてもらえなかったからだ。だからぼくも、ぼくの願いは秘密にしておく。

だけどいつの日か、この願いが叶えられることを祈る。

またこの場所に、ふたりで来られますように。

                                   

                          《了》

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