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ハワイにて

おれがハワイで親父に教わったことといえば、働きながらまともな小説を書くのは無理、ということだけだった。そんなことはハワイで親父から教わるまでもなく社会に出て働きはじめりゃどんなに勘の鈍いガキでもすぐに気がつくことだし、そもそもおれはハワイに行ったこともなければ、ヒコーキや船に乗った経験もないし、親父は、人にものを教えるタイプの人間ではなかった。いったいおまえは何が言いたいんだよ。おれにどうしろって言うんだよ。そんなこと言われたって、わっかんねーよ。彼は泣いてうなだれ、己の頭の弱さを悔やむように自分で自分の頭を殴りつけ、歯を食いしばり、いぎぎぎぎぎぎという血管が切れる寸前の奇妙奇天烈な声を発しながら、サラサラしたよだれを口の端からつーっとこぼした。チャカポコチャカポコチャカポコリン! 自ら体鳴楽器と化したおまえは、四拍子のリズムで頭を叩きつづける。サッカーのヘディングは一回につき最大で千億の脳細胞を死滅させ、アルツハイマー型認知症になるリスクを高めると言われている。だとしたらボクシングの殴り合いはその比ではないだろう。まして自分で自分の頭を殴りつづけていれば、島木譲二のように、遅かれ早かれ脳味噌が木っ端微塵に吹っ飛ぶに決まっているではないか。あそれチャカポコチャカポコチャカポコリン! 会社に持って行くためのお弁当をつくるのが忙しすぎて会社に行けないということがいままで何度もあった。こんな見世物小屋のケツモドキのような生活をつづけている限りまともな小説など書けるわけがない。見世物小屋のケツモドキのような生活をつづけていればいつかきっとまともな小説を書ける日がくる筈だなどと考えるほうがどうかしている。浴槽という名のぬるま湯にどっぷり浸かり、湿気た柿の種を貪り喰い、アグアカリエンテの水を飲み、カレル・チャペックの小説を読む。かつてSFが侮られた理由の一つである荒唐無稽さが、ここにはあふれている。常識も感受性も兼ね備えたおれくらいの大人になると、二足歩行の山椒魚なんてものを何かのメタファーとして読み解いたりするような心のゆとりは完全に失われるのである。なーにが常識も感受性も兼ね備えた大人だよ。笑わせんじゃねえよタパ・ボーイ。黙れ。おれは人間だ。おまえといっしょにするな。おまえはおれだよ。チャカポコチャカポコチャカポコリン! あそれチャカポコチャカポコチャカポコリン! ンチャカポコチャカポコチャカポコリン!

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