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ブラック企業勤めのアラサーが文学フリマ東京に出るタイプのアラフォーに成長するまでの話④

 ブラック企業勤めで心身を病んだ山羊座の女(アラサー)は2019年、朗読と文章の学校に通い始めた。文章を書くときに「照れ」を捨て去り、思い切って書くことを覚えた山羊座の女は、「クラゲの少年の性の目覚め」を描いた400字の文章を書きあげ、みんなの前で朗読した結果、「フィクション」を書くことに喜びを感じ始めた。

 そして迎えた2020年。コロナ禍。朗読と文章の学校は3月から休校となった。ブラック企業も緊急事態宣言によって時短・在宅ワークを強いられた結果、漂白され、業務に時間的な余裕ができた。

 業務が忙しいわけでもないが、朗読と文章の学校はなく、ゴスペルももちろんない。増えた余暇でファイナルファンタジー7リメイクをプレイするも、数日でクリアしてしまった。もうあとはティファが活躍する場面を繰り返しプレイするしかない毎日(ティファ派)。業務。勉強。ティファ。業務。勉強。ティファ。

 そんな中、ライターKさんのフェイスブックで朗読と文章の学校を経営する株式会社チカラ(https://chikara.in/)による「文章の学校」(月2回、全12回)の募集をみかけた。業務、勉強、ティファ以外の何かを求めていた私は、いそいそとKさんにメールを送った。

 文章の学校では、Kさんの師匠であるMさんに師事した。授業は1回2時間ほどで、前半で講義を聴き、後半に予め提出していた課題(800字)を添削してもらい、最後に次回の課題の提示をされるというかたちだった。

 全12回の、課題の内容としては、
 1 オリエンテーションなので事前課題はなし。
 2 自己紹介文
 3 ラブレター(このシリーズの②のおまけに載せたものを提出した)
 4 本を勧める文章
 5 映画を勧める文章
 6 ユーモアエッセイ
 7 コラム
 8 公募エッセイに応募するための文章①(私の時は読書エッセイで2000字以内)
 9 公募エッセイに応募するための文章②(同上)
 10 「売春婦」になりきって「売春婦の書いた文章」を書く。
 11 フィクション(お題に沿って書く)
 12 一番最初の記憶について書く。(この回だけ400字以内)

という感じだった。

 私はそれまでに約1年Kさんの添削を受けていたので、ラブレターまではまあまあ褒められて調子に乗っていたのだが、「本を勧める文章」「映画を勧める文章」で躓いてしまった。

 本や映画を勧める文章は、「その本がほしい」「その映画を観たい」と読み手にお金や時間を使わせるほどの関心を持たせる引力がなければいけない。ここで私は、「書いている時の自分を消す」と同じくらい重要な「読者を動かす」ことへの意識を手に入れた。

「言ひおほせて何かある」

 これは『去来抄』に記された、松尾芭蕉の言葉である。言葉で言いつくしてしまったら、あとには何も残らない。芭蕉の言葉はあくまで俳諧についてのものだが、これは他の文章にも通じるものである。言い尽くしてしまったら、読み終わった瞬間にその文章は色あせてしまう。言い尽くさずに読者があれこれと想像しやすくすること、もっと知りたいと思わせること、それが大事なのだ。

 そんな風に商業的な文章の書き方を学んでいったあと、9個めの課題として出されたのが、「売春婦になりきって文章を書く」というものであった。

 私は売春をしていたことがないし、買春もしたことがない。経験から書くことはできない。そこで「売春婦」についてWikipediaでみていくと、「神聖娼婦」という言葉を見かけた。

 「神聖娼婦(あるいは神殿娼婦・神聖売春とも)とは、宗教上の儀式として神聖な売春を行った者である」

 このWikipediaの一文から、私はこの課題を「神聖娼婦」を主人公にした「フィクション」として書くことにした。

 古代の、どこかの神殿。そこには少女たちが集められ、神との交感という名目で売春をさせられている。その少女たちの中には「自分は神様とつながってはいない」という自覚があるため、客を騙しているという罪悪感を持っている子もいる……。

 そうやって作品世界を組み立てて、「神とつながっていないと自覚しながらも、神への信仰に目覚めたひとりの少女」が神殿を去る時の「置き手紙」を課題として提出した。

 課題を提出してびっくりしたのは、他の生徒の皆さんの課題が全員現代日本を舞台に、風俗店の嬢を想定して書かれていたことだ。私だけ、古代のどこかの話を書いていた。全12回の中でいちばん私が浮いてしまった回だった。

 そのせいか、この回ではいろいろと他の生徒さんから質問を受けた。
 たとえば、「この少女は自分が売春していることに対してつらいと思っているんですか?」というような質問。それには「売春をしていることがつらいというより、神と交感できていると客に思わせてしまっていることに対して、罪悪感を持っています。親とグルになって神殿や客を騙しているという意識があって、それで罰が下ったらどうしようと思っています」と身振り手振りをまじえながら熱っぽく答えてしまった。

 このようにぺらぺらと「置き手紙」の「書き手」である少女の気持ちを答える私に対して、Mさんは言った。

「山羊座さんは、完全になりきっていますね」

 「なりきって文章を書く」ということは、「自分ではない他者の視点を獲得する」ことにつながる。

 自分のことしか書けない、書けるもの少ない系の底辺。
 そこから脱出するにはまず、自分ではない他者になりきること。それが大事なのだとわかった。前回載せた「クラゲ」の話が比較的好評だったのは、私がクラゲの少年になりきっていたからだったのだ。

 「完全になりきってますね」と言われた私は、「え、あ、はい……」とあいまいな返事をした、ような気がする。今思うと、あれは褒め言葉だった。当時は気づけなかった。ただすごく没入して書いた感覚があって、その感覚は脳が焼き切れるような気持ちよさがあった。

 この回からますます私は「フィクションを書きたい」という気持ちを高ぶらせてゆく。

 次回は、朗読と文章の学校に通っているメンバーでのオンライン女子会で糸瓜曜子(声朗堂旗揚げメンバー)が「みんなでリレー小説とか書きたいです☆」と言って全員からスルーされた結果「声朗堂」の前身となる会が結成された話をお送りいたします。

 ちなみに、売春婦になりきって書いた置き手紙は『声朗堂文集0 イチマンブンノゼロ』に収録しています。ご興味のある方はぜひ文学フリマ東京・香川・福岡のどこかでお買い求めください。通販もあります。(https://nankaofyagiza.booth.pm/items/4695273

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