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Rocks Off(監督:安井豊作/2014年)(『セントラル劇場でみた一本の映画』より)

これは、『セントラル劇場でみた一本の映画』(2019年)というリトルプレスに寄稿したものである。2018年に閉館した宮城県仙台市の映画館「セントラル劇場(セントラルホール)」にまつわるエッセイを集めた本書は有志二人による企画で、その編集を手伝ったついでに自分も書いた。すでに入手困難なようなのでここに掲載する。


あれは「爆音映画祭 in 仙台2015」の年、2015年6月6日の夜である。爆音映画祭の始祖・boid主宰の樋口泰人氏との友情と個人的な趣味の問題として、当時各地で行われていた同名のそれらとは異なり、誰の言うことも聞かないのを信条に、全くの個人出資で採算度外視、樋口氏とのノリだけで作品を決めて3年ほどやっていた仙台での爆音映画祭の一環として、一晩だけセントラルを借りて上映をしたことがある。

夜だけ貸してくれという乱暴な申し出も支配人は快諾し「一緒にやりましょう!」と言ってくれたものの、古い小屋だし、上にオーナーも住んでいるので、夜中に大きな音はさすがに勘弁してくれと言う。それでは爆音映画祭にならないではないかとも思ったが、一度で良いからセントラルでレイトショーをやってみたかった私は「爆音映画祭での唯一の非・爆音上映ということなら良いかも」という倒錯した思いつきとともに即決した。上映作品は、稀代の音楽家・灰野敬二が取り壊し前の法政大学・学館ホールでピアノを演奏する様を撮した『Rocks Off』。いつ取り壊されてもおかしくないセントラルにうってつけの映画である。

21時からのまさしくレイトショー、さらに直前までは本会場のせんだいメディアテークで上映をしていたにも関わらず、結構な人が集まった。私が客としてセントラルに来るときにはあまり見たことのない人数である(それはひとえに普段の私の映画の好みの問題であり、この10年くらいのセントラルの作品選びの問題でもあろうが)。

開場とほとんど同じタイミングでセントラルに着いた私は、受付で一人の男性が困り果てているのを見かけた。彼の財布にはチケットのぶんしかお金がないらしい。今晩は普段の興業とは違うので、いつもの駐車場割引はない。つまり、映画を見れば駐車場から車を出せない、駐車場から車を出すなら映画を見ることができない。昨今、こういうときに衆目のなかで例外をつくるとロクなことにならないのは支配人も承知であるから「申し訳ないけれど……」と困り顔。

だが、この映画祭は友情と趣味の賜物である。こんな時間に、こんな映画(すばらしいという意味で)を一人で見に来たその彼を、私は帰すわけにはいかなかった。かつて映画の恩師から受けた「私たちは映画における家族である」という言葉に従う時がいま訪れたのだ。

受付に割って入り「駐車場代は持つのでぜひ見ていってください」と声をかける。彼も支配人もポカンとし、そしてあまりにも恐縮するので、結局は貸すことにして千円札を握らせた。映画祭は明日もあるから、明日また会えたら返してくれれば良い、と。

肝心の上映といえば、取り壊し前の薄暗い学館ホールのなかで、黒い服を着た白髪の灰野敬二がピアノを弾くだけの映画である(すばらしいという意味で)。その学館ホールに負けず劣らず古く、非常灯の明かりが漏れるセントラルのスクリーンでは、目をこらしても何も見えない場面もあったけれども、それがまた良い。いつもは激しい音と振る舞いで圧倒する氏とは違い、暗がりに溶け込んだままピアノに触れる姿は、敬虔な気持ちにすらなる時間だった。

上映後、現場にいた友人たちにこの話をしたところ軽く笑われた。客に金を貸す主催者をはじめて見た、返ってこないかもしれないよ、と。別にそれでもかまわない。だいたい、たかだか千円である。映画祭の赤字を考えたら大した金額ではないし、いつかこの話をネタに文章のひとつも書けるだろうと思えば安い(それが今だ)。なにより私たちは映画における家族なのだから。

はたして彼は翌日も映画祭にやってきた。


初出:『セントラル劇場でみた一本の映画』(2019年)

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