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TAR (監督:トッド・フィールド/2022年)

見てからしばらく経つのだが、もう一度見なければいけないような、しかし、もう一度見たところでケイト・ブランシェットにまた目が釘付けになって2時間半を終えるだろうと思われるので、とりあえず走り書きのメモを残すことにする。

そう、さまざまな映画評を読んだり、見た知人友人たちの感想を聞いても、誰もがリディア・ター=ケイト・ブランシェットに目が釘付けだったと言う。ターが実在の人物と思った人々がいるというまことしやかな話も納得できるほど、ケイト・ブランシェットの存在は確かなものである。

クラシックに疎い私でもベルリン・フィルのことは知っているし、マーラーのことも知っているが、他方であの世界における女性指揮者の活躍(困難さ)まではよく知らない。だから、ターのような人物がどれほどフィクショナルな造形なのか正直よくわからず、そしてケイト・ブランシェットの演技があまりにも真に迫っているため、実話を元にしていると言われたらそう信じただろう。しかし、よくよく考えてみると、これほどまでの才人、そして、権力に上り詰める女性があんな雑なコミュニケーションをするだろうかと思う場面があったり(これが男性だったらわかる気もするのだが)、これ見よがしなホラー演出があったりする。しかし、それらも鑑賞中はター=ブランシェットに目が釘付けであるため少しも気にならない。断じて本作を卑下しているわけではない。その程度のことではこの映画の強度は揺るがない。優れた演技、優れた映画というものの恐ろしいまでの力を実感させられるのみである。

だから、誤解と批判を恐れずに書くならば、この『TAR』は『トップガン マーヴェリック』(監督:ジョセフ・コシンスキー/2022年)と似ている。コロナ禍のハリウッド映画界、そして世界を熱狂させたマーヴェリック=トム・クルーズは、その演技と戦闘機の轟音によって、現在においては相当に問題のある設定などに鑑賞中気付いたとしても、ほとんどの観客は高ぶる感情を抑えることができない。私もその一人であった。

本作は音楽についての映画でもあるだけに、ケイト・ブランシェットの演技だけでなく、音についても語たるべきなのではないかと思う。ケイト・ブランシェットの演技に気を取られすぎて、自分は十分に音を聞くことができていないのではないかと反省しているのでもう一度見たいのだ。
たとえば、ターが幻聴を聞く場面があった。あのときの音の処理は大変奇妙に感じられる。登場人物にのみ聞こえる幻聴であるから、物語世界内の音ではあるが、それはター自身にしか聞こえていない。その点では、あの幻聴はター以外の人物にとっては映画音楽と同じように物語世界外の音とも言える。それは劇場内に多数設置されたサラウンドスピーカーの一つからだけ、とってつけたように音が聞こえたような気がして(鑑賞した映画館[tohoシネマズ仙台]の音響設備の問題かもしれないが)、映画全体では非常によく整えられていた音響からすると観客の私をハッと我に返させるものだった。

しかし、すぐに再び私はター=ケイト・ブランシェットの演技に引き込まれてしまう。それから逃れるためには目を閉じて見るしかないだろう。しかし、そんなことができるかと問われたら無理である。だから、これまた誤解と批判をおぞれずに書くのならば、目が見えない人はこの映画をどう受け止めるのか尋ねてみたいと思っている。


(公式サイト)
https://gaga.ne.jp/TAR/

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