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アシスタント(監督:キティ・グリーン/2019年)

冬のある一日であることを差し引いても全体に寒々しい色合いの画面、音楽を極力排していながら空調や照明などオフィスのノイズやパソコンのキーを叩く乾いた音は慇懃なまでに拾う音響、そして、多くの場合固定されたカメラに収まりながら淡々と仕事をこなす主人公のジェーン。#MeToo運動の発端となった映画業界を題材にしたという事前情報にやや構えていたが、どこのオフィスともほとんど変わらないように見える。つまりは、多くの人に当てはまる舞台である。

ジェーンは、名門大学を出て、おそらく真面目な性格、端正な容姿だが地味な出で立ちである。入社して5週間、最初は笑顔もあったのかもしれないが、この映画で描かれる一日にはほぼ笑顔を見せることはない。仕事が雑用ばかりということだけではなく、男女問わず同僚たちの些細な仕草から、彼女の扱いが透けて見える。なにより彼女は名前で呼ばれることがない。

監督は間違いなく参照しているであろう、シャンタル・アケルマン監督『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』を思い起こす。終わることないケアに追われる女性、あるいは、それを強いられても名を与えられない女性。しかし、あの映画において3時間半にわたる抑圧の果てに訪れるある種のカタルシスと比較すると、『アシスタント』は90分にも満たず、むしろ度を超して淡々としすぎる演出に、あの映画のような結末を想像するのは難しい。むしろ、たった一日の話なのに、終わりなき日常、それも灰色にくすんだ永遠のように時間は過ぎるだけである。ドキュメンタリー映画で実績を積んだ監督らしく、大勢の人にリサーチしたというが、その結果、簡単にはカタルシスなど与えるまいと誓ったのだろうか。まず最も責められるべき《会長》は姿を現さない。その次に何らかの仕打ちを受けてしかるべき同僚たちにも何も起こらない。さらには、ジェーンも感情や暴力を発露することはない。まるで顔のない人々。

今どきの映画にしてはかなり短いほうだが、ずっと息苦しい時間だった。スクリーンの先の世界は、空気の質量が少し重い、もしくは、二酸化炭素の割合がわずかに高い。そう感じたのは、自分が男性で、つまり加害の側にいるからだけではない気もした。結局のところ、この映画に描かれているのは、誰が被害者(救済されるべき者)で、誰が加害者(断罪されるべき者)かではなく、このシステムそのものが持っている害悪と、結果的にそれに奉仕するしかない人間の性なのではないだろうか。ジェーンが《アシスタント》なだけではない、登場人物誰もがこの薄気味悪いシステムを支える《アシスタント》なのだ。

そして、これを見るべき人は大勢いるが、これを見てはいけない人もまた相当数いるのではないだろうかと心配になった。



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